日陰の花と食虫花
「グレイシア様、こちらは?」
当初の予想より遥かに盛り上がった茶会を終え、二人に暇乞いをしたミレディアナに、グレイシアが女官に持って来させた包みを手渡した。
「小説です。先ほどお貸しする約束をしましたでしょう?」
……したっけ?
とはいえ、グレイ伯爵家には娯楽本の類がないので、ここはありがたくお借りする。
「いつでもよろしいので、王宮へ来られる際にお返しください」
(あー……。また来なきゃいけないのかー……)
グレイシアに会うこと自体はやぶさかではないが、王宮に来るのは正直、面倒くさい。
だが、透けるような美貌に名残惜しそうな表情を浮かべているグレイシアにそのようなことを言えるはずもなく、「またお会いできることを楽しみにしております」とミレディアナは微笑んだ。
お辞儀をして立ち去ろうとしたミレディアナに、フッと『氷の女王』の表情を浮かべたグレイシアが小声で囁いた。
「もしも、ブリジットや……国王陛下があなたに無体を働こうとしてきたときは、わたくしに伝えてください。可能な限りお守りすると約束します」
ミレディアナは、グレイシアのすみれ色の瞳をじっと見つめる。
「ありがとうございます。グレイシア様のお気持ちと、そのように言ってくださった御恩は決して忘れません」
深々と頭を下げて、ミレディアナは王妃の庭を後にした。
控室で待っていたローラと合流し、馬車の溜まりへ向かっていると、廊下の角から突然、ピンクの塊が飛び出してきた。
「あらぁ、グレイ伯爵夫人ではございませんの。あら?確かお茶会への招待にはご都合が悪いとお返事をいただいていたかと思うのですが、なぜこちらにいらっしゃいますの?」
……この女、謝罪させるためにわざわざ待ち伏せしていたな?
「申し訳ございません、アシュベリー様。せっかくのお誘いをお断りするのは心苦しかったのですが、その……本日は貴きお方からのご招待をいただいており……」
心から申し訳なさそうに頭を下げる。謝罪とお礼は無料なので、惜しまないのがモットーだ。
(ていうか、日程ぶつけてきたのワザとだろうが)
ミレディアナがどちらにつくか確かめたかったのか、はたまた断らせて貸しを作りたかったのか……
(いや、この人の場合、考えなしの嫌がらせってこともあり得るな)
謝罪するミレディアナを心地よさげに眺めているブリジットの表情を見るに、その線も濃厚かと思われる。
(でも、この人も中学一年の頃から……いや、下手するとそれより前から国王に囲われて窮屈な王宮暮らしだもんね。そう考えるとかわいそう……)
「んまぁ、そうでしたの!あの方のお茶会に!それはそれは、さぞかし冷え冷えとした時間を過ごされたことでしょう!ご存知?国王陛下はあの方のことを『蛇女』と呼んで忌み嫌っておられますのよ。女のとしての悦びも知らず、黙々と公務だけをこなす毎日。ああっ!わたくしだったら耐えられませんわ!伯爵夫人もそのように思われますでしょう?あらっ……そちらもご主人はだいぶお歳を召した方でしたわね。これは大変失礼を。おほほほほっ!」
かわい……そう?いやいやいや、この口さがなさも王宮暮らしのストレスからだと思えば同情できる。
「他にはどなたが?ああ、ガーランド伯爵様!あの方も……ねぇ?女伯爵といえば聞こえは良いかも知れませんが、所詮は何度も婚約者に捨てられた方ですわ。あらあら?王妃様はどのようなお考えでお茶会に招く方を決められたのかしら。きっとお話の合う方を集められましたのねー!」
かわ……。ああーーーっ!かわいそうっ!ここまで性格歪んじゃったら、もう一生矯正できないわ!ああっ、かわいそうに!お気の毒様!手遅れです!
まともに話を聞いていると手が出てしまいそうな気がしたミレディアナは、ブリジットからさりげなく視線を逸らし、気を紛らわすために壁の模様を数え始めた。ばれない程度にゆっくりと視線を動かしていたミレディアナの身体がビクリと震える。
(なにか……いる!)
目に眩いブリジットのピンクの衣装に隠れるように、影のようなものが貼り付いている。
目を見開いたミレディアナに気がついたブリジットは、怪訝な表情を浮かべると「ああ」と声をあげた。
「ご紹介が遅れましたわ。こちらはわたくしの娘――国王陛下の第一王女であらせられますアナベル姫でございます」
「あ……姫君、でいらっしゃいましたか」
(び、びっくりした……お化けかと思った)
大変に失礼な見間違いをしてしまったが、そう思ってしまうのも無理がないほど影の薄い少女だった。
身体つきは華奢というよりやせっぽっちで、顔立ちはこれといった欠点はないのだが精彩を欠いていてとにかく地味。母親に生気を吸い取られているんじゃないかと心配になる、日陰の花のようなお姫様だ。
「グレイ伯爵が妻ミレディアナでございます。お会いできて光栄です、アナベル様」
「伯爵夫人はお歳が五十も上の伯爵様に嫁がされたにもかかわらず、妻としてのお役目を果たしておられるご立派な方でございますわ。アナベル、あなたも万っっっが一そのような立場となったときには、見習わなくてはなりませんよ」
(娘の前でやめなさいって……)
母親があからさまな当てこすりをしている姿をアナベルがどう思っているのかとハラハラしながら目を向けると、少女は俯きがちな無表情で「よろしくお願いいたします」と平坦な声で述べた。
(見ていると不安な気持ちになる子だな)
そう思ったが、母親と父親がコレとアレなので、悪いが本気で関わりたくない。
どうやって逃げるかなー、と考えあぐねていると、背後から少しハスキーな救いの声が聞こえてきた。
「グレイ伯爵夫人。お忘れ物をなさっているわよ」
小さな瓶を手にしたクラリッサが歩み寄ってきた。
「アナベル様、ブリジット様、ごきげんよう」
クラリッサの簡単な挨拶に、アナベルは黙ってお辞儀をし、ブリジットは忌々しげな視線を向ける。
「王女様とご側室ともあろう方がこのような場所で立ち話をなさっているの?伯爵夫人は王妃陛下とのお茶会で疲れておいでだろうから、早めに解放して差し上げてくださいませね」
ブリジットとアナベルの不作法、高貴な方との社交に慣れていない田舎者のミレディアナ。短い文章で全員を平等に貶すとは、生まれながらの大貴族はさすがに違う。勉強になるなぁ。
完全な貰い事故のアナベルは表情も変えなかったが、ブリジットは頬を引きつらせ、憤然として背を向けた。
「あらっ!さようでございましたか!それでは失礼させていただきますわっ。行きますよ、アナベル!」
けばけばしい食虫花のような母親と昼間の幽霊のような娘の姿が見えなくなると、ミレディアナは思わず「歪んでますわね……」と呟いた。
「親も子もね」
突き放すようなクラリッサの声に背の高い女伯爵を見上げると、ニッと笑みを向けられる。
「わたくしたちが友諠を結んだことを教えてやる必要はないものね。こんなことだろうと思って、時間を空けて追いかけてきて良かったわ」
「助かりました」
ミレディアナが苦笑すると、クラリッサは「はい」と手にした瓶を差し出した。
「当家の名産、カエデ蜜よ。お土産に差し上げましょう」
「まあっ!嬉しいですわ」
掛け値なしの喜びの声をミレディアナは上げる。別邸にはノワナのカエデ蜜が常備されてないんだよね。明日の朝はパンケーキにしてもらおう!
小躍りせんばかりのミレディアナに目を細めたクラリッサは、「代わりと言ってはなんだけど……」と人の悪い声で言う。
「これからもグレイシア様と仲良くして差し上げてちょうだいね。立場や印象が災いして、心を許せる相手の少ない方なの。少し歳の差はあるけれど、あなた意外と年齢差を感じさせないみたいだし」
まあ、実年齢は上ですし。というか、カエデ蜜と引き換えにしてはえらく重たいお役目を与えられた気がするんだけど……
「なにか困ったことがあったときには、わたくしにも頼りなさい。伊達に数十年、社交界でそれなりの地位を築いてきてはいないわ」
飴と鞭の使い分けが絶妙すぎる……!
完全に屈服したミレディアナは、偉大なる先達に恭しく膝を折った。




