藪をつついて蛇を出す
猫かぶりをやめたミレディアナが奔放に振る舞うことをヴィンセントは警戒していたようだったが、そんなつもりはそもそもなかった。派手な社交がしたいわけでも、奇抜な言動で注目を集めたいわけでも、貴族社会に革命を起こしたいわけでもない。日々平穏がモットーです。
所詮、虎の威を借る狐ではあるのだが、屋敷内では多少の権力があったもので今回はつい目の前の理不尽に噛みついた。とはいえ、これからも屋敷の中で慎み深く暮らしていくことに不満はないのだ。
「王都へ行くぞ」
今朝方のやり取りなどなかったかのように磊落な笑みを浮かべるグレイ伯爵の言葉に、ミレディアナは首を傾げた。
「王都へ?もちろん異存はございませんが、なにをしに?……いえ、そんなことより旦那様、ご覧のとおりわたくし入浴中なのですが」
床が大理石張りである点を除けば居室とあまり変わりのない場所に浴槽が据えてあるだけなので会話に不都合があるわけではないのだが、遠慮してほしい状況ではある。
現にローラは目のやり場に困っている様子だし、キャリーはあからさまに挙動が不審。平静なのはマリアだけだ。
「うむ。良い眺めだ」
見るな。減る。
わざわざ浴槽の横に運ばせた椅子に偉そうに座ってセクハラ発言をかます伯爵を軽く睨んだミレディアナは、ため息をついてメイドたちを下がらせる。
「あとは自分でするから下がってちょうだい。着替える時にまた呼ぶわ」
「かしこまりました」
湯冷めしないように部屋の温度は高めだが、おそらくはそれ以外の理由で顔を赤くして退出したローラとキャリーに心の中で謝りながら、浴槽の縁に腰掛けた。
「タオルを取ってくださいます?」
髪を絞りながら言う。伯爵サマに頼むべきことではないのは承知しているが、この状況で礼儀を守るのも馬鹿馬鹿しい。
「ほれ。拭いてやろうか?」
「旦那様のお手を煩わせるなどとんでもない。……おとなしくなさっていてくださいませ」
邪険に言葉を返すミレディアナに、伯爵は肩をすくめる。
「それで、王都にはどのような用向きでまいりますの?わたくしがご一緒してお邪魔になりませんかしら」
皮肉を聞き流し、伯爵はニヤリと笑う。
「そなたがおらねば話にならぬわ。此度の王宮舞踏会は、我が妻の披露目も兼ねてのものじゃからな」
は…………?披露目……?王宮舞踏会……?
「嫁いでくる際に伝えたであろうが。式は挙げぬが折を見て披露目をする、と」
親戚との食事会かなんかだと思ってたわ!
大金持ちの大貴族ではあるのだろうが、一介の伯爵の後妻の披露目を王宮の舞踏会でするってどういうこと!?
平和な田舎のお屋敷で、健康的で文化的なお気楽ニート生活を……もとい、慎ましく貞淑な妻としての人生を送ろうというミレディアナの目論見は、一瞬で綿毛のように吹き飛ばされた。
あまりのことに、髪を拭く手を止めたまま、はくはくと口を開閉する様を愉快そうに眺めながら伯爵は言葉を続ける。
「先だって王都へ行った際に、そなたは同行しておらぬのかと貴族共が喧しくてなぁ。儂も歳ゆえ妻を連れて知人の元を訪ね回るのは億劫なのだと嘯いておったら、巡り巡ってこのような次第となった」
一から十までおまえのせいじゃねぇか!
無駄に元気があり余っているくせになんて厄介な嘘を。この男の口車に乗る王室も王室だ。
「王もそなたに興味を持っておるのだろう。あの男も好色であるからな」
仮にも王様をあの男て。この国は君主も臣下もゲス揃いか。
「華やかな舞踏会に連れていってやろうというのに、そのように不機嫌な顔をするものではない。――上手くゆけば王の愛妾の座でも転がり込んでくるかも知れんぞ?」
「新妻に勧める座ではございませんわね。――お話は分かりましたので、いい加減に出ていってくださいませ」
いつまで裸のまま会話させる気だ。
「着替えくらい手伝ってやろうに」
「旦那様には美しく装った姿をお見せしたいのが女心というものですわ。ということで、速やかにご退室を」
やれやれと首を振った伯爵は、浴槽から上がろうとするミレディアナに手を差し出した。伸ばしかけた手がふと止まる。
「よろしいの?わたくし、先ほどダバに触れましたわよ」
フンと笑った伯爵は、手を取ると鼻を近付けた。
「獣の臭いは感じぬな」
言うと、そのまま手の甲に口づける。
(へえ)
貴族にしては、上出来か。
上から目線で評価をすると、ありがたく手を借りて浴槽を出た。簡単に身体を拭いてガウンに手を伸ばすと、取り上げた伯爵が羽織らせてくれる。
「あら、おそれいりま……ヒッ!」
背後から首筋を舐められたミレディアナは悲鳴を上げる。反射的にすくめた首に軽い痛みを感じた。
「旦那様!お戯れが過ぎますわよ!」
叫び声に高笑いを返した伯爵は、ようやく浴室から出て行った。
あんにゃろう……と首筋を撫でた指先に違和感を覚える。
(あのジジイ、噛み痕つけていきやがったーーー!)
今朝、目にした、威厳ある姿は幻だったに違いない。
上がった分の好感度をきっちり下げた伯爵の姿はすでになく、残されたミレディアナは頭を抱えてメイドたちへの言い訳を考えていた。
◇◆◇
「理不尽ですわ。どうしてわたくしまで叱られなくてはなりませんの?」
「メイヤー夫人を逆撫でするようなことを申すからだ」
「旦那様のせいではございませんか!」
翌朝、ミレディアナの居間に運ばれた朝食を共に食べながら、夫婦間では小競り合いが行われていた。
話は数十分前に遡る。
まだ完全に目覚めてはいないぼんやりとした頭で庭の木々に目を向けながら熱い紅茶を啜っていると、寝室の扉がノックされた。これまでの経験上このタイミングで部屋に来るのは伯爵に用のある執事か家政婦長であることがほとんどだったため、寝台で新聞を広げている伯爵に視線を向けると、新聞を置いて立ち上がり扉へ向かった。
居間で話している相手は声からしてメイヤーのようだ。珍しいことではないので特に気にならなかったのだが、「は!?」という尖った声に驚いて顔を上げた。
細かい内容は聞こえないが、声の調子から察するにメイヤーが伯爵を責めているらしい。
(おお、怒られてる怒られてる)
純然たる野次馬根性で扉に近付き、そっと顔を覗かせた。
「奥様……お騒がせをして申し訳ございません」
「構わないわ。どうかしたの?」
内容の如何を問わず、メイヤーに加担して伯爵を責める心づもりでワクワクしながら、口調だけは気遣わしさを装って聞く。
「それが……旦那様より、ひと月後の王宮舞踏会に奥様も同伴なさるとたった今、伺いまして」
「わたくしも昨日、聞かされたわ」
怒っている理由は分からないが、嘆かわしげに調子を合わせる。――ん?ひと月後?
「あら、一ヶ月も先のお話でしたのね。浴室にまで押しかけて来られたもので、今日にでも出立するのかと思っておりました」
メイヤーへの告げ口のつもりで独り言のように呟いた。
それにしても、私もすっかり貴族の生活に毒されてしまったな。生活のあらゆる準備をメイドがしてくれているもので、旅行の日程すら確認するのを忘れてた。
ちょっぴり反省していると、メイヤーがこちらを怖い顔で見ているのに気がついた。あれ?
「今日にでも……?冗談をおっしゃられては困ります!王宮舞踏会でございますよ!?一ヶ月でも準備の時間が足りませんのに!」
頭ごなしに叱り飛ばされ、首をすくめて隣を見ると、同じく首をすくめた伯爵が「バカモノ」と声を出さずに呟いた。いや、私のせい!?
寝間着姿の伯爵夫妻が立ったまま家政婦長に叱られるという情けない光景を、他の使用人に見られずに済んだのは幸いなことだった。
「この朝食を食べ終えてしまえば、出発までのひと月の間、わたくしに自由な時間はないようですわ」
さすがに大げさだとは思うが、これまでのようにダラダラ過ごすことはできないだろう。嘆くミレディアナに伯爵は果物の載った皿を寄せてきた。
「これでも食べて機嫌を直せ。まあ、大人しくメイヤー夫人に従うことだ」
フルーツくらいで機嫌を取れると思うなよ?食べるけど。
「それにしても、一ヶ月もなんの支度をするのでしょうか?」
瑞々しい果物を味わって首を傾げたミレディアナに「さあな」と答えた伯爵は、紅茶のカップを傾けて表情を隠した。




