鈴蘭
「お待たせいたしました。支度が整いましたわ」
グレイ伯爵家がエルガルド王国の王都エルセリオンの一等地に所有している別邸、通称『グレイ・ハウス』の居間に、着飾ったミレディアナが姿を現した。
こちらも正装に身を包んだグレイ伯爵が、その姿をじっくりと眺め、わざとらしく目を見開いた。
「ほう。常にも増して美しいな」
「まあ、ありがとうございます。旦那様も素敵ですわ」
白々しいセリフに優雅な笑顔で応えたミレディアナの側にヴィンセントが歩み寄る。
「王宮ではくれぐれも猫をお脱ぎになられませんよう」
「わかっているわ。任せておきなさい」
ニンマリと笑ってみせるミレディアナに、執事は不信の目を向ける。
愉快そうに笑った伯爵が、ステッキを手に立ち上がった。
「さて、参ろうか。最愛の妻よ」
「ええ、愛しい旦那様」
不誠実な言葉を交わし合いながら、老伯爵とその若妻は肩を並べて扉口へと歩んでいった。
「それにしても、デビュタントの小娘が着るような衣装を仕立てたものだな」
王宮への道すがら、馬車の座席に向かい合って座りながら呆れた口調で伯爵が言った。
「ふふ、似合っておりますでしょう?」
ミレディアナが舞踏会用に仕立てた衣装は、白を基調とした可憐なドレスだった。純白にしてしまっては本当に若い令嬢が初めて社交界にデビューする際に身につけるドレスになってしまうため、淡いピンクのリボンやレースなどで飾り付けられてはいるのだが、見る人にはうら若い乙女のデビュタントを想起させるデザインとなっている。装飾品も白や薄いピンクの真珠、ダイヤモンドなどの、華やかながら清楚なものでまとめてあり、ミレディアナの若々しく清らかな容姿を引き立てていた。
「この意匠を選んだ意図に、旦那様ならきっと気付いてくださると信じておりますわ」
思わせぶりな微笑みを浮かべたミレディアナの言葉に伯爵は、面白そうな顔になる。
「ほほう。謎かけをしようというのか」
「舞踏会など飽きておられる旦那様への良い趣向になるかと思いまして」
「ふぅむ」
(お年寄りには頭を使わせるのも大事だもんね)
ドレス姿をじろじろと眺めて考えを巡らせている伯爵を横目で見やったミレディアナは、馬車の窓から見える王都の景色に意識を向けた。
「王都へ来たことはあるのだろう?」
「ええ、一度だけ。それこそデビュタントの折に参りました」
伯爵の問いに答えたミレディアナは、『ミレディ』の記憶を思い起こす。
父が亡くなり、すでに財政状況に影が差し始めていた頃だろう。新しい衣装を仕立てる経済的なゆとりがなく、母のおさがりの古びたドレスを着ざるを得なかったミレディは、それを恥じて会場の隅で俯いて過ごしていた。
当時のミレディに声を届けることができるなら言ってあげたい。
あなたの愛らしさは流行遅れのドレスくらいで損なわれるものではない、と。
むしろその不憫さをウリにして人の良いお坊ちゃんを狩りにいけ、と。
過去に干渉できないのは分かっているが、ミレディの及び腰がどうにももどかしい。今になって振り返れば、あのデビュタントが困窮から逃れる唯一のチャンスであったのに。
(まあ、その結果、私がここにいるんだけどね)
つらつらと思いを巡らせるうちに、馬車は目的地であるカルドレイン宮殿の入り口に到着した。
(はぁ~、大貴族ともなれば、専用の控室を準備してもらえるのねぇ)
馬車を降りたら舞踏会の会場に直行するのかと思っていたが、伯爵がなにかを言う必要もなく、王宮の召使いによって速やかに個室に通された。動線も工夫されているのか、他の招待客とすれ違うこともない。
弱小貴族としてデビュタントに参加した際は、大部屋のような休憩室の端っこで衣装や髪を直したことを思うとその扱いは雲泥の差。お金があるって素敵なことだ。
休憩が必要なほど疲れてはいなかったが、部屋で少し身体を休め、マリアに身なりを整えてもらう。
王都へはヴィンセントにマリアとローラ、あとは数人の従僕や御者がお供としてついてきた。戦力外のトリーは屋敷でお留守番。この間にメイドの業務を徹底的に仕込まれていることだろう。
王宮へはマリアを伴って来たのだが、この控室があれば舞踏会の間もゆっくりと待っていてもらえそうで安心だ。
……ところで、いつになったら会場へ行くの?
ミレディアナの不審な表情に気がついた伯爵は、「まあ、待て」と澄まして長椅子でくつろいでいる。
「主賓は最後に登場するものだ」
いや、注目の的ではあるのだろうが、別に主賓ではないだろう。厚かましいな。
マリアと顔を見合わせていると、扉がノックされ来客のおとないが告げられた。
入ってきたのは商人風、といっても王宮に入ってきても違和感のない程度には立派な身なりをした男と、もう少しラフな格好をした職人風の男だった。二人に共通しているのは、ここまで慌てて来たのだろうと思われる乱れた髪とあがった息。そして職人風の男の目の下にはくっきりとしたクマがある。……この職人風の男の雰囲気は最近目にした記憶があるな。
「なんとか間に合ったようだな」
唇の片側を吊り上げて笑った伯爵に、商人風は「はっ、大変お待たせをいたしました……!」と深々と頭を下げた。一方の職人風は食い入るようにミレディアナを見つめている。
伯爵に促された商人風は、鞄から革張りの箱を取り出すとふたを開いて恭しく差し出した。
「ふむ……良い出来だ」
中身を確認した伯爵はミレディアナを手招いた。
小首を傾げたミレディアナは、近寄って伯爵の手元を覗き込むと「まあ……!」と小さく嘆声を上げた。
箱の中には、白金の台に真珠やダイヤモンドをふんだんにあしらった豪奢な髪飾りが収められていた。
「これは……鈴蘭ですか?」
一見して高価とわかる髪飾りだが、デザインは可憐な野の花をモチーフにしている。豪華な装飾品にはさほど興味のないミレディアナだったが、愛らしい野の花の髪飾りは素直に美しいと感じられた。
「は……はい。さようでございます。伯爵様のご依頼で鈴蘭を意匠とした髪飾りを作らせていただきました」
ゴクリと唾を飲んだ職人がつかえながら答えた。
「そう……。とても美しいわ。素晴らしい髪飾りですわね。――ところで、旦那様にだいぶ無理なお願いをされたのではありません?」
なぜなら職人の彼の憔悴しきった雰囲気は、数日前に目にしたマルグリットの様子とまったく同じだったから。マルグリットには平謝りに謝ったが、今回のことでオーダーメイドを依頼するには想像以上に時間が必要だということは重々理解した。
「あ、いえ、はい、まあ……その……」
職人はモゴモゴと言葉を濁す。
「旦那様に代わってお詫び申し上げますわ」
庶民育ちの身としてはいたたまれない気持ちになる。当の伯爵は平然としているけどな。このお貴族様め。
「いえ!そんな、滅相もない!――ただ、もしよろしければ、奥方様がその髪飾りを身に付けられたお姿を、一目拝見させていただきたく……!」
職人として作品の出来が気になるのは当然だろう。さっきから強い視線を向けられていたのはそのためか。
「ええ、もちろん構いません。――マリア、髪飾りを付け替えてくれる?」
幸い髪を結い直す必要はなく、マリアが慎重な手つきで髪飾りだけを替えてくれた。
「いかがでしょう。似合っております?」
一応の礼儀として、贈り主の伯爵にまずはご披露。
「――ああ、良いな。そなたに相応しい髪飾りだ」
「素敵な贈り物をありがとうございます。大切にいたしますわ」
身を屈めたミレディアナは、椅子に座る伯爵の頬に口づけた。
……別に高い物をもらったからじゃないよ?場の雰囲気的にこうするのがいいかと思って。本当だってば。
「さあ、ご覧になって。わたくしはあなたの作品を輝かせることができておりますかしら?」
商人は髪飾りを身に付けたミレディアナの姿に息を呑み、「……実によくお似合いです」と商売人にしては素朴にすぎる誉め言葉を吐息と共にもらした。だが、肝心の職人が感想を述べてくれないので不安になったミレディアナが振り返ると、そこには滂沱の涙を流す男の姿があった。
「え、ちょ、ちょっと、どうなさったの!?」
「ぼ、ぼうじわげございばぜん……!か、感慨無量でございばずっ」
いくらなんでも大袈裟な。呆気に取られるミレディアナを尻目に男はとつとつと語り始めた。
「お、奥方様のお姿を拝見したこともなく、髪色もお顔立ちも確とは分からぬままに髪飾りを作らせていただいており、王宮舞踏会で身に付けられる大切な品が果たしてこれで良いものかと不安に感じておりました……!ですが今、奥方様を飾っているその髪飾りは……っ、私の職人人生の最高傑作になると……感じております……!」
お、おう……それはまた……。まあ喜んでくれているなら良いのだけれど。
「そのような素晴らしい作品を身に付けさせていただいて光栄ですわ。では、この次はわたくしの姿形を知ったうえで、さらに素敵なものを作ってくださいませ。……ね、旦那様?」
妻からしれっと次回のおねだりをされた伯爵は苦笑している。
「さて、それでは美しい妻の披露目に参るとしようか」
伯爵の言葉に、姿見で全身の最終確認をしたミレディアナの脳裏に突如、恐ろしい考えが浮かんだ。
(これ、全身でいくらくらいするんだろ……?)
家一軒どころか、下手すると庶民が一生遊んで暮らせるんじゃ……。マズイ、気持ち悪くなってきた。考えるのやめよう。
ぶるりと身震いをしたミレディアナに、伯爵がニヤリと笑う。
「どうした。緊張しておるのか?」
「……武者震い、というものでございます」
真実は言わぬが花、というやつだ。




