社交の季節
「お気をつけてお帰りください。また王都へお越しの際には、お声なりと聞かせていただけましたら嬉しく存じます」
マリアンヌの温かな笑みに、ミレディアナはわざと拗ねた顔をしてみせた。
「そのようによそよそしいことをおっしゃらないでくださいませ!むしろアンヌ様やお姉様たちにお会いするために王都へ来させていただきますわ。――そのときは旦那様におねだりをして貸し切りにしていただきますので、たくさんおしゃべりをしてくださいませね」
「もう少し普通のねだり事はできんのか?」
娼館の貸し切りをねだる妻とそれに苦笑を浮かべる夫は、女主人と娼婦たちに見送られ、馬車に乗ってスー・ラ・ローズを後にした。
「眠そうだな」
「ええ、少し。アンヌ様のことを思うと心の臓が高鳴ってなかなか寝付かれませんでしたの」
「誤解を招く物言いをするな!」
なんでよ。嘘は言ってませんけど。
「戻ったらゆっくりさせていただきますわ」
「そうだな。そうできればよいな」
なんだかひっかかる言い方をする伯爵に、ミレディアナは眉を寄せた。問い返すと「いや、別に」とはぐらかされる。嫌な予感を抱きつつ、ミレディアナはグレイ・ハウスの扉をくぐった。
「おかえりなさいませ。旦那様、奥様」
「うむ」
「ただいま。……ねえ、なにかおかしなことが起きていたり、悪い知らせが届いたりはしていない?」
別邸の使用人たちと共に出迎えたマリアとローラ、ヴィンセントに恐る恐るたずねると、三人は互いに顔を見合わせ、首を振る。
「いいえ。特には」
代表して答えたヴィンセントの言葉にミレディアナは安堵の息をついた。
(わざわざ怖がらせるような言い方をしないでよね!)
文句の一つも言ってやろうと口を開きかけたミレディアナを、ヴィンセントの声が止める。
「ですが、たくさんの招待状は届いておりますので、お返事を書いていただきますよう」
開きかけた口をそのままに、ミレディアナはヴィンセントの顔を見つめる。
「……招待状?」
「はい。お茶会や夜会へのご招待かと思われます」
「わたくし宛てに?」
「もちろん旦那様宛てもございますが、奥様宛てのもののほうが遥かに多うございますね」
伯爵に目を向けると、別邸を管理する執事からトレイに載った数通の招待状を差し出され、立ったまま差出人を確認すると、「特別な事が書いてない限りすべて断っておけ」と簡単に指示を出している。
「わっ……!」
「奥様」
わたくしもそれで!と叫ぼうとしたミレディアナを、マリアが非情に遮った。
「奥様には、ご自身でお返事をしていただかなくてはなりません」
「えっ!?」
「これまで何十年も社交界を渡ってこられた旦那様と奥様とでは状況が異なります。出席されるかどうかは別として、初めてご招待くださった方へ代筆でお断りするのは言語道断。ご面倒でも必ずご自身でお返事をなさいますように……との、メイヤー夫人からの言伝でございます」
ぎゃあ!見透かされてる!
いつの間にかローラが掲げているトレイにはこんもりとした招待状の山があり、山の手前に特に豪華な封筒が二通並べられている。
「そ、それは……?」
怖々たずねると、ローラが恭しく口を開いた。
「王妃陛下とご側室様からの招待状でございます」
いやーーーーーっ!!
(舞踏会だけ行けばいいんじゃなかったの!?)
話が違う!と思ったが、よく考えると誰もそんなことは言ってなかった。だが、それでも……
「旦那様!わたくしを騙しましたわね!」
八つ当たりと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。
届いた招待状の数と日程的に、すべての招待に応えることは不可能なので、優先順位をつけて出席あるいは欠席の返事を書かなければならない。
マリアからメイヤーお手製の『手紙の文例・マナー集』を渡されはしたが、ここでもまた、ご招待くださった方の社交界での地位や立場、人間関係が判然としない。
早々に自分宛ての招待状を捌き、部屋へ引き上げようとする伯爵を涙目で捕まえて助力を仰いだ。「そんなもの適当に断っておけばよい」とお得意の言葉で逃げ出そうとする伯爵にミレディアナは噛みついた。
「ご自分はわたくしを愛人のいる娼館へ同道させておきながら、招待状の返信すら手伝ってはくださいませんの!?」
「人聞きの悪いことを言うな!儂より満喫しておったであろうが!」
「記憶にございません!ああっ、酷いですわ旦那様!わたくし妻としての矜持をひどく傷つけられましてよ!」
実態はどうであれ、言葉としてはミレディアナの言うとおりである。メイドたちの冷たい視線と、ヴィンセントの「それはさすがにいかがなものかと」という言葉に押し負けた伯爵は、渋々ミレディアナの作業に付き合うこととなったのだった。
「ほら、これで最後だ。気力を出さんか」
「よ、ようやく最後ですのね……」
絵面としては完全に、夏休みの宿題に追われる孫とそれに付き合う祖父である。ぬるくなったコーヒーを一気に煽ったミレディアナは、わずかな気力を振り絞って最後の一通に取り掛かる。
「あら、これはガーランド伯爵様からの晩餐会へのお誘いですわね。ぜひ旦那様と共に……と。でしたら旦那様宛てにお送りくださればよろしいのに」
「あの女もなかなか良い性格をしておるからな。あくまでも招待したいのはそなたで、儂はついでだと言いたいのだろう」
いけ好かん婆さんだ……と、はるかに爺さんである伯爵が言っているのは無視をして、喜んで出席させていただく旨を丁寧にしたためた。
「王妃と側室の茶会はどちらへ行くのだ?」
書いた手紙を読み返すミレディアナに、伯爵は面白そうな口調でたずねる。
王国の女性ツートップからの招待状は、まさかの同日開催だった。
「それは王妃様一択でございますでしょう」
インクの乾き具合を確かめながら、ミレディアナは伯爵に視線を向ける。
「はたしてそうかな?王に疎まれる子なしの王妃と、かつてほどの寵愛はないとはいえ王の唯一の子である姫を産んだ側室……さて、どちらに付くのが得策か」
煽るように伯爵は口にする。性格悪いなこの爺さん。知ってたけど。
「そのようなことをおっしゃって、わたくしがうっかりブリジット様のお茶会を選んでしまったらどうなさいますの?どう見てもあの方、危険人物ではございませんか」
「ただの阿呆だ。大したことはできんだろう」
「お考えの浅い方ほどなにをなさるか分からないぶん、恐ろしくはございません?」
万が一、本人や国王の耳に入ったら、不敬罪で首が飛ぶような会話を二人は平然と交わしている。
「それにしても……。国王陛下はどうしてあれほど王妃様を疎まれますの?」
首を傾げるミレディアナに、伯爵は肩をすくめた。
「気色が悪いからだろう。白蛇のように冷ややかな外見、なにを考えておるか分からんところもまるで蛇だと吐き捨てておったぞ」
「人前でそのようにおっしゃいましたの?」
ミレディアナははっきりと顔をしかめる。最低だな、あの男。
「儂とて女として好ましいとは思わんぞ。そなたも冷たくあしらわれたとは感じなかったか?」
「旦那様はアンヌ様のような、零れるほどに愛嬌のある女性がお好みでいらっしゃいますものね」
そう言ってやると、伯爵はなんともいえない表情を浮かべた。
「わたくしは嫌いではありませんわ。ブリジット様に絡まれているところを助けてくださったようにも思いますし、お姿だって氷の精のように清冽な美しさでいらっしゃいますわよ」
自分で言うのも気恥ずかしいが、ミレディアナがアイドル的な愛らしさだとすると、王妃はスーパーモデル的な美しさなのだ。となると、マリアンヌは千年に一度の伝説的超美人女優と表現するのが相応しいか。娼婦でも聖母でも女王でも女神でも、あの方ならなんだってお似合いになる……。ミレディアナがうっとりと思い描いていると、「またアンヌのことを考えておるのだろう」と伯爵に額を突かれた。




