王宮舞踏会(一)
カルドレイン宮殿の大広間は、天井から下がるいくつものシャンデリアと壁の燭台に灯された何千本もの蝋燭の灯りによって、夜間にもかかわらず眩しいほどの明るさだった。
それぞれに趣向の凝らされた美しいドレスで身を飾り華やかに髪を結いあげた貴婦人たちと、格式高い装いで女性陣をエスコートする紳士たちで人いきれするような会場は、天上の神々の世界もかくやというほどに煌びやかだったが、そこで交わされている会話の多くは清らかさとはかけ離れていた。
「まあ、本日の舞踏会は近年まれに見るほどの賑わいですこと」
「ええ、本当に。それというのも……ねえ?」
「皆さまお目当ての方がおありのようで」
手にした扇で優雅に口元を隠しながら、貴婦人たちは意味深な笑みを浮かべた。
「しかし、グレイ伯爵も今さら孫のような歳の娘を娶るとはな」
「いやいや、放蕩者として名を馳せた伯爵を血迷わせるほどの令嬢だ。ぜひお目に掛かりたいものだよ」
「おや、見るだけでいいのかい?」
「おいおい、あの伯爵の妻だぞ?――だがしかし、老人に嫁がされ若い身体を持て余しているようなら……それを慰めて差し上げるのも紳士の務めというものかな?」
酒を手にした男たちは、ご婦人の耳に届かぬように声を潜めて下世話な話に興じている。
若年の令嬢たちは、慎ましく控えながらも興味深い話題に耳をそばだて、歳の近い伯爵夫人に同情しながらも、自分なら恥ずかしくてとてもこの場に姿を見せることなどできない、と思ったり、自分はそのような境遇に陥りたくはないものだ、と考えたり、自覚のあるなしにかかわらず心の内で嘲りの気持ちを抱いていた。
「それにしても……。なかなかお見えになりませんわね」
「夫人が出席を拒んでいるのではありません?お気持ちは理解できますわ」
「先ほど、血相を変えた宝石商がご夫妻の部屋へ向かっていたという話ですよ」
「それはそれは……。何か騒動でも起こりましたかな?」
紳士淑女が含み笑いをしたその時。
「ロバート・グレイ伯爵ご夫妻!」
案内係が呼び上げた名に、人々の間にざわめきが広がり、視線が正面の大扉に集中する。
そこへ姿を現したのは、年齢を重ねて身についた威厳と泰然とした風格を備えた老伯爵、そして、どう見積もってもその孫娘というのが妥当な年齢の、いまだ少女の面影を残した清純な美しさを誇る夫人だった。
うら若き伯爵夫人は会場の煌びやかな様に圧倒されたように立ちすくんだが、伯爵がその耳元になにやら話しかけると、花が咲くような笑みを浮かべて夫の姿を見上げ、睦まじく腕を組んだ姿で軽やかに足を踏み出した。
伯爵夫人――ミレディアナが歩むたびに、花弁のように幾重にも重なったドレスがひらりひらりと揺れる。白を基調とした若々しい意匠は美しい肌を一層引き立て、まるで内側から淡い光を放っているようにさえ見えた。頬を薔薇色に上気させ、夢見るような瞳で華やかに飾られた大広間を見回すと、淡い金色の髪とそれを飾る豪奢な髪飾りが蝋燭の灯りを受けてキラキラとした輝きを放つ。
とうに沈んだはずの太陽が天窓から差し込んでいるのかと、窓もない天井を見上げる者もあるほどに、惜しみなく蝋燭の灯されたホールの中でもミレディアナの周辺は一際、眩しく感じられた。
「ジェンキンス。久しいな」
呆気に取られた人々が見守るなか、ミレディアナを伴った伯爵は立派な風采の老紳士の姿を見つけて歩み寄ると、気軽な様子で声をかけた。話しかけられた相手は迷惑そうな顔をしている。
「ミレディアナ。こちらはアルフレッド・ジェンキンス。旧友だ」
「貴様と友になった覚えはない」
わざわざ近寄って最初に話しかけたにしては、あんまり仲良くなさそうだ。え~っと、アルフレッド・ジェンキンス……と。
脳内に自作した貴族名鑑をめくったミレディアナは、かなり最初のほうのページでその名前を発見し、目を見開いた。
「ジェンキンス様……。もしや、ジェンキンス侯爵様でいらっしゃいますか?」
チラ、とミレディアナに目を向けた男は、不機嫌な表情で頷いた。
伯爵ーーー!!気さくに話しかけるからちょっとしたお知り合いかと思ったら、王国で一、二を争う歴史と格式を持つ大貴族様じゃないか!紹介する時わざと爵位を言わなかったな?この野郎……
最初のご挨拶相手としてはまったく不向きな人物だったが、ミレディアナは優雅に作法どおりのお辞儀をすると、愛らしく微笑んだ。
「妻のミレディアナでございます。お目にかかれて光栄です、ジェンキンス侯爵様。――夫より侯爵様のお話は聞き及んでおりますわ」
事前に入手した情報は謹厳な堅物。相対した印象もそのとおりなので、余計な口は利かず最小限のご挨拶と慎み深い態度を崩さない。
「どうせ碌な話ではないだろう」
侯爵様、伯爵のことお嫌いですか?まあ、気が合う要素なさそうですもんね。
なんでこの人に声かけた?と心の中で悪態を吐きながら、ミレディアナは小首を傾げて大きな瞳を瞬いた。
「いえ?そのようなことはございません。――誠実で信頼に足るお方だと、夫は申しておりました」
『真面目だけが取り柄の、融通の利かん、つまらん男』という伯爵の評価を、ギリギリ嘘にならない範囲で曲解してみた。
ミレディアナの言葉を聞き、不愉快そうに顔をしかめた侯爵だったが、不思議そうな表情を浮かべる少女の目に嘘や追従がないことを見て取ると、「さようか……」と曖昧に言葉を濁し、「楽しんでいかれよ」と不愛想な侯爵にしては破格といえる言葉を残して立ち去っていった。
「旦那様……わたくしを試しましたわね?」
ジェンキンス侯爵の背を見送り、無邪気な笑みを浮かべたミレディアナは伯爵に棘のある声で囁いた。傍目には、有力者との挨拶を無事に終えた幼い妻が安堵して慕わしい夫に話しかけているように見えるだろう。
「なんのことかな?しかしあの堅物に愛想を言わせるとは、なかなかの男誑しよな」
そらとぼける伯爵も、目を細め愛おしむような眼差しをミレディアナに向けている。
気難しいジェンキンス侯爵との挨拶を首尾よく終えた伯爵夫人に対し、周囲の関心がさらに高まっていく。果てのない自己紹介と社交辞令に巻き込まれそうな恐ろしい予感にミレディアナが頬を引きつらせたその時、華やかにラッパの音が鳴り、会場に王と王妃の入来が告げられた。
皆が一斉に広間の正面へ向き直り、上階から王と王妃が姿を現す。
ジロジロ見るわけにはいかないので礼儀正しく視線を下げつつも、こっそりと二人の姿を観察する。
伯爵曰く好色な王様は、中肉中背でこれといった特徴はない。ついでにいうと、立派な衣装で底上げしている割には威厳もない。無理にでも誉め言葉を探すとすれば『いい人そう~』とか『優しそう~』かな。推して知るべし。
一方の王妃様は、王様とは真逆といえた。
透き通るような白い肌に、白に近い金色の髪、瞳は淡い紫色をしている。表情も氷のように硬質で、雪の女王様と言った風情。王様と比べるととっつきやすさはなさそうだが、正直こちらのほうがよっぽど大物感はある。
平凡な王様による平凡な開会の挨拶が行われたあと、国王夫妻によるファーストダンスが始まった。
(ほほう、さすがは国で一番高貴なご夫婦。優雅なも……の……ん?んん~?)
優雅な生演奏に合わせて優雅に踊るお二人なのだが、視線がまったく合っていない。正確には、王妃は王の顔に視線を向けているのだが、王があからさまに目を逸らしている。
喧嘩中……?にしては周囲が平然としているな。
「……このお二人、いつもこんなご様子ですの?」
唇を動かさないように気をつけながら、伯爵の耳にだけ辛うじて届く声量でたずねると、一瞬チラリと視線を寄越し、正面を向いたまま小さく頷いた。
国王は女好きって話だし、側室がいるとも聞いている。王妃との仲が良好とは限らないと思っていたが、せめて人前では取り繕おうよ!
見ていられないファーストダンスが終了すると、国王は煩わしげに手を振り払い足早に玉座へ向かう。王妃は表情を変えることもなく淡々と玉座に並ぶ王妃の座に着いた。
ああ、これ、王様がダメなやつだ。たしか四十三歳だっけ?たとえ王妃様との仲が険悪だとしても、いい大人の取る態度じゃない。
「さあ、皆も楽しく踊るがいい。音楽を――おや?そこにいるのはグレイ伯爵ではないか。隣の女性はご夫人かな?」
まあ、わざとらしい。階段の上にいた時から伯爵の姿を探してたくせに。
名指しされてしまっては仕方がないので、伯爵とミレディアナは揃って玉座の前へと進む。
「国王陛下ならびに王妃陛下にご挨拶申し上げます。こちらは妻のミレディアナと申します」
「ミ、ミレディアナでございます。ご尊顔を拝する栄誉を賜り……き、恐悦至極に存じます」
国で最も高貴な者への挨拶で緊張しているのか、お辞儀はぎこちなく、口上も覚えてきたセリフを一生懸命、間違わないように言っているかのようにたどたどしい。だがそれさえも若く可憐な伯爵夫人には初々しい魅力となり、国王は目を細めて身を乗り出した。
「緊張することはない。楽になされよ。いや、実に愛らしいご夫人だ。ミレディアナ殿は王宮へ来られたのは初めてかな?――ほう、デビュタントの折に一度。なんと、これほど可憐な花を見落としておったとは不覚であった。若い女性には王都の華やかさが喜ばしいであろう。ぜひこれからも頻繁に来られるがよい。その際は遠慮なく王宮へも足を向けられよ。美しい庭園など案内して差し上げよう。そうだ、乗馬はお好きかな?よければ一度、遠乗りへ……」
長ぇよ。
こっちは中途半端にしゃがんだ格好でお辞儀してんだ。早よ終われ。
王妃の前で人妻を口説くとか、思った以上に見境がない。
別に愛国心なんてないけれど、自国の王がコレだというのはちょっと残念な気持ちになるな。
永遠にしゃべり続けそうな王様だったが、伯爵が軽く咳払いをしたことで我に返ると、「本日はよく来てくれた。楽しんでいかれるがよい」と唐突に話を締めた。
「王妃陛下へご挨拶申し上げます」
「よく来てくれました。楽しい時間を過ごされることを願います」
国王への挨拶を終え緊張がほぐれたのか、伯爵夫人から王妃への言葉は落ち着いた滑らかな口調だった。王妃も儀礼的に返事を返し、あっさりと挨拶が終了する。
そう!これでいいのよ!
やれやれと立ち上がったミレディアナの耳に、甲高い声が響いた。
「本当にかわいらしいご夫人でいらっしゃいますわねぇ!陛下!」
先ほどからチラチラと視界の端に映るピンクの塊があるな、とは思ってた。
「グレイ伯爵ともとっても仲睦まじいご様子で、微笑ましいことですわぁ」
妙に国王に馴れ馴れしいこの女性はもしかして……
「これはこれは、ブリジット様。変わりなくお美しい」
皮肉めいた伯爵のお世辞にもかかわらず満足そうな笑みを浮かべているのは、国王の側室であるブリジット・アシュベリー。下級貴族の娘から国王の愛妾となり、娘を産んで側室に成り上がった女性だ。ある意味、見事な出世コースで、同じ下級貴族出身のミレディアナからすれば、尊敬の念すら抱きたいくらいなのだが……
(華やかというか、派手というか……いっそけばけばしいというか)
鮮やかなピンクのドレスに巻き髪、色味の多いこってりとした化粧のせいで年齢不詳な感じはするが、資料によると三十手前だったはず。こちらの世界ではまあまあ落ち着くべき年齢だ。
(服も化粧も自分の好きにするのが一番だとは思うんだけど……。ある程度、年相応ってのも大切ね)
『デビュタントに出席する乙女』をコンセプトとしたミレディアナに言えたことではないのだが、人の振り見て我が振り直せ。自戒の念を心に刻む。
「はじめまして、アシュベリー様」
軽く膝を折ってお辞儀をし、慎ましく視線を下げるミレディアナの頭頂部に、チリチリと焦げ付くような視線を感じる。おお、怖い。嫉妬の炎で焼かれそう。
「んまぁ!見事な細工の髪飾りですこと!伯爵様からの贈り物かしら?ご寵愛の深さを感じますわぁ!」
「おそれいります」
ミレディアナは、はにかむような笑みを浮かべた。
王の好き心を牽制する意図なのだろうが、伯爵とミレディアナの睦まじさを大仰に口に出してくれるのはありがたい。
「本当に愛らしい方!そうだわ!お歳も近いことですし、ぜひ姫とも仲良くしてくださいな。ねぇ、陛下。良い考えだとお思いになりません?」
「あ、ああ。うん?まあ……そう、であるな」
『娘の友達』ポジションにして国王が手を出しにくくする作戦だろう。悪くないとは思うのだが、実のところ国王と同じかそれ以上に、ブリジットとはかかわりを持ちたくなかった。この人、敵になっても味方になっても厄介としか思えない。お姫様に罪はないけれど、極力お近づきにはなりたくないな。
「身に余るお言葉でございます」
具体的な話が出てしまわないうちに丁重に言葉を返して会話を切り上げた。どうにか社交辞令ということで収めさせてくれ。
「陛下。皆、ダンスが始まるのを待ちわびております。演奏を始めるようお命じください」
感情を表さない声音で王妃が王に進言する。
「む……。わかっておる!――演奏を始めよ!」
不機嫌そうな声ではあったが、王妃の言葉に理があるのは感じたのだろう。王が楽団に命じると華やかな旋律が流れ始め、ようやく舞踏会の幕が上がった。




