王妃のお茶会
翌日からは社交三昧の日々だった。
若い令嬢たちとのキャッキャとしたお茶会に、年嵩の奥様連中によるお茶会という名のミレディアナの『品評会』。夫婦で招かれた演劇鑑賞や演奏会に、ちょっとした夜会。
様々な日程を半分ほど消化したところで、前半戦の山場がきた。
王妃とのお茶会である。
(……よし)
鏡の前で身だしなみの最終チェックを終えたミレディアナは、試合に臨むボクサーのような心持ちで玄関へ向かう。
今日のドレスは、光に透ける軽やかなオーガンジー素材に淡い水色で羽模様がプリントされている。腰には水色のリボンをふんわりと巻き、袖口や胸元にも同色の細いリボンの装飾がある。相変わらずの重ね着祭りだが、昼間のお茶会なので舞踏会よりはだいぶ気楽な格好だ。
ドレスが皺にならないように気をつけながら馬車に乗ると、お供のローラと共に数日ぶりのカルドレイン宮殿へと乗り込んでいった。
「こちらでお待ちくださいませ」
(あら?)
女官に案内されたのは『王妃の庭』と呼ばれる庭園にしつらえられた、丸いテーブル席だった。
王妃主催のお茶会ということなので、てっきり十人以上は招かれている盛大なものだと思っていたのだが、テーブルは思いのほかこぢんまりとしており、椅子の数も三脚しかない。王妃とミレディアナ、そしてあと一人しか来ない計算になる。
さほど待たされることもなく、王宮の建物から王妃一行がやってきた。ミレディアナは立ち上がり、教科書通りの挨拶をする。
「王妃陛下におかれましては、ご機嫌麗しく存じます」
顔を上げると、王妃の斜め後ろにはガーランド伯爵の姿があった。ミレディアナが軽く目を見張ると、初老の女伯爵は笑みを浮かべて気さくに手を振る。
「来てくださり嬉しく思います。どうぞお掛けになってください」
美しき氷の女王様に促され、ミレディアナは改めて席に着いた。
「本日はお招きにあずかりまして、ありがとうございます」
女官がお茶の支度をしてくれている間に招待のお礼を述べると、王妃は小さく笑みを浮かべた。
「堅苦しいやり取りはここまでにして、あとは気楽になさるといいわ」
そう言ってくれたのは王妃――ではなく、ガーランド伯爵だった。この人、どういう立ち位置だ?
「ガーランド伯爵様、こちらでお目にかかれるとは思っておりませんでした。晩餐会へご招待くださり、ありがとうございます」
「どういたしまして。あなたの夫の反応は?わたくしを悪しざまに言っていたのではなくって?」
「いえ、そのような……。ガーランド伯爵様が社交に疎いわたくしを気に掛けてくださり、直接お誘いくださったのだろうと申しておりました」
「あの男がそんなことを言うはずがないでしょう。上手に言い繕っておられるけれど、少々詰めが甘いわね。それともあのご老人は惚けてしまわれたのかしら」
す、鋭い……!堅物のジェンキンス侯爵は簡単に言いくるめられたのに。やっぱり女性のほうが手強いな……
「うふふ、わたくしの口からはどちらとも。けれど、少なくとも旦那様――ロバート様も、ご招待を嫌がってはおりませんでしたわ」
いたずらっぽく笑ったミレディアナがそう言うと、王妃は黙って目を瞬き、ガーランド伯爵はニヤリとした。
「あら、先日の幼気なお嬢様とは別人のようね。どちらが本当のあなたかしら?」
「先日は……慣れない舞踏会の場で舞い上がってしまいまして。はしゃぎ過ぎたと反省をしております。それに歳の開きが大きいためか、ロバート様はわたくしを幼子のように甘やかされますの。ですのでつい、夫の前ではあのような態度に……。お恥ずかしゅうございます」
路線変更大作戦発動中!
虚実を適度に織り交ぜつつ、ややこしい部分は伯爵のせいにする。ここまで極端に舵を切ってはいないが、これまでのお招きでも淑女らしい落ち着いた振る舞いを見せ、同じような言い訳も披露してきた。あのぶりっ子キャラは間違いなく女性に嫌われるからね。おかげさまで『非常識な結婚にもかかわらず真摯に夫に仕える純粋なお嬢さんなのに、旦那があのような色ボケ老人でお気の毒』とミレディアナ自身の評価は上げつつも程よい憐れみと同情を得られていた。
前世では男性相手のお仕事だったが、同僚の九割は女性である。お客サマに嫌われても収入が減るだけだが、同僚に嫌われると職場自体を失いかねない。接客はまずまず、容姿も十人並みでそう悪くはなかったが、一部のマニアックな層を除いて圧倒的にウケの悪い貧相な身体を自虐のネタに、女の園を極力平穏に渡ってきたのだ。その経験がこんなところで活かされるとは……!
ちなみに、男性の前でも基本的には同様にしているのだが、どうも皆さん一度抱いた幻想……もとい印象を捨てられないようで、男性陣の間では『白い結婚』説がまだまだ有効なようである。男って夢見がちな生き物だ。
これまでのご婦人たちへ向けたものよりも本来の性格に寄せて微調整した言い訳を聞いた女伯爵は「ふぅん」と言ってニヤニヤ笑う。もうやだ、この人。
「さすがは王宮の料理人の手によるお茶菓子でございますね。とっても美味しそうですわ!」
多少のわざとらしさと行儀の悪さには目をつむって強引に話題を変えたミレディアナに、王妃は口元を綻ばせてお茶とお菓子を勧めてくれる。
「甘いものはお好きですか?遠慮せず召し上がってくださいね」
うん、美味しい。料理人の腕も良いのだろうが、さすがは王宮と言いたくなるような、高価だったり珍しかったりする食材が惜しみなく使われている。すごく美味しいんだけど……
(なんか話題ふってくんないかなぁ!?王妃様!)
立場的にも年齢的にも、こちらから積極的に話しかけるわけにもいかず、にこにこしながら黙々とお菓子を食べ続けるしか術がない。
「グレイシア様、あなたがお招きしたのでしょう?お話をして差し上げないと、伯爵夫人が困ってしまっておられましてよ」
待って待って待って!こっちが迷惑しているみたいな言い方やめて!
全方位に対して遠慮のないガーランド伯爵の言葉に、ミレディアナは冷や汗をかく。
「あ……ごめんなさい。お二人が楽しそうにお話されているもので、つい聞き入っておりました」
グレイシアこと王妃が控えめな口調で言った。なんか先日と印象が違う。
「まったく、この方は。公的な場では完璧な王妃として振る舞うことができるのだけれど、私的な場ではこのとおり人見知りのおっとりさんなの」
それも意外なのだが、それよりも……
「王妃陛下とガーランド伯爵様はとても親しくていらっしゃるのですね。ご縁戚関係はなかったように思うのですが……」
「よくお勉強していること。そうね、血縁はないのだけれど、グレイシア様の母上とわたくしの母が仲良くさせていただいていた関係で、赤ちゃんの頃から存じ上げているわ。シャペロンも務めさせていただいたのよ」
シャペロンとは未婚の女性が外出などをする際に付き添って、淑女として相応しい振る舞いを教えたり、助言してくれたりする人のことだ。もちろん令嬢が羽目を外すことのないようにお目付け役を務めるという一面もある。多くの場合、身内の既婚女性がお役目を担うことが多いのだが……
「わたくしは立派な行き遅れだったのだけど、婚約と婚約破棄だけは三回ずつしたことがあったから、世慣れているという意味では資格があるとおば様が判断なさったのね。大胆不敵な方でいらっしゃったわ」
懐かしそうに目を細めつつ、女伯爵は結構な醜聞をケロっと話す。
「それぞれの母と娘が入れ替わっているのではないかと思うほど、わたくしのお母様とクラリッサ様は性格が似通っていらっしゃいましたわね。――それもあって、今でもクラリッサ様のことを姉とも母ともお慕いしているのです」
王妃はミレディアナに説明し、柔らかく微笑んだ。
「でも、わたくしのような縁遠い女がシャペロンを務めたせいで、あなたに良い結婚をさせてあげられなかったのではないのかと申し訳なく思っておりますのよ」
ガーランド伯爵の言葉にミレディアナは危うく紅茶を噴き出しかけた。一国の王妃に向かってなに言ってんの!?
だが王妃はその言葉を気にした様子もなく、「あ、そうそう」と胸の前でポンと両手を合わせた。こっちはこっちでマイペーーース!
「お招きした目的を忘れておりました。グレイ伯爵夫人、わたくしの侍女になる気はありませんか?」
唐突な言葉にミレディアナは目を瞬いた。
王妃はミレディアナを見下して使用人になれと言ってきている訳ではない。王妃の侍女ともなれば、高位の貴族令嬢や令室であることは最低条件。仕事といってもお話し相手や来客の取り次ぎ、せいぜい秘書的な役割程度だろう。この世界で自立して暮らしていこうと望むなら、この上ない職業である。
(優良案件スカウトだけど、ほぼ初対面の私をなんでまた?)
これならば、国王から愛妾へのお誘いを受けるほうがよほど理解できる。
今世では食うに困らず生きることが望みのミレディアナにとっては願ってもないお誘いなのだが……
「身に余るお話をいただき、まことにありがたく存じます。ですが、社交にも疎い世間知らずでございまして、今しばらくは夫の元で経験を重ねさせていただきたいと思います」
伯爵と別居するのはまったく問題ないのだが、あの家の居心地は悪くないし、なによりトリーのことがある。ミレディアナの責任で引き受けた子だ、自立できるようになるまできちんと面倒を見てやらなくては。
(アンヌ様の近くで過ごせるのはとっても魅力的なんだけど……。あの国王や側室と同居するのはちょっとな)
とんでもない泥沼の三角関係に巻き込まれてしまいそうだ。
「そうですか。わかりました」
気を悪くしたふうもなくあっさりと王妃は引き下がり、言葉を重ねる様子もない。あの……もうちょっと説明を……
「グレイシア様、伯爵夫人が困惑しておられましてよ。ご説明してあげてくださいな」
「あら、またやってしまいましたわ。ごめんなさい。――もしもあなたが辛い結婚生活を送っておられるようならば、侍女として王宮勤めをしてはどうかと考えたのです」
うん、最低限の事情は分かった。なんか気を遣ってくださったんだな、ということも。ただ、最低限しか分からない。
「つまりね、グレイシア様はあなたとグレイ伯爵の結婚にまつわる噂を聞いて、若いあなたが日々、夫に嬲り苛まれ、絶望に泣き暮らしているのではないかとご心配なさったの」
(な……なぶり……。えっぐいウワサ流すなぁ、お貴族様……)
陵辱モノのエロ動画か、と思わず遠い目になってしまう。
「王妃の侍女ともなればあの老人でも反対はしづらいでしょうし、あなたの経歴に傷もつかない。そうこうしている間に年老いたあなたの夫は病に倒れ、あわよくば……」
「クラリッサ様、わたくしそこまで申しておりませんわ」
王妃がおっとりと訂正すると、ガーランド伯爵は肩をすくめて笑う。
「まあ、後半は冗談だけど」
笑えない冗談をぶっ放した女伯爵は、ミレディアナを上から下まで無遠慮に眺めた。
「でも、グレイシア様の杞憂だったようね。思いのほか逞しく結婚生活を送っておられるようにお見受けするわ」
「失礼な思い違いをしてしまい申し訳ありません。ちょうど噂を耳にした頃に読んでいた物語と重ねてしまい、気持ちが先走ってしまいました」
ええっと、読んでいたのは恋愛小説でしょうか、それとも官能小説でしょうか……?
口にすることのできない質問をミレディアナは心にそっとしまったが、「あ……」と呟いた王妃が小首を傾げる。
「伯爵夫人は物語をお読みになる?よろしければお貸ししますけれど」
……恋愛小説だと信じたい。
(なんか、この人かわいいな)
思っていたようなかっこいい氷の女王様ではなかったが、公務ではクールなのにプライベートは天然て……なにそれ、萌える。
「ね?グレイシア様はお可愛らしい方でしょう?――それを、あのぼんくらは……!」
「ガッ!ガーランっドッ伯爵様!ここっ、王宮!」
先ほどは強引に聞き流した不敬発言だったが、今回は堪え切れずに礼儀も忘れて突っ込んだ。市井のおかみさんが亭主の悪口を言ってるんじゃないんだから!
ミレディアナの礼を欠いた発言を笑い飛ばした女伯爵は唇を吊り上げた。
「誰かの耳に入るような手ぬかりはしないわ。ここは『王妃の庭』の真ん中だし、周囲に人が潜むことのないようわたくしの手の者を配置しています」
あなたさえ口を滑らせなければ、誰にも知られることはない……とニンマリする。
(怖い!この人、怖いよーーー!!)
敵に回しちゃいけない人だと思い知ったミレディアナは、コクコクと頷いた。
「良い子ね。友情の証として、わたくしのことはクラリッサと呼んでもらえる?」
どのタイミングで友達になったんでしょうか……?などと問えるはずもなく、「よ、よろこんで……。わたくしのこともぜひミレディアナとお呼びください」と引きつった笑顔で答えた。
「嬉しいわ。ミレディアナ」
(いきなり呼び捨て……いえ、もう、お好きなように……)
紅茶と共に色々な言葉を飲み込んだミレディアナがふと気付くと、王妃は静かに微笑んでいたが、うっすらと羨ましそうな表情を浮かべている。やだ、キュンとした!
「あの……ご無礼に当たらなければ、陛下にもミレディアナと呼んでいただきたく存じます」
その言葉に、王妃はパッと喜色を浮かべる。
「よろしいの?ではミレディアナ様と」
「あ、いえ、『様』はやめていただけますでしょうか」
初めてミラたちの気持ちが分かった。誰にでも敬称つければいいってもんでもないね。
なんとか呼び捨てにしてもらえるよう頼み込み、「わたくしのこともぜひグレイシアと呼んでください」という無茶振りを、余人のいないときならば……と条件つきにしてもらえるよう説得した。
なんだかどっと疲れたが、嬉しそうに微笑んでいるグレイシアを見ていると「ま、いっか」という気分になる。あのぼんくら国王に虐げられながらも、会ったこともない女の子へのいたわりの気持ち(多少、現実と二次元を混同していた節はあるが)を失わない、気持ちの優しいこの女性を笑顔にしてあげたい……!そんな義務感が湧きあがってきたミレディアナは、舞踏会へ向けてのダイエット騒動や、ダンスレッスンの際の伯爵の失言などを面白おかしく披露する。キャバ嬢時代は外見で勝負できない分トークで場を盛り上げていた。昔取った杵柄ってやつだ。
お菓子屋さんでのヴィンセント絡みの騒動を話した時には、グレイシアも声を上げて笑ってくれた。
(なんか私、道化師みたいだな)
そのように思わないでもなかったが、充実感に心の中で爽やかな汗を拭う。
「グレイ伯爵の執事というと、あの優男ね。女性からのお誘いを冷徹にあしらう堅物かと思っていたら、ただの唐変木だったとは」
さすがは女伯爵様、上手いことおっしゃる。唐変木……ぜひ使わせていただきます。




