厩の愉快な仲間たち
「本っ当に申し訳ございません!この男はイーサンという厩番で……」
「あら、ここの使用人だったのね」
今さらではあったが、厩舎で騒ぐのは良くないとダニエルに促されたミレディアナたちは外に出て、改めてイーサンと向き合っていた。
「イーサン!あんたはお輿入れの日にもお姿を拝見したでしょう!それを覚えてないどころかよくも馬泥棒だなんて……!」
「……が…………い」
「ミラ、ミラ。イーサンがなにか言ってるわ」
ふてくされた顔で座り込んでいたイーサンが小声でなにかを呟いた。ミラがギロリと睨んで促すと、渋々ふたたび口を開く。
「……服が違う。あの時は変な帽子もかぶってたし、分かるわけない」
地面を見ながら不満げな口調でぼそぼそ言ったイーサンの後頭部を「言葉遣い!」と怒鳴ったミラが良い音をさせて叩いた。
『変な帽子』とは、花嫁衣裳代わりのドレスを着ていた時の帽子だろう。衣装に合わせたものではあるが、ツバも大きく装飾過多の実用的でない代物ではあった。
いや~、しかし新鮮な気分だ。この外見になってから初対面の相手に見惚れられないことはほとんどなかったのだが、イーサンには顔を覚えられてすらいなかった。
「ミラ、わたくしは構わないから、もうそれくらいにしてあげて」
苦笑したミレディアナに、ミラは苦い顔で首を振る。
「いいえ、奥様。この馬鹿は昨夜の騒動の際にも、なにもせずただまごついていただけの役立たずなんですよ!そうだ!この子にも謝りなさい!」
「あ、いえ、あの、わたしは別に……」
指さされたトリーは慌てて首を振っている。
「ああ……あの時、小屋の前にいた男だったのね……」
不穏な響きを秘めた声に、イーサンはビクリと顔を上げる。
ミレディアナは凍てつくような視線でイーサンを見下ろしていた。
「あの男たちを止めることはできなくても、屋敷へ助けを求めに来ることくらいはできたのではない?幼気な少女が危機に晒されているのを見ていながらなにもしないのは、悪事に加担しているのと同じことよ。…………今回だけは見逃してあげるけれど、次はないと思いなさい」
「ぼ、ぼくはなにも……」
斜め下をチラチラ見ながら無謀にも口答えを試みたイーサンだったが、伝承に出てくる魔女のような恐ろしい表情で睨みつけられるとそれ以上声を出すことはできなかった。
「なにをしているの?さっさとお立ちなさい」
「は……は?」
「奥様の声が聞こえなかった?さっさと立つのよ」
鏡に映った姿のように、全く同じ冷たい表情で左右から見下ろしてくるミレディアナとミラをキョトキョトと見回すイーサンは、この期に及んで「な、なんで……」と呟いて座り込んでいる。その瞬間――
「「この子に謝るために決まっているでしょう!!!」」
堪忍袋の緒が切れた二人の怒声がイーサンの両耳を貫いた。
「本当に申し訳ございません。動物の世話だけは熱心にするんですが、それ以外のことはなに一つできない困った男で……」
我がことのように謝るミラの姿に、もしかして姉弟なのかと聞いてみたが、赤の他人なのだそうだ。ミレディアナの言葉にミラはもとよりイーサンまでもが嫌そうな表情を浮かべている。「こんな恐ろしい女が姉だなんて絶対にごめんだ」とそっぽを向いて呟き、ミラに口元を捻り上げられている。学習能力ないな、コイツ。
二人に睨まれ、立ち上がったイーサンは不承不承トリーに向かう。でも、なんで謝らされているのか分かってないんだろうなぁ。
徒労感を覚えるが、なにもしないよりはマシだと思い見ていると、『悪かった』の「わ」を言いかけたところでイーサンはあんぐりと口を開いて固まった。怪訝に思って声をかけようとすると、ものすごい勢いで振り返ったイーサンが目を見開いて迫ってきた。
「おい!あれはダバじゃないか!なんでダバがここにいる!?」
「え、あ、あの子はトリーのダバよ。いえ、でも、今日からはこの伯爵家のダバとなったのです。ですから……」
虐げることは許しません――そう言おうとしたミレディアナの言葉をイーサンは最後まで聞いてはいなかった。
「この家の!?ここのダバなんだな?ならぼくに世話をする権利があるんだよな!?」
一息にそう言うと、返事も聞かずに飛び跳ねるような足取りでビリーの側へ駆け寄り、熱心な……いささか熱心すぎる……乏しい語彙力で表現するなら、イッっちゃった目つきでビリーを眺め回している。
「ダバだぁぁぁ!馬に似てるけど……いや、でも色々違うな。体格は同じくらいか……でも、筋肉が違う。すごい筋肉だなぁ。たてがみは馬より長い……いや、でもこれは個体差かも……。ん?飼葉を食べているのか。でも雑食だよな。色々食べさせてみたいなぁ。角!角ぉ!んふぅ、うへへへへ」
早口の独り言を呟きながら不気味な笑い声をあげるイーサンを、面倒くさそうに一瞥して飼葉を食べ続けているビリーを除き、その場にいた全員が――耳の聞こえないダニエルまでもが、引きつった表情で遠巻きに見ていた。もちろんミレディアナもその一人だったのだが、イーサンの言葉を聞いて気になっていたことを思い出した。
「そうだ……アクジキってなんなのかしら?」
その言葉にトリーは俯き、ミラは困ったような表情を浮かべた。
「それはですねぇ!」
気まずい雰囲気を物ともせず、イーサンが嬉々として口を開く。
「アクジキはダバの異名……というより蔑称です!ダバは飼葉や草だけでなく、野菜屑でも残飯でもなんでも食べてしまうんですよ!動物の死骸なんかがあれば骨まで食べ尽くすそうですし、なんと、人間や動物の排泄物まで食べるというから凄まじい!汚物だろうが残飯だろうが死肉だろうが喰らい尽くすその姿が、意地汚く、汚らわしく見えることからダバは『悪食』と蔑まれ、今ではダバだけでなくダバ遣いのこともまとめてアクジキと呼ぶように……!」
「イーサン!わかったわ!もうわかったから一度黙って!」
イーサンの話は興味深くはあったのだが、『死肉』『汚物』『汚らわしい』などの言葉か出る度にトリーの表情が強張っていく。焦ったミレディアナが制止するが、興奮に瞳を輝かせるイーサンの耳には届かない。
(この男っ!目ェ覚ませや!)
周りが一切見えていない男に向かって振り上げたミレディアナの震える拳を、ミラがそっと押し止めた。「私が」という静かな声に頷きを返すと、間髪入れずに、隕石のような勢いでミラの拳がイーサンの脳天に落とされた。
「!? !? !?」
絶好調のトークを遮られたイーサンは、なにが起きたのか理解できていない表情でミレディアナたちを見回している。
フーッと大きな吐息をついて、ミレディアナは天を仰ぐ。
――オタクって、どこの世界でも同じなんだな。
「ところでさっき言っていた、あの三人が仕事をしていなかったというのは本当なの?」
ミラの鉄拳制裁によって強制的にクールダウンさせられたイーサンはブツブツと不満をこぼしていたが、ミレディアナによってビリーの世話係に任命されると上機嫌で張り切り出し、まずは汚れっぱなしのビリーをトリーに手伝わせて洗っている。
その様子を眺めながらミラに問うと、苦い顔で頷いた。
「本当です。元々、仕事熱心な人たちではなかったんですが、人付き合いが苦手な分、黙々と働くイーサンが来てからは、どんどん仕事を押し付けるようになってしまって」
「ヴィンセントに訴えることはできなかったの?」
脅迫でもされていたのだろうか?
「私もそう言ったんですが……その……ヴィンセントさんに話しかけるのが怖いから無理って……」
ああ……なんとなく分かる。公正でそう悪くない上司だとは思うんだけど、冷たい感じと威圧的な雰囲気が、陰キャにはハードル高いよね。
「私から言うのもおかしな気がしてお伝えしていなかったんですが、そのせいでトリーに恐ろしい思いをさせてしまって……申し訳ないことをしました」
「悪いのはあの三人と、黙っていたイーサンよ。あなたが気にする必要はないわ。それより、サボっていた人たちとはいえ一気に人手が減ってしまったけれど、厩舎に人を増やさなくて大丈夫かしら?」
イーサンに聞いたところでまともな返事が返ってくるとは思えなかったので、ミラにたずねる。
「ええ、大丈夫です。私とダニーもおりますし。……元々、この見た目と耳のせいでまともな仕事のない私たちに伯爵様がご厚意で森番の仕事を与えてくださっておりましたので、忙しいわけではないんです」
「そう、旦那様が」
「その、お歳も離れておりますし、色々な噂はございますが、伯爵様は悪い方ではございませんよ」
ミラよ、私は別になにも言ってないんだが?
「ええ、そうね。きっと良い方なのでしょうね。イロイロと噂はおありだけれど」
ニンマリと笑って言外に含みを持たせたミレディアナに、ミラは小さく首をすくめた。
「あら、ビリー!見違えたわ。すっかり綺麗になったじゃない」
丸洗いされ、ブラッシングもしてもらったビリーは、こざっぱりとした見た目になっていた。ブライアンのようなスラリとした美しさはないが、野性味があってかっこいい。
「当然ですよ。穢れだなんだは愚か者たちがほざく迷信に過ぎない。手入れさえしてやれば他の動物と変わらないんだ。あんたも飼い主ならちゃんと気遣ってやれ。ダバの並外れた頑丈さがあればこそ弱ることも病むこともなかったのかもしれないが、人間の都合で動物を飼育するのであればそれに見合うだけの感謝と待遇を与えるべきで」
「はいはいはい。よく分かったから。イーサン、ひとまずその辺で。――ビリーの寝床なのだけれど、厩舎で飼うのは無理かしら?」
見た感じは似てるけど馬とは別の動物のようだし、ケンカしたりするのかな?
「どうでしょうね。一緒に飼った例を知らないので分かりませんが、ぜひ試しましょう。当面はぼくが厩舎に寝泊まりして目を離さないようにするので問題ありません」
「そ、そう?無理のないようにね……」
キラッキラした目で自らブラック勤務を申請してきたイーサン。制止しても無駄なのは誰が見ても明らかだった。
◇◆◇
「奥様!」
ミレディアナたちの姿を見かけた使用人の誰かが伝えたのだろう。厩舎の外でブライアンやビリーと遊んでいるところへ、屋敷からヴィンセントが駆けつけてきた。
「なにをなさっているのですか!?」
「なにって、ブライアンとビリーが仲良くできそうか見ているのよ。ミラやダニエルもいるから大丈夫。あなたがいるとイーサンが隠れてしまうから、屋敷に戻ってお仕事なさい」
ひらひらと手を振って追い払う仕草をしてみせると、美貌の執事は怪訝な表情を浮かべる。
「イーサンが隠れる?それはどういう……」
「あなたのことが怖いそうよ」
「はぁ!?なぜですか?彼に怖がられるような覚えは……」
「自らを省みてみることね」
悩め悩め!
クスクス笑いながら、ちょっぴりショックを受けた様子のヴィンセントを眺めているミレディアナを見たミラが、頬に手を当てて首を傾げた。
「奥様は……なんというか、お噂とはずいぶん違っておられますね」
「ふふ。かぶっていた猫の皮が綻び始めてしまったので、このあたりが潮時かと思って」
「…………当家の品位を落とすことのないように願います」
悔し紛れと本音が半々といったところのヴィンセントの嫌味に、ミレディアナはスッと背筋を伸ばした。
「もちろん承知しております。伝統ある伯爵家の女主人として、格式に相応しい振る舞いをいたしますわ」
凛とした表情を浮かべ、思慮深い眼差しをヴィンセントに向けたミレディアナは、次の瞬間ニヤリと笑う。
「こんなところで、いかがかしら?」
嘆かわしい表情で天を仰いだヴィンセントは、深いため息を漏らした。




