熊と妻
メイドが側にいないのをいいことにこっそり屋敷を抜け出した二人は、ダバを繋いだ木立へ向かった。
「一晩中、外に繋いでいたの?馬小屋に入れてあげればよかったのに……」
顔をしかめるミレディアナに、トリーは慌てて首を振る。
「だ、大丈夫です!ダバは丈夫なので。――あ、あそこです」
トリーの指さすほうを見ると、木に繋がれた状態ながらしっかりと立っているダバがいた。ほっとしたミレディアナだったが、側に寄ると目を見開いた。
「角!そうよ!昨日、なんだか違和感があると思ったの。馬なのに角があるからだったのね!」
腑に落ちた、とスッキリした顔で笑うミレディアナにトリーは恐る恐る問う。
「あの……角があるの嫌じゃないんですか?」
「どうして?牛にも鹿にもあるじゃない」
「でも、馬にはないから……。ダバの穢れの証だって……」
「馬鹿馬鹿しい」
ミレディアナは呆れた顔で言い放つ。
「牛も鹿もそんなこと言われてないわ。角が生えた馬がいて、どうしてそれが穢れになるの」
かっこいいわよね~、とダバに話しかけながら慎重にその身体に手を伸ばす。チラリとミレディアナを見たものの、触っても嫌がる様子がないことを確かめるとフサフサ……というよりは、モサモサと伸びっぱなしのたてがみを撫でて首を傾げる。
「ところで、ここだけ地面の様子が変じゃない?」
ダバを繋いである木を中心にして、きれいな円を描くように下草が一本もなくなり、土がむき出しになっている。
(ミステリーサークル……?)
この世界には宇宙人もいるのだろうか、と考えていると、頓着なくダバに触れるミレディアナを唖然と見ていたトリーが首をすくめた。
「ごめんないさい。この子が食べてしまったんだと思います……」
「まあ!草一本残らないほどに食べ尽くしてしまうなんて、よほどお腹を空かせているのね。かわいそうに!」
早く餌をあげなくちゃ!と繋いだ縄を解こうとして苦戦する姿を見かねたトリーが手を貸すと、「器用ねぇ」と感心したように言われ、こそばゆい心地で縄を握りしめた。
「この子、名前はなんというの?」
「ビリーです」
縄を引くトリーと並んで歩きながら問うたミレディアナはクスリと笑う。
「トリーとビリー。きょうだいみたい」
「あの、小さい頃に死んじゃった弟の名前なんです」
「そう……。なら、トリーはビリーのお姉さんね」
優しい声でミレディアナが言うと、『これが姉?』とでもいうようにビリーが小馬鹿にした様子で鼻を鳴らし、二人は顔を見合わせた。
「……自分のほうが偉いと思っているんです」
「……そ、そう、きっと頭のいい子なのね」
性格はちょっと悪そうだけど。
◇◆◇
ダバに餌をあげるために厩舎へ来てはみたものの、果たして厩番はいるのだろうか。なにせ今朝方、三人もクビにしたのはミレディアナ自身だ。
「あのぉ……」
遠慮がちに声をかけながら厩舎を覗き込んだミレディアナの前に、ヌッとなにかが立ち塞がった。
「ひぇっ!」
く、熊!?見たことないけど!
咄嗟に飛び退いたミレディアナが見上げると、それは熊のように大きな……人間の男だった。
「あ、あら、えーっと、厩番の方かしら?お仕事中にごめんなさい。飼葉を少し分けてもらいたいのだけど!」
思わず上げてしまった悲鳴を取り繕うように、口元を押さえて早口で話しかけたミレディアナを大男は無言で見下ろしている。
(なんでなにも言わないのーーー!?)
見覚えはないけど、使用人……で、いいのよね?まさか不審者じゃないだろうな。
ミレディアナとトリーとダバを黙って眺める男が怖くなってきて、ジワリと身を引きかけた時。
「あらあらあら、まあまあまあ!」
若い女性と思しき声が厩舎の奥から聞こえてきたが、熊男に隠れてしまいその姿はまったく見えない。
「まあ、やっぱり!奥様でいらっしゃいますね?」
熊さんの陰からヒョイと現れたのは声の印象どおりの若い女性で、明るい声でこちらに向かって話しかけてきた。目を見開いたまま返事ができずにいるミレディアナを見ると、なにかに気がついたように口元に手を当てる。
「あ!失礼いたしました。見苦しい姿をお目にかけてしまいまして」
その女性の顔の額から頬にかけての左半面は、赤黒い痣で覆われていた。
女性の外見に驚いたのは確かだが、返事もできないほどだったのは彼女の見た目だけが原因ではなく、その前から隣にいる大男にびびっていたためだったので、慌ててブンブンと両手を振った。
「いえいえいえ!とんでもない!お会いしたことがない方だったので驚いてしまって。こちらこそ返事もせず失礼をしてしまいました」
きっと誤魔化せてはいないのだろうが、女性はにっこり笑ってくれた。
「奥様のお輿入れの際もお出迎えには加わっておりませんでしたので、お顔を合わせるのは初めてでございますね。ミラと申します。こっちは亭主のダニエルです」
(ご夫婦でしたかーーー!)
熊みたい、とか言わなくてよかった。
熊、改めダニエルは、ミラとミレディアナが話す姿をじっと見ていたが、自分の名前が紹介されるとこちらに向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。うちのひとは生まれつき耳が聞こえないもので。こんなでっかい熊みたいなのが目の前に立って驚かれましたでしょう?」
奥さんからの公式『熊』認定が出た。
先ほどまではその熊っぽさが怖かったのだが、事情を聞けばなんということはない。ミラを優しい瞳で見下ろす姿は頼りがいのある熊さん……じゃなくて旦那さんそのものだ。
「そうでしたの。ミラさんとダニエルさんは厩番として勤めてくださっているのかしら?」
ミレディアナの言葉にミラは目を丸くする。
「私も亭主も奥様に『さん』をつけて呼んでいただくような身分じゃございません。どうぞ呼び捨てにしてくださいませ」
またやっちまった!慣れないなぁ、と内心で頭を抱えながらも頷いたミレディアナに、ミラは話を続ける。
「普段は狩猟番……といっても伯爵様は狩りをなさいませんので、森番とでもいいましょうか。お屋敷の庭園や畑以外の外回りの、番人兼雑用係みたいなことをさせていただいております。今日は厩舎の人手が足りないということで手伝いに」
「ご、ごめんなさい!わたくしのせい……とは少し違うかもしれないけれど、わたくしが原因ね!」
お仕事、増やしてすみません!
「いえ、とんでもない!むしろお礼を言わせてくださいませ。昨日、ここの男共を奥様みずから懲らしめてくださったそうで。――あなた、酷い目にあったわね。まったく!仕事の手抜きだけいっちょ前の性根の腐った奴らだわ!」
助けていただけてよかったねぇ、と優しい笑顔を向けられたトリーは戸惑った表情を浮かべながらも小さく頷いた。
「まさか、あなたもなにか酷いことをされていたのではないでしょうね……?」
思わず声が低くなったミレディアナに驚いた表情を浮かべたミラは、小さく笑った。
「いえ、さほどのことは。このおっかない見た目の亭主もおりますので、芸のない悪口を言われたくらいがせいぜいです」
……今からでも追いかけて、腕の一本なり折ってやろうか。
自分の甘い処断が悔やまれ、ギリギリと歯噛みするミレディアナをなだめるようにミラは微笑んだ。
「あいつらや……私たちみたいな身分の者はお屋敷を追い出されたらあっという間に食い詰めますから。奥様の恩情を使用人一同ありがたいことだと思っておりますよ」
そう言ってはくれるものの……ため息をつきそうになったが、心配そうにこちらを見るトリーに気付いて反省は後回しにした。
「頼りになる旦那様ね」
いたずらっぽく笑うミレディアナの言葉に、ミラは花が咲くような笑みを浮かべた。
「ええ、本当に。気は優しくて力持ち。耳さえ聞こえりゃ村一番の婿候補でしたでしょうね。でも耳のおかげで私はこの人と結婚できたようなものなんで、ありがたいくらいです」
冗談めかしたミラの言葉に、口元に小さな笑みを浮かべたダニエルは首を横に振り、ミラのことを指さした。
「ふふ、耳が聞こえても私を嫁にした、ですって」
「あら、惚気られてしまったわ!……というか、ダニエルは聞こえているの?」
首を傾げるミレディアナに、ダニエルは再び首を横に振ると、ミラに目を向けた。
「聞こえてないです。ただ、子供の頃からの付き合いなので、私との意思の疎通はなんとなく」
口の動きや身振りや表情でおおよそのやり取りには困らないそうだ。ミラの快活な口調も豊かな表情も、きっとそのためなのだろう。こうして少しのあいだ話しただけでも、素敵な女性なのがよく分かる。明るい笑顔も、思いやりのある気性が伝わってくる話し方も、耳に心地よい声も、すべてがとても好ましい。しかもなにげにスタイル抜群。顔の痣が気にならないといっては嘘になるが、それを上回る魅力の持ち主だった。
「ミラは、素敵な奥様ね」
ダニエルに向かって微笑みながらゆっくり言うと、言いたいことは伝わったようで、嬉しそうに笑った優しい熊さんは大きく頷いた。
◇◆◇
「きゃっ!ああ、驚いた。どうしたの、ビリー?」
ミレディアナたちのおしゃべりに焦れた様子のビリーが鼻先で背中を押してきた。
「こ、こらっ!奥様のお洋服が汚れるじゃない!」
「いいのよ、トリー。ごめんね、お腹が空いたのよね」
青ざめてビリーを叱りつけるトリーをなだめ、ダバの鼻面を撫でるミレディアナを見て、ダニエル・ミラ夫妻は顔を見合わせている。
「この子にあげる飼葉を分けてもらいたいのだけど、構わない?」
「もちろんです。ダニー、飼葉を、持ってきて」
身振りを交えてミラが言うと、頷いたダニエルが厩舎の中へ入っていった。
せっかくだからブライアンにも会っていこうとミレディアナも厩舎へ入る。左右を見回しながらブライアンの馬房を探していると、不気味な笑い声が聞こえてきた。
「へ、へへへへへ……キレイだよ……豊かな胸……腰のくびれ……スラリとした脚……ああ……このうなじも……たまらない……」
え、ちょ、こんなところで昼間っから!?
まあ、合意の上なら構わないけど。あ、でも、仕事中だと良くないか。あと、この場所は衛生的にいかがなものかと……
とはいえトリーの例もある。時間も場所も選ばずに盛りのついたヤローに迫られ、断り切れずに困っている女の子がいるようならば、女主人の強権を発動して止めてあげないと。そう思い、声のする辺りをそっと覗いた。
(…………っ!?)
目にした光景の異様さにミレディアナは立ちすくんだ。
恍惚とした表情を浮かべた貧相な体つきの男が愛撫し頬をすり寄せている相手は、小屋に差し込む陽光に照らされ象牙色に照り輝く美しい肌をした――見事な筋肉美を誇る馬だった。
(ぐっ……!相手は馬……か。……いや!欲情する対象が動物だろうとそれは個人の自由だよね!うん!多様性!)
思わぬ『上級者』の登場にたじろいだミレディアナだったが、短い脳内会議の末、自由恋愛を支持することを決断した。まあ、相手は男より遥かに大きなお馬さんだ。強引にコトに及ぶことなど不可能だし、触られるのが不快なら蹴飛ばすなり噛みつくなりして拒絶するだろう。見なかったことにしてもよかったのだが……
(ごめん!やっぱ無理!)
なぜなら、半開きになった口から涎を垂らさんばかりにしている男に撫で回されているのはブライアンだったから。
他の馬なら本人(?)の自主性に任せておいたところだが、名前も付けてあげた自分の馬に見知らぬ男が発情しているのを見過ごすことはできなかった。
だが、相手がどんな人物かも分からず逆上される恐れもあったため、用心棒にダニエルを呼んでこようと、そっと後ずさりをしたその時。
――ブルルッ!
ミレディアナの姿に気付いたブライアンが、嬉しそうに鼻を鳴らした。
ハッとして振り返った上級者が顔色を変える。
「誰だアンタ!……さては馬泥棒だな!?」
なんでやねん!
心の中で勢いよく突っ込んだ。
多少は地味な装いをしているとはいえ、どこの世界にドレスを着て髪を流した格好で馬を盗みに入る馬鹿がいる!?それに、自分で言うのもなんなのだが、一目見たら忘れられないレベルの美人でもある。私のことを知らないおまえこそ誰だよ。
「奥様!?」
男の声が聞こえたのだろう。背後からミラの声と、駆け寄ってくる足音がする。
「ミラ!ダニエルを……!」
男から目を離さずに言いかけたミレディアナの側を走り抜けたミラは、止める間もなく不審な男に詰め寄ると、その側頭部に平手の一撃を叩き込んだ。助走と手首のスナップが利いていたのだろう。細い身体から放たれたとは思えない強烈な殴打に男は床に倒れ込む。
「ミ、ミラ……?」
「この馬鹿っ!奥様に向かってなんてことを言ってんのーーー!!」
肩で息をするミラの言葉に寝藁に沈んだ男からの返答はなかったが、どうやら知った顔ではあるらしい。
騒々しい人間たちの姿を、ブライアンだけが穏やかな瞳で見下ろしていた。




