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第七話 引き裂かれた二人




静かな時間だった。


窓の外では、波がゆっくりと寄せては返している。


部屋には、やわらかな光が差し込んでいた。



「……海、好きなんですか」


アヤカは、ぽつりと呟く。


セレーネは、わずかに目を細めた。


「ええ」


短く、けれど優しく頷く。


「ずっと見ていても、飽きないの」


視線は、窓の外へ向けられている。


その横顔は——どこか遠くを見ているようだった。


「……変わらないからかしら」


「変わらない……?」


「波も、風も、匂いも」


ゆっくりと、言葉を選ぶ。


「何度失っても、また同じように、ここにある」


小さく息をつく。


「……羨ましいのかもしれないわね」


その声に、アヤカの胸がわずかにざわついた。


——失ったことのある人の声だった。


「……あなた」


ふいに呼ばれる。


「未来が、見えるのでしょう?」


息が止まる。


言葉が出ない。


否定も、肯定もできないまま、視線を落とす。


けれど——


セレーネは、静かに微笑んだ。


「そんな気がしたの」


責める気配は、どこにもない。


ただ、少しだけ——寂しそうだった。


「つらいでしょう?」


その一言が、深く刺さる。


アヤカは、視線を落とす。


そのまま、目を伏せた。


「……見えてしまうのに……何もできないことがあるんです」


「それに……」


「怖いんです」


一度、息を詰まらせる。


「見えたものが、本当に起きた時——」


「止められなかったら、どうしようって」


テレビで見た、飛行機が燃える映像。


気づけば、拳を握りしめていた。


震える声。


「ええ」


セレーネは、静かに頷く。


「そうよね」


「怖いわね」


「私でも、きっと……」


その言葉に、顔を上げた。


穏やかな声が続く。


「……でも」


「もし私に、未来が見えていたら」


「助けられたかもしれない」


アヤカの手が、ピク、と動く。


セレーネの目が揺れた。


「そんな風に、何度も思ったわ……」


「ごめんなさいね。あなたは、怖いと言っているのに」


セレーネは、わずかに目を伏せた。


「何も見えなかった私でさえ——そう思い続けたもの」


「見えた未来を……」


「あなた一人で背負う必要なんて、ないのよ」


その言葉が、胸の奥に静かに広がっていく。


沈黙。


けれど、不思議と苦しくはなかった。


波の音だけが、静かに響いている。



「……ロイは」


ぽつりと、セレーネが呟く。


アヤカの肩が、わずかに揺れた。


「優しく、笑う人だったわ」


懐かしむような声。


「私のなんてことない話も、楽しそうに聞いてくれて」


「私が知らないことを、たくさん教えてくれた」


小さく笑う。


「外の世界のことも」


「海のことも」


「……全部、あの人が教えてくれたの」


視線は、遠くへ。


「だから——」


ほんのわずかに、言葉が途切れる。


「……あの日も」


静かに息を吐く。


「“見せてあげる”って、言ってくれたのよ」


胸が、強く締めつけられる。


「……あの日?」


思わず問い返す。


セレーネは、目を伏せた。


長い沈黙。


波が砕ける音が、かすかに届く。


「……ええ」


やがて、静かに頷く。


「私の、誕生日だったの」




————

——


「セレーネ様。誕生日おめでとうございます」


少し照れたように、ロイが包みを差し出す。


「……これを、私に?」


セレーネが包みを開く。


中には、小さな銀の懐中時計。


中央には、青い石がはめ込まれていた。


「綺麗……」


思わず零れた声に、ロイが少しだけ目を細める。


「私のと、対になるんです」


そう言って、自分の懐中時計を軽く持ち上げた。


「離れているときも、同じ時間を刻めるようにって」


「……ふふ。少し、気障でしたか?」


照れ隠しみたいに笑うロイに、セレーネも小さく笑った。


そしてロイは、改めて口を開く。


「今日は陛下の許可をいただいています。

どこへでも、ご案内しますよ」



市場は、色とりどりの品で溢れていた。


見たことのない食べ物。


人々の賑わい。


「……わぁ、素敵!」


セレーネは、初めて見るそれらに、キラキラと瞳を輝かせた。


「海を見てみたいです」


そう言うと、ロイは柔らかく笑った。


海辺の店へ入ろうとした、その時だった。


ぱらり、と何かが落ちた。


埃のような——小さな違和感。


顔を上げた瞬間。


ドン——。


足元から突き上げる衝撃。


世界が、揺れた。


「っ……!」


立っていられない。


激しい揺れ。


恐怖で、動けない。


ロイが覆いかぶさるように守る。


次の瞬間——


轟音。


崩壊。


視界が、闇に閉ざされた。


塞がれた出口。


崩れた店。


ロイは必死に瓦礫をどかす。


振り返った瞬間。


セレーネの足が、挟まれていることに気づいた。


持ち上げようとした、その時。


——背後。


黒い、水。


壁のようなそれが、迫っていた。


「逃げて!」


セレーネが叫ぶ。


ロイの腕を掴む。


確かに——掴んだはずなのに。


指先が、すり抜ける。


「セレーネ様!」


その声は、轟音に飲み込まれた——。



次に目を開けた時。


ロイはいなかった。


セレーネは崩れた柱に守られ、奇跡的に助かっていた。


街は、変わり果てていた。


泣き声。瓦礫。血。


「大丈夫か!」


誰かの腕に抱き上げられる。


「王女様——」


その声を最後に、意識は途切れた。



目覚めたのは、王都だった。


弟、セリムの腕の中。


「姉上!」


涙を浮かべながら、強く抱きしめられる。


「ロイは?」


「……わかりません」


「捜索は続いていますが……」


視線が、足へ落ちる。


動かない。


感覚がない。


(……嘘)


理解する。


——もう、歩けない。



ロイは、見つからなかった。


それでも、探し続けた。


不自由な体で。


何度も、何度も。


違う。違う。——また違う。


その繰り返し。


それでも——やめなかった。


セラフィは言った。


「生きている」と。


だから、信じ続けた。


何年も。何十年も。


やがて弟は王となり——


セレーネは、海辺に住むようになった。



————

——



そこまで聞いた時、


涙が止まらなかった。


(おじいちゃんは——)


(記憶がなくても、帰りたかったんだ)


(セレーネ様に、会いたかったんだ)


胸が痛い。


息がうまくできない。



——二日後。


セレーネは、静かに息を引き取った。


眠るように。


穏やかな顔で。


言葉が、出ない。


長い時間。


待ち続けた人。


探し続けた人。



「……また会うまでは、死ねないって」


アンが、小さく呟く。


「……ずっと、言ってたのに」


声が、震えていた。


私は、ただ——


その亡骸を見つめていた。



(魂は……どこへ行くんだろう)


ロイは、この世界で生まれて、


あの世界で死んだ。


なら——


その魂は、どこに帰るのだろう。



「……せめて」


小さく呟く。


「もう一度だけでいいから」


「……会わせてあげてほしい」


波の音だけが、静かに響いていた。


——


「最後に会わせてくれて、ありがとう」


その言葉が、いつまでも消えなかった。






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