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転生娼婦の身売り婚  作者: 相澤 伶


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王宮舞踏会(二)

 演奏が始まったのをいいことに、甘えるようにグレイ伯爵の腕を取ったミレディアナは、ブリジットの前から逃げ出して広間の中央へ向かった。

 寓話に出てくる妖精のように愛らしいミレディアナは、音楽に合わせて軽やかにステップを踏んでいる。そんな妻を自由に羽ばたかせながらも落ち着いた物腰でリードする伯爵は、遊び人の面目躍如といったところだ。

 夫妻は楽しげに踊りながら、顔を寄せては何事か言葉を交わし微笑み合っている。

「ご覧になって、旦那様。皆様の唖然としたお顔ときたら!」

「馬鹿共が輪をかけて馬鹿面をさらしておるわ。――しかしそなた、思った以上の役者じゃな。はてさて、この舞台で儂はどのような役柄を当てられておるのかな?」

「あら、降参なさいますの?よろしくってよ。両手を上げて『参りました』とおっしゃってくださいましたら、すぐに教えて差し上げますわ」

「まったく、生意気な娘だ」

 クルクルと踊りながら互いの耳元に囁いているので唇を読まれる心配はないが、万一この場に犬のように耳の良い者がいたとすれば、表情と激しく乖離した剣呑な会話に耳を疑ったことだろう。

 曲が終わり、二人は仲良く壁際へ引き上げる。ミレディアナが果物を使った甘くて冷たい飲み物で喉の渇きを癒していると、「グレイ伯爵夫人、私とも一曲踊っていただけませんか?」と若い男が声をかけてきた。

 ミレディアナは驚いたように目を見張り声の主に顔を向ける。

 いや、まあ、さっきから男性陣がじわじわと距離を詰めてきていたから、そろそろ誰かが声かけてくるだろうと思ってたけど。

 伯爵が隣にいる状況で挨拶もせずいきなりその妻にダンスの誘いをかけるとは、お行儀の悪い若造だ。顔立ちはそれほど悪くもないが、ヴィンセントやジェイスのような桁違いの美貌が身近にいるもので採点はどうしても辛くなる。そしてなにより、大袈裟な身振りでお辞儀をする気取った態度が気持ち悪い。

「サミュエル・エンブリーです。お会いできて光栄です」

 胸に手を当て返事を待つ見知らぬ男の姿に、ミレディアナは困惑の表情を浮かべて伯爵にすがるような目を向ける。

「エンブリーの次男か」

「……はい。グレイ伯爵におかれましてはますますご健勝のよしお慶び申し上げます」

 伯爵を見えないもののように扱っていたエンブリーの次男とやらも、声をかけられて無視することはできないようで、渋々といった様子で挨拶をする。意味としては『年寄りが不相応な若い嫁をもらってお盛んなことですな』ってところかな。……ん?エンブリーって子爵家じゃなかったっけ?格上の年長者に無礼な態度を取るとか……これは馬鹿だな。馬鹿息子だ。

 やり取りを眺めていると、伯爵が胡散臭いほどに柔和な笑みを浮かべて振り向いた。

「ミレディアナ。こちらはエンブリー子爵のご次男であられるサミュエル卿じゃ。――せっかくお誘いくださったのだ、踊っておいで」

「でも……」

 不安そうに瞳を揺らしたミレディアナだったが、優しく笑った伯爵が頷いてみせるとコクリと小さく頷きを返し、緊張の面持ちで男の手を取った。


「ダンスがとてもお上手ですね。足取りが羽のように軽やかだ」

「おそれいります、エンブリー様。不慣れなものでお恥ずかしい限りですわ」

「本当にお上手ですとも。それにとてもお美しい。――どうか、私のことはサミュエルとお呼びください」

 え、嫌です。

 とはいえ、自分で始めた役作り上そうは言えない。はにかむように微笑んで、「サミュエル様」と口にしたミレディアナを見る馬鹿息子の瞳が粘着質な光を帯びる。

「これほどに美しい女性があのような老人の妻であるとは……。なんともお気の毒な限りです」

 わずかに眉を寄せ、首を傾げたミレディアナに男はさらに言い募る。

「伯爵はあなたに惚れ込んでいるようだが……。あなたは果たしてお幸せですか?特に『夜』……満たされない思いをしておられるのでは?」

 あのさあ……初対面の女性に床事情《とこじじょう》聞くとか……。ここは安いキャバクラか?

 興味本位プラスあわよくば……といったところだろうが、今の私はキャバ嬢ではないので相手の下ネタに応じてやる必要もない。

 表情を強張らせたミレディアナは、尖った声を上げる。

「なぜそのようなことをおっしゃられるのかわかりませんわ!旦那様はわたくしを大切にしてくださっています。朝も昼も、もちろん夜も!ずっとずっと幸せに過ごさせていただいておりますのに!」

 美しい瞳にうっすらと涙を浮かべて睨むミレディアナの姿に、サミュエルは言葉を失った。

 大声を出したわけではなかったが、周囲で踊る人々の耳には届いただろう。我に返り、淑女らしからぬ行いを恥じて顔を赤くしたミレディアナは、サミュエルの手を離し後ずさる。

「ご無礼を……いたしました。少し、気分が優れませんので失礼させていただきます」

 そう呟くと身を翻し、伯爵の元へ小走りで戻る。

「あ……!伯爵夫人……!」

 ミレディアナに向かって伸ばしたサミュエルの手は、虚しく空を掴んでいた。

 

 伯爵の元へ戻ったミレディアナは、気づかわしげに声をかける夫に『なんでもないのだ』という風に、だが悲しげに首を振っている。眉を下げた伯爵は、近くにいた給仕の男を呼び寄せるとなにやら命じた。給仕は戸惑った様子だったが、伯爵が軽く手を振って促すと、隣室に用意されている軽食からアイスクリームの器を持ってきて差し出す。

 優しい手つきで頭を撫でた伯爵から小さな器を受け取ると、わずかに微笑んだミレディアナは銀の匙で氷菓を舐め、夫を見つめて嬉しそうな笑みを浮かべた。

 その光景を遠巻きに見る人々は、前評判とのあまりの差異に驚愕の色を隠せない。

 愛らしく純真な伯爵夫人は、一途に夫を慕っているように見受けられるし、色好みのはずの伯爵は、掌中の珠のごとく妻を慈しんでいる。

 期待外れと言えないこともなかったが、それよりも大きな驚きが勝っていた。

「アイスクリームはお気に召しましたか?グレイ伯爵夫人」

 空になった器を笑顔で給仕に手渡したミレディアナに、一人の女性が声をかける。

「あ……は、はい」

 驚いた様子で振り仰いだミレディアナは、小さく笑みを浮かべる初老の女の姿を目にしてハッと口元に手を当てた。

「あ……!こちらの広間で食べ物をいただいてはいけませんでしたでしょうか?申し訳ございません。お行儀の悪いことをしてしまいました」

「ミリィや。そなたの笑顔を取り戻すため儂が命じたことじゃ。気にする必要はない」

「もう!また子供扱いをなさいますのね!わたくしは旦那様の妻ですのよ!」

 好々爺の笑みを浮かべる伯爵に、ミレディアナは赤い顔で抗議する。「そうかそうか」とさらに笑みを深くする夫にぷうっと頬を膨らませたが、声をかけてきた女が奇妙なモノを見るような目を伯爵に向けていることに気がつくと、慌てて立ち上がりお辞儀をした。

「ご無礼を……!」

 身を縮めるミレディアナをまじまじと眺めた女は、伯爵に視線を向けて紹介を促した。

「こちらはクラリッサ・ガーランド伯爵じゃ。クラリッサ殿、妻のミレディアナだ。どうかよしなにしてやってくれ」

「ミレディアナでございます。――ガーランド伯爵様というと、北方ノワナ領を治めておいででございますか?まあ、あの広大なご領地を……」

 尊敬の眼差しを向けられた女伯爵は肩をすくめる。

「行き遅れているうちに父母が亡くなり、結果として女領主となっただけのことでございます。あなたのように愛らしければ婿のなり手もあったのでしょうが、鼻っ柱の強い性格も災いしてこの歳まで独り身を通すハメになりました」

 自虐的に言ってみせるが、その表情に恥じている様子は見られない。

「いえ、とんでもない。わたくしなど地方の出でございますので、知識も教養も足りておらず……。嫁いでまいりましてからこれではいけないと慌ててお勉強をさせていただいておりますが、懸命に学んでも終わりが見えず、眩暈がするようなありさまですの。そのような者からすれば女性の身で立派に領地を治めておられるガーランド伯爵様のお姿は眩しいようです」

 ミレディアナの言葉を聞いたガーランドはからかうように笑った。

「わたくしの名を聞いてすぐに領地の場所や名前が出てくるとは、よくお勉強されているようですね」

 ミレディアナはモジモジと俯き、顔を赤くする。

「あ、その……それは……。実は、わたくしノワナで採れるカエデ蜜が大好きですの。当家で朝食やお茶菓子に使われているカエデ蜜があまりにも美味しくて……。それで、ノワナのことを少し知っていただけでして……」

 食いしん坊と思われるのが恥ずかしいのか徐々に声が小さくなり、赤く染まった頬を押さえているミレディアナの姿にガーランドは目を見開き、愉快そうな笑い声を上げた。

「それはそれは!我が領地の特産品を好んでいただいているとは嬉しい限りです。冬は寒いばかりの土地ですが、よろしければぜひ遊びにおいでなさい」

「まあ!ありがとうございます。嬉しいですわ。生家のあるコーラルでは雪はちらつく程度でしたので、真っ白に積もった雪というものを一度見てみたいと思っておりました」

 打ち解けた雰囲気で笑い合う二人の姿に、様子をうかがっていた周囲の者たちも少しずつ近づいてくる。

 話しかけてくる人々に、ミレディアナは緊張しながらも礼儀正しく接し、楽しげに会話を交わした。グレイ伯爵はそんな妻をにこやかに見守っている。

 何度かダンスに誘われることもあったが、エンブリーの子息と同じ轍《てつ》を踏む者はいなかったため、ミレディアナは慎ましいながらも愛らしい笑みで快く誘いに応じた。

 年若い令嬢たちは、遥かに年長で交流もないグレイ伯爵には近寄りがたく、ミレディアナに話しかける機会を持てずにいたが、何度目かのダンスを終えて多少、場に慣れた様子のミレディアナが軽食の用意されている別室を覗きに行った際、同じ焼き菓子に手を伸ばした少女にニコリと無邪気に笑いかけ、それが契機となって同年代の令嬢たちとも親しく話をすることができた。王国でも有数の富豪であるグレイ伯爵の妻であることを傲慢に誇るでもなく、かといって老いた男に嫁いだことを恥じ入るような卑屈さもないミレディアナの態度は若い娘にとって不可解ではあったが、直接言葉を交わしてみるとその人となりは朗らかで実に話しやすく、ミレディアナが広間へ戻る際には幾人かから「ぜひお茶会へ」との誘いを受けた。


 こうして、ミレディアナは自らの『披露目』を兼ねた王宮舞踏会でまずまずの成果をあげ、日付が変わったのを潮時に、登場時と変わらぬ睦まじさで伯爵と共に王宮を後にした。

 ――二人が去った舞踏会場では、新しくまことしやかな噂が囁かれることになったのだが、ミレディアナがそれを知るのはもう少し先のこととなる。

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