王都観光
気がつくと、ミレディアナは下着姿で見覚えのない天井を見上げていた。
(…………あー。王都に来たんだった)
前日に一泊しているとはいえ、見慣れない寝室の光景に寝起きの頭が一瞬バグった。また転生しちゃったかと思って焦ったわ。
昨夜、グレイ・ハウスに戻り、ドレスを脱がせてもらって寝台に倒れ込んだのが深夜の2時か3時くらい。髪も解かずに寝てしまったのは初めてだ。舞踏会って疲れるなぁ。
ベルを鳴らすと、すぐにローラが来てくれた。
「奥様、おはようございます」
「おはよう。今、何時?」
「9時前でございます。起きられますか?」
「そうね。ローラはちゃんと休めた?あなた、わたくしよりも遅くに寝たのに、もうすっかり支度をしているけれど」
二、三時間しか寝てなくない?と心配になったミレディアナが問うと、ローラはいつもの穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「はい。きちんと休ませていただきました。それに、わたくしは奥様たちが王宮に行かれている間もゆっくりさせていただいておりましたので。ご心配なく」
マリアには今日の午前中はお休みしてもらっているので、ローラの負担を減らすためにもできることは自分でしないとね!……と思いつつも、しっかりと結い上げた長い髪は自力では解くことすらままならず、入浴前から早速お手数をおかけしてしまう。いや、無理矢理になら解けないこともないんだけど、そうするとあとの手入れで余計に手間をかけちゃうだろうし。……せめて普段の服だけでも、もう少し脱ぎ着しやすいものにできないものかね。今度、マルグリットに相談してみよう。
なんだかんだとローラの手を借りながら入浴と身支度を済ませて階下の居間へ行くと、グレイ伯爵が新聞を読んでいる。
「おはようございます、旦那様。お早いですわね」
お年寄りが無理しちゃダメよー。
「ああ。なに、儂は踊りも社交もほとんどしておらん。そなたに丸投げして座っておっただけだからな」
……それもそうだ。わざとらしく背中を丸めてにこにこ笑っていただけか。
「お疲れでないようでしたら結構なことですけれど」
肩をすくめたミレディアナは運ばれてきた紅茶に手を伸ばしかけたが、伯爵がもの言いたげな笑みを浮かべているのを目にして首を傾げた。
「どうかなさいまして?」
「昨夜、我らが抜けたあとの王宮では、なかなかに面白い噂話が花開いておったようだぞ。――曰く、我々は『白い結婚』なのだそうだ」
「そのようなお話が新聞に載っておりますの!?」
白い結婚……つまり、性的な関係を持たない婚姻のこと。
食事を共にするよりも先に閨を共にした身としてはへそで茶を沸かすような噂だが、確かに昨夜の振る舞いはそう捉えられても不思議ではない。
『スクープ!!放蕩貴族、老いらくの恋はまさかの純愛!?幼妻に誓った“白い結婚”の真相とは!』
そんな見出しが脳裏に浮かび、思わず立ち上がって紙面を覗き込んだミレディアナに、伯爵は呆れた顔をする。
「そのようなくだらぬ記事が載っておるわけなかろうが」
う……いや、だって。スポーツ新聞的なものが、こちらの世界にもあるのかと思ったんだよ。
「し、失礼いたしました。でも、でしたらどうして旦那様がその噂をすでにご存知でいらっしゃいますの?」
至極真っ当なミレディアナの問いに、伯爵は目を見開いた。
「おや、そなたには聞こえぬか?王宮の方角から風に乗ってかまびすしい声が流れてきておるであろうが」
……念のため。本当に一応、念のために耳を澄ませてみたが、当然そんな声は聞こえない。
白々とした視線を伯爵に向けたミレディアナは、椅子に座ってふたたび紅茶に手を伸ばす。よかった、まだ冷めてない。
「旦那様はお耳が良くていらっしゃいますのねぇ」
冷ややかな口調で言うミレディアナに、伯爵は意味深な笑みを浮かべた。
「なに、聞き方にコツがあるだけのことだ。しおらしく『どうぞお教えくださいませ』と頼み込めば教えてやらんこともないぞ?」
うるせぇバーカ。昨夜の意趣返しか?どうせメイドさんがご近所の噂話で聞いてきたとかでしょ。
「まあ、素敵。機会があればぜひいずれ」
そっけなく受け流された伯爵は、つまらなそうな表情を浮かべて新聞を畳んだ。
「本日はなにか予定がございますの?」
味や献立に多少の違いはあるが、本邸に劣らず美味しいブランチを食べながら、ミレディアナは伯爵にたずねた。
「いや、これといってないな。どこか行きたいところがあれば、つつがなく披露目を終えた褒美に連れて行ってやるが?」
つつがなく……かなぁ?
若干、首を傾げる気分ではあったが、わざわざ否定するほどのことでもない。
「王都には明るくございませんので……。旦那様がご案内くださいましたら嬉しいですわ」
伯爵なら超穴場の観光地とか、知る人ぞ知る名店とか、通好みのお店とか詳しそうだし。
「ふむ……」
呟いた伯爵は、笑って頷いた。
「承知した。では、馬車で街中を巡ったのちに、美味いものでも食べるとするか」
やったー!!そうだ!もうダイエットしなくていいんだ!
「楽しみですわ!期待させていただきますわね」
ミレディアナの言葉にニヤリと笑った伯爵は、「任せておけ」と頼もしく請け負った。
◇◆◇
大口を叩いたくせに、街巡りは御者さんに「めぼしい場所を回ってやれ」の一言で丸投げだった。
まあ……いっても街中だし、一番の名所である王宮には昨日すでに行ったので、目抜き通りとか、大きな噴水とか、立派な劇場とか、郊外にある王室所有の狩猟場なんかをホエ~っと馬車から眺める程度だ。
伯爵の身分と年齢的に、物語の定番であるお忍びで街をそぞろ歩くというやつができないのは残念だが、初めての王都観光としてはざっくり全体を見て回るのも悪くない。
目抜き通りでは、「欲しいものがあれば好きに買って構わんぞ」と気前のいい言葉をいただいたのだが、今日のところはやめておいた。――だってさ、話題の大貴族夫妻のご入店ともなれば、きっとどのお店でも下にも置かぬおもてなしをしてくれるじゃない?そんな歓待を受けながら悠々と欲しいものを探したり、「気に入ったものがないからやめておくわ」と言い放ったり……そんな貴族ムーブはちょっとレベルが高すぎる。髪飾りを作ってくれた宝石店もここにあり、「入るか?」と聞かれたが、丁重にお断りした。二日連続で宝石を買うような肝の太さは備えていない。
少し物足りないような表情を伯爵が浮かべていたので、なにもねだらないのも申し訳ないような気持ちになったミレディアナが、「では……」と賑わっている様子の菓子店を指さすと、ちょっと黙った伯爵は御者に合図して馬車を止め、車室の外にある後部座席に座っていたヴィンセントを呼び出してミレディアナに付き添うよう命じた。どうやら、女性客ばかりのお菓子屋さんに入るのは気まずいらしい。フフン、かわいいところもあるじゃないか。
ところが、だ。
久しぶりに『普通』のお買い物を楽しめると思ったのも束の間。ミレディアナとヴィンセントが店内に入ると空気がざわめき、二人に――正確にはヴィンセントに女性客の視線が集中した。
し……しまった!この男の顔面偏差値の高さをすっかり忘れてた。
立地のいい場所に建っている人気店であるとはいえ、扱っているものが菓子なので宝石店やオーダーメイドの仕立て屋ほどの敷居の高さはない。そのため店内は、主人の遣いで買いに来た様子のメイドさんや、お金に余裕のありそうな平民のお嬢さんなどの若い女性で混雑していた。というか、そもそも貴族の女性はこういうお店に自分で買いに来るものじゃないんだね!
明らかに周囲とは身なりが異なるミレディアナははっきりと浮いていたが、そんな問題は些細なほどにヴィンセントが店内の視線を一身に集めてしまっている。
マズイ……!いや、具体的な問題が起きているわけではないのだが……
(いや!やっぱりまずい!)
貴族ではなさそうだが、仕立ての良い服を着たちょっと派手な感じの娘さんが頬を染め、きれいに巻いた髪を触りながらヴィンセントに話しかけるタイミングを探っている。どうやらミレディアナのことは視界に入っていないらしい。このままでは間を置かずに逆ナンが発生するだろう。そして仕事中であり、確実に彼女に興味をもっていないヴィンセントがこれ以上ないくらい冷淡にあしらうことで、間違いなく店内の空気は凍りつく。娘さんの性格次第ではそれ以上の修羅場にだってなりかねない。
不要なトラブルを回避するべく脳みそをフル回転させたミレディアナは、自身に向けられているすべての視線を無視しているヴィンセントの袖を引く。
「ヴィンセント、あなたわたくしと夫婦のふりをなさい!」
「は?」
ミレディアナの小声での指示に、ヴィンセントは怪訝な表情を浮かべる。
(あー!もう!伯爵の腹心のくせに勘が悪いな!)
「このままでは痴情がもつれてしまうのよ!」
焦るあまりおかしな言い回しになってしまった。この説明で奇跡的に理解できたのか、ミレディアナの切羽詰まった表情からなにかを感じ取ったのかは分からないが、曖昧な表情ながらも頷いたヴィンセントの腕を取り、目についた菓子の箱をわし掴む。
「あなたぁ、わたくしこれが欲しいですわ」
甘えた声で『あなた』を強調してやると、店内の空気が一瞬で白けたものに変わった。『ちっ、既婚者かよ』という全員の声が聞こえるようだ。例の彼女の表情は怖くて見ることができない。ひとまず皆さんの劣情に冷や水を浴びせることには成功したようだが、いつどこから『既婚者上等、略奪至上』の猛者が現れるか分かったものではない。ヴィンセントを引きずるようにして居心地の悪い店内を横断し、会計を済ませると品物の包装も断って急いで店を飛び出した。
「私は後ろに……!」
「店内の女性がまだ見ているのよ!『夫』だけ車外に追いやってはおかしいでしょうが!」
小声で言い争いながら車室に乗り込んできた二人に伯爵が訝しげな顔をする。
「旦那様、申し訳ございません……!」
「事情はあとでご説明いたします。ひとまずここから離れてくださいませ!」
ミレディアナの叫び声に、慌ただしく一行は出発した。
「……と、いうことでございましたの」
ミレディアナの説明を聞いた伯爵は腹を抱えて笑っている。
「それで、ろくに店を見ることもできず戻ったわけか」
「ええ、散々でしたわ。屋敷の者は慣れているから気付かなかったけれど、あなたとんだ魔性だったのね」
顔をしかめるミレディアナに、ヴィンセントは釈然としない表情を浮かべる。
「身に覚えがございません。使用人にもおかしな態度をとる者はおりませんし……」
「それは、おまえとメイヤー夫人に面談をさせておるからだ。そもそもの採用条件に、おまえに見惚れない、あるいは一時見惚れたとしても色目を使わないことが入っておる」
伯爵の言葉に魔性の男は絶句している。知らなかったんかい。
「旦那様のお供をして、貴族の女性にお会いすることもあるでしょう?誘いをかけてくる方もいらっしゃったのではないの?」
「それは……。ああいった女性は退屈凌ぎに身分の低い者をからかって遊ばれるものですので……」
「違いますわよねぇ?」
「ああ。確実に本気で口説いておるのだろうな」
伯爵とミレディアナのこれみよがしなヒソヒソ声にヴィンセントは愕然としている。こいつ意外と天然なのか?
「まぁしかし、見目よい男と夫婦を装えてよかったではないか」
からかうような伯爵の言葉にミレディアナは顔をしかめる。
「ちっとも!ヴィンセントったらてんで勘が悪いんですもの。旦那様のほうが機転が利いてよほど素敵でいらっしゃいますわ!」
「それはそれは。光栄なことだ」
軽く笑う伯爵を横目に、中身も確認せずに購入したお菓子の箱を開けてみる。中には、色とりどりの小粒のキャンディのようなものがきれいに並んで入っていた。
食べてみると、薄い砂糖の膜の中に、ほろほろと崩れるお酒の滲みた砂糖らしきものが入っている。ボンボンというやつだ。要するに全体的に砂糖なのだが、食感の違いとお酒の香りがアクセントになっていて美味しいし、見た目もかわいい。
「あら、とっさに掴んだものにしては美味しいですわ。旦那様もお一つどうぞ」
摘まんだ砂糖菓子を伯爵の口に入れてやる。大サービスだ。
「甘いな」
美味しいんだか不味いんだかわからない感想を言う。美人妻に『あーん』してもらえたんだからもっと喜べ。
「ヴィンセント、あなたもいかが?」
一粒摘まんで口元に近づけてやるが、「結構です」としかめっ面を背けられた。
「残念。振られてしまいましたわ」
肩をすくめたミレディアナに、伯爵は楽しそうな笑い声を上げた。




