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転生娼婦の身売り婚  作者: 相澤 伶


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17/45

短期集中貴婦人講座

「熱いお茶をちょうだい……。砂糖をたっぷりと入れてきて」

 夕刻、書斎の机に突っ伏したミレディアナは、側に控えてくれていたローラに力ない声で頼んだ。机の上には分厚い百科事典のような『貴族名鑑』が広げられている。

 急遽始まった短期集中貴婦人講座。

 もちろん、基本的な礼儀作法や令嬢教育は身につけているのだが、田舎の下級貴族令嬢と、国王を『あの男』呼ばわりする上級貴族の奥方では必要とされる知識量が異なってくる。特に、経済的事情からろくな社交をしてこなかったミレディアナには社交界の知識が不足していた。ひとまずは上位の貴族の名前と身分、ざっくりとした家族構成程度は頭に叩き込んでおかなくては、と分厚い本を渡された。接客業に従事していたので人の名前を覚えるのは苦手な分野ではないはずなのだが、今日一日で得られたのは、ひたすらに細かい文字情報だけが並ぶ本を暗記するのは不可能だという事実だけだった。せめて写真でもあれば外見と関連付けて覚えることもできたかもしれないが、この世界にそんなものはない。それでも血糖値が下がるくらい力は尽くしてみたのだが、残ったものは疲労のみ。

「なにかお力になれれば良いのですが……」

 紅茶と一緒に焼き菓子も運んできてくれたローラが気の毒そうに言葉をかけてくれる。うう、優しさと糖分が染み渡る……

「気にしないで。これまでのんべんだらりと過ごしてきたツケが回ってきただけだから」

 疲れすぎて言葉遣いが粗雑になったが、ローラは気付かないふりをしてくれた。

「ですが……時間に余裕さえあれば、社交界に詳しい方をお招きしてゆっくりと教えていただくこともできたはずですのに」

「……あ、そうなのね」

 結局、伯爵《アイツ》のせいだった。


 このままじゃ無理。

 そう悟ったミレディアナは『社交界に詳しい方』を引っ張ってくることにした。外からお招きする時間的余裕はないにせよ、家の中には適任者がいる。

「あら?旦那様は?」

 責任は責任者に取らせるべきだ。そう考えて夕食の席に向かったが、そこにグレイ伯爵の姿はなかった。

「旦那様は、しばらく留守にされるそうです」

 ヴィンセントが無表情でそう告げる。

 へえぇ。ふぅん。ほおぉ。そうですか。お留守ですか。

「わたくしをこのような状況に追い込んでおきながら、良いご身分でございますわねぇぇぇぇぇ」

 これまでは胸の内にとどめておいた言葉が、思わず口からこぼれ出た。

 ああ、でも、これはもしかして、夜の生活で睡眠時間を削らないようにするための、伯爵なりの配慮だったりするのかなぁ〜?

 低い笑い声をもらすミレディアナから目を逸らすヴィンセント。逃さなくってよ?

「ね〜え、ヴィンセント」

「は……」

 猫なで声にあからさまに引いているヴィンセントに、ミレディアナの赤い唇が弧を描く。

「あなた、旦那様のお供をして王都へ行ったこともあるわよね?なら……明日からわたくしの勉強に付き合いなさい!」

「私は貴族の方々を直接存じ上げているわけでは……!」

「間接的にも存じ上げないわたくしよりはマシでしょう!あんな字ばかりの本をいつまで読んでいても、覚えられる気がしないのよ!四の五の言わずに手伝って!」

 迫力に押されたヴィンセントに不承不承ながらも引き受けさせると、わずかに心が軽くなった。恨むならご主人様を恨んでね。


 ◇◆◇


「奥様、午後からは……大丈夫でございますか?」

「メイヤー夫人……ええ、まあ……大丈夫といえば大丈夫よ」

 疲労困憊したミレディアナに、メイヤーが気遣わしげな顔をする。

「まあまあ、紙がこのようにたくさん……」

 手を動かした方が頭に残るからと、覚えるべき貴族の情報を、ヴィンセントから聞き出した外見的特徴やエピソードと併せて書いていた紙が、机周りの床にまで散らばっていた。拾い集めてくれていたメイヤーが内容を目にして絶句する。

「……奥様、こちらはくれぐれも余人の目に触れることのないようにお願いいたします」

「わかっているわ。このようなもの、噂だけでもご本人の耳に入ろうものなら社交どころではないものね。すぐに燃やしてしまうから安心してちょうだい」

 外見的特徴や記憶に残るエピソードって悪口と紙一重だ。

 例えば……

『リベラ伯爵・47歳・妻あり(病気療養中。愛人と駆け落ちしたという噂あり)・息子二人(25歳、22歳)・肥満体形・頭髪少量』

 うん、覚え易い。でも、こんなの本人に知られたら貴族社会じゃなくったって人間関係崩壊だ。危険なものは即、隠滅。メイヤーから受け取った紙束を早速、暖炉に放り込もうとしたミレディアナをヴィンセントが制止する。

「危険ですので、私が」

「そう?では、お願い。……それで、午後はなにをすれば良いのかしら?」

 機密書類が暖炉の中で燃え尽きるのを見届けていたメイヤーが、はたと手を打った。

「さようでございました。午後は仕立て屋がまいります。王都での衣装をお作りいたしますので、意匠や色のご希望がございましたらお申し付けください」

「衣裳部屋いっぱいのドレスがあるのにまだ作るの!?」

「奥様……王宮の舞踏会でお召しになる衣裳でございますよ?特別に誂(あつら)えるのは当然のことでございます!」

 あわわわわ……!余計なことを口にした。『おとなしくメイヤー夫人に従うことだ』という伯爵の忠告がよみがえり、慌てて神妙に頷いた。

「わ、わかりました。ドレスの希望ね?午後までに考えておきます」

 そう言って逃げるように部屋を出たミレディアナの背を見送ったメイヤーは、頬に手を当ててため息をつく。

「伯爵家の奥方ともなれば、家を傾けるほどに衣装や宝飾品を求められる方もいらっしゃいますのに、まあ、あの方は……。それはそうと『お勉強』の進み具合はいかがですか?」

「はい。決して覚えが良いほうではないですが、ご自身で工夫をしながら熱心に……というか、鬼気迫るご様子で頭に叩き込んでおられます」

 ろくでもない風聞も含めた貴族たちの情報をブツブツ呟きながら部屋中を歩き回り、暗記しているその姿はとても人に見せられたものではなかったが、思いがけないひたむきさにヴィンセントは率直に驚いていた。

「そうですか……。貴族のご令室らしからぬ点も多少ございますが、お輿入れ前に危惧していたよりもずっと、奥方として立派に務めてくださる方なのかもしれませんね」

 伯爵の孫のように年若い令嬢だ。睦まじい夫婦となることなどまずあり得ないと誰もが考えていたし、顔を合わすことさえ拒むような冷え冷えとした関係になるのではないかと懸念していた。それを思うと、一般的な貴族の夫婦としての仲睦まじさとは少々異なる様子とはいえ、それなりに良い関係を築いてくれているのは、仕える身として本当にありがたいことだった。


 ◇◆◇


「いいえ、それでは伯爵様との釣り合いが取れません!もっと豪奢で高貴な装いを!」

「ですが、夫人の清楚なお美しさを引き立てるには軽やかなご衣裳が最適かと!」

 当人そっちのけで侃々諤々(かんかんがくがく)と意見を戦わせているのは、メイヤーと仕立て屋のマルグリットだった。

 年の頃は二十代半ばと思われるマルグリットは、ミレディアナの思い描く『お洋服屋さん』の華やかなイメージとは正反対の女性だった。おしゃれが好きでこの仕事に就いたわけではないのかな?と思うような、機能性のみを重視した地味な装い。お愛想の一つも言わないつっけんどんな態度。どう考えても貴族相手の商売は向いていなさそうだけど……と思いながら、布地やデザイン画をテキパキと広げる仕立て屋を見ていると、メイヤーが耳元にそっと囁いた。

「態度に難はございますが、仕事の腕と速さは保証いたします。不快に思われるかもしれませんがご容赦を……」

 なるほど、口数の少ない職人肌の人なのね。

 ――そう思っていたのだが、いざ打ち合わせが始まると顧客の要望すら吹き飛ばす勢いでゴリゴリ意見を出してくる。相手がメイヤーだから押し負けないが、ミレディアナなら言われるがままになっていただろう。二人の熱戦を長椅子でぼーっと眺めていたが、こりゃ収拾が付かないな、と考えて口を挟むことにした。

「メイヤー夫人。本職の方のご意見に従っても良いのではない?」

「ですが!奥様は……その……大変に若々しくていらっしゃいますので、それを引き立てるようなご衣裳では旦那様と並ばれたときの釣り合いが……」

「衣裳くらいで釣り合いが取れるような年齢差ではないでしょう」

 気楽に笑って手を振ると、眉間を押さえて大きくため息をついたメイヤーはなにかを言いかけてためらうように口を閉じた。――んん?

「なにか気にかかることがあるなら言ってちょうだい」

「は……いえ、私の考え過ぎで奥様に余計なご心配をおかけするわけには」

「杞憂でも構わないわ。結果的になにもなければ、それはそれで良いじゃない」

「申し訳ございません。――舞踏会で、奥様は良くも悪くも注目の的となられるでしょう」

「でしょうねぇ」

 茶化すように合いの手を入れたミレディアナに、「冗談ではないのだ」と言いたげなメイヤーはたしなめるような視線を向けた。

「旦那様は……お若い奥様のご負担になることを憂慮なさって、大々的に社交界にお連れになってこられませんでした。それゆえ……と申しますか、一部の方々の間では様々な噂が流れておるようでございまして……」

 ああ、なるほど。

『老いた富豪に金で買われた美しき悲劇の令嬢!姿を見せぬその理由は絶望に泣き暮らすゆえか、それとも老夫の妄執か!?』

 昔の二時間サスペンスのタイトルみたいな噂が流れてるってわけね。

 ミレディアナの負担を憂慮して……という点には首を傾げたが、おおよその事情は理解した。

「せめて豪華なお衣装を仕立て、旦那様が奥様を大切にされていることを皆様に明らかにしたい、と愚考いたしました次第です」

 大切に……という点にはふたたび首を傾げたが、まあ、冷遇はされてないか。

「つまり舞踏会には、わたくしと旦那様の冷え切った関係を一目見たいとお望みの方々が、好奇の目を光らせて集っていらっしゃるということね」

 歯に衣着せぬミレディアナの言葉に、メイヤーは何度目かのため息をついた。マルグリットはというと、無反応で新しいデザイン画を描いている。気遣いで聞こえないふりをしているというより、本当に興味がなさそうだ。

「では……こういうのはどうかしら?」

 長椅子から立ち上がったミレディアナは、デザイン画の束を取り上げてパラパラとめくりながら、にっこりと微笑んだ。

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