トリーの処遇
ミレディアナが自室に戻ると、部屋の前にはヴィンセントが立っていた。
「ヴィンセント、メイヤー夫人は?」
「お茶の支度をしております。――奥様、この度は誠に申し訳ございませんでした」
深く頭を下げるヴィンセントをまじまじと見下ろす。昨日までならさぞ溜飲が下がっただろうが、そのような気持ちは湧かなかった。
「頭を上げて。旦那様はあのようにおっしゃってくださったけれど、あれはきちんと指示をしなかったわたくしの過失よ」
顔を上げ、なにやら言おうとするヴィンセントを片手で制する。
「これ以上、責任の所在について話す気はないわ。――でも、悪いと思ってくれているのなら、折をみてトリーに謝罪をしてあげて」
賤民への謝罪には難色を示すかと思ったが、ヴィンセントは神妙な顔で頷いた。
「必ず」
意外の念に打たれ軽く目を見開いたミレディアナは、小さく微笑み扉に手を掛けた。
「メイヤー夫人に書斎へ来るよう伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
丁重に頭を下げた執事の姿が扉の向こうに消えると、ミレディアナは少し考え、そのまま書斎へ入っていった。
◇◆◇
「お茶をお持ちいたしました」
「ありがとう」
書斎の長椅子に添えられた小卓に紅茶が置かれた。
(ん?)
口元へ運ぶと、変わった香りがする。
(ああ、本当にお酒を入れてきてくれたんだ)
……う~ん、いつものほうが美味しいかな。
身体を温める薬のつもりで数口飲んでカップを戻す。
「彼女の今後についてなのだけれど」
「はい」
「わたくしの侍女にしたいと考えているのだけれど、どうかしら?」
長らく女主人が不在だったグレイ伯爵家には、貴婦人の身の回りの世話をする『侍女』という使用人がいなかった。ちなみに実家にもいなかったがこれは金銭的な事情。現在はメイドたちが暫定的に侍女の役割を果たしてくれており、近いうちに数名を侍女として選ぶ予定だったのだが、その言葉にメイヤーは眉を寄せた。
「奥様、それはいかがなものかと」
「理由を聞かせてもらえる?」
反対されるのは想定の範囲内であったので、穏やかに問い返す。
「身分については奥様がご承知の上でおっしゃっておられることですので反対は申しません。ですが、彼女は侍女としての技能はおろか、基本的な礼儀作法も身についていないのではないかと考えます。使用人とするのであれば、メイドあるいは厨房の下働きとするのが適当かと存じます」
「そうよねえ……。今後、身を立てていくことを考えれば、基本から学ばせるほうが良いのは確かなのだけれど……どうかした?」
意外そうな表情に気付いたミレディアナが問うと、メイヤーは慌てて頭を下げた。
「いえ……失礼ながら、奥様はあの娘の境遇を憐れんでお手元に置かれたいのだと考えておりました」
「憐れみというよりは、償いね。一生面倒をみてあげるわけにもいかないし、ならばこの先食べていくのに困らないだけの技能や知識を身につけさせてあげたいわ」
人間、なんと言っても手に職があるのが一番だ。
「でしたら、なおのことメイドかキッチンメイドがよろしいのでは?」
ためらいがちに頷いたミレディアナは、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「そうね……。ねえ、メイヤー夫人。これはわたくしの世間知らずゆえの懸念で、決してあなたの教育を疑っているわけではないのだけれど……。賤民のあの子がメイドになって、他の使用人たちから虐げられるようなことはないかしら?わたくしのせいで辛い思いをさせてしまったうえに、そのような目に合わせたくはないの」
側仕えにしておけば助けてあげられるかと思って……と呟いたミレディアナに、メイヤーは内心で驚嘆する。
貴族の奥方は屋敷内を監督するのが役目ではあるが、とはいえメイドの人間関係といった些細なことにまで心を配るのはごく稀だ。極端な話、メイヤーのような立場の者に『頼むわよ』の一言ですべてを任せてしまう貴婦人とて多いのだ。
年若い花嫁を不憫に思う気持ちもあって『奥様』と呼びつつも実際は『お嬢様』という感覚で接してきたが、認識を改める必要があるかもしれない。
「当家は旦那様のお考えで、身分が低くとも才あるものは取り立てております。正式に使用人となった際に身分のことを云々言う者は少ないでしょう。ですが、彼女は事情が事情ということもありますので、皆から距離を置かれる可能性はございますね」
美しい額に皺を寄せて何事かを言いかけたミレディアナを制し、メイヤーは口元に小さな笑みを浮かべた。
「彼女には少々……いえ、かなり窮屈でしょうが当面、私の部屋で寝起きさせることにいたしましょう」
ミレディアナはキョトンとした表情を浮かべる。
「ええと……あなたと同室で……それがなに?」
「使用人から……特に若い者たちからは圧倒的な同情を得られます」
メイヤーによると、多くの使用人は二人部屋で、ほぼ唯一の自由時間であり休息時間でもある夜間をくつろいで過ごせるよう、できるだけ年齢や勤務年数の近い者同士を相部屋にするようにしているのだという。年若い者ほど同僚とのおしゃべりを楽しみにしているものなので、その相部屋がよりにもよって家政婦長とあっては、虐げられるどころか皆にいたわられるだろう……とのことだった。
(修学旅行で学年主任と同室にさせられるようなものか)
確かにそれなら『可哀想……』と思ってもらえるかもしれない。そのうえ家政婦長の目が届くのであれば、万一のイジメの兆候も見逃さないでもらえるだろう。
「でも、いつもはあなた一人で部屋を使っているのでしょう。負担をかけてしまうのではない?」
ただでさえ責任の重い仕事をしているメイヤーを心配するミレディアナの言葉に、熟練の家政婦長は頼もしい笑みを浮かべる。
「お気遣いありがとうございます。ですが、これも役目の一つでございますのでご心配なく。身を立てられるだけの技能を身につけさせたいという奥様のお墨付きも頂戴いたしましたので、遠慮なく腕を鳴らすことができる、といったところでございますよ」
夜には読み書きや計算も教えましょうか……と忍び笑うメイヤーに感謝しつつも、「お手柔らかに」とミレディアナは苦笑した。
◇◆◇
「というわけで、明日からあなたはうちのメイドよ。覚えることがたくさんあると思うけれど頑張ってね」
にこやかに告げたミレディアナに、トリーはあんぐりと口を開いた。
確かに先刻「あなたがここで働けるように計らってみる」とは言ってくれたが、自分のような身分の者が本当に置いてもらえるとは思ってもみなかった。
「あの……本当にいいんですか?わたしみたいな……ンムッ」
ミレディアナはトリーの唇に指を当てて、その言葉を遮った。
「自分を卑下するのはおやめなさい。それは、あなたを見込んだわたくしをも侮辱することよ」
にっこり笑うミレディアナに、トリーは慌ててコクコク頷く。
「お仕着せや身の回りの品はここにあるものを使っていいそうなのだけれど、おうちへ取りにいきたい物はない?」
今朝、トリーから聞き出した話によると、身寄りはなく、近隣の街のいわゆる貧民窟で暮らしているとのことだった。
よかったら馬車を出すけど、というミレディアナのありがたくもとんでもない提案をトリーは大慌てで断った。
「だ、大丈夫です!取りにいかないといけないような物もないので!」
そう言ったトリーだったが、なにかに気付いたようにおずおずと問う。
「あ、あの……ダバは……」
ミレディアナは両手を胸の前で軽く叩いた。
「そうそう、それも聞かなくちゃ。ダバと荷車はあなたのもの?それとも誰か別の所有者がいるのかしら?」
「あ……わたしの……です。あ、あの!あの子をどこかにやらないといけないなら、やっぱりわたし……!」
「え?そんなつもりはないわ。他の方に返す必要がないのなら、ここで飼えばいいじゃない」
荷運びもできるのでしょう?となんでもないことのように言うミレディアナに、困惑した表情のトリーは恐る恐る口を開いた。
「でも……ゴミや汚物しか運べないし……」
「どうして?ゴミを運べるなら他の荷物も運べるのではないの?」
不思議そうに首を傾げたミレディアナに、トリーは頭を抱えそうになる。
「あ、あの!ダバは汚いものしか運べない決まりなんです!」
「だから、どうして?」
罰則でもあるの?と眉をひそめたミレディアナは、途方に暮れた表情を浮かべる少女の姿に肩をすくめた。
「ま、いいわ。とりあえずダバのところへ行きましょう」
昨日ちゃんと見ていないから早く見たいの、と言いながら、メイヤーから預かった古着を渡す。
「以前、働いていた子が残していった服なのですって。もらっていいそうだから私服にしてね」
お古とはいえトリーからすれば晴れ着のように立派な服だ。本当に自分が着てもいいのかとためらったが、早く早くと急かされて、慌てて少し大きなワンピースに袖を通した。




