表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

第六話 ロイとセレーネ




海の匂いがした。



王都の外れ。


波の音が、静かに響いている。


「……ここじゃ。」


セラフィの声に、足が止まる。


目の前には、小さな屋敷。


王族の住まいとは思えないほど、静かで——


どこか、時間が止まったような場所だった。



「……入ろう」


アンに促され、扉をくぐる。


中は、ひどく静かだった。


薬の匂い。


かすかに聞こえる、呼吸音。



「……セレーネ様」


アンが、そっと呼ぶ。


ベッドの上の女性が、ゆっくりと体を起こした。


「久しぶりね、アン。」


細くなった体。


けれど——


その顔は、穏やかだった。



「……その子が?」


静かな声。


アンが、一歩下がる。


「はい」


視線が、まっすぐに向けられる。


「顔を、よく見せて」


一歩。


足が、勝手に前へ出た。


近づく。


近づくほどに——


胸の奥が、締めつけられる。


理由なんて、わからないのに。


「……ふふ」


小さく、笑う。


その瞳は、とても優しかった。



「……初めまして」


声が、わずかに震える。


「アヤカ、と言います」


名を告げた瞬間——


セレーネの瞳が、揺れた。



(この人が——)



「似ているわね」


「……え?」


「彼と」


息が、止まる。


「私はもう、こんなに年を取ってしまったけれど」


ゆっくりと、手が伸びる。


震える指先が、


そっと、頬に触れた。


「あなたは——あの頃の私と、同じくらい」


優しい声。


それなのに。


どうして——こんなにも、痛いのか。



「……彼の話を、聞かせてちょうだい」


「……彼?」


「ロイ」


その名が、落ちる。


ドクン、と心臓が鳴った。



「……おじいちゃんは」


自然と、言葉がこぼれる。


「私が高校に上がる前に、亡くなりました」


「そう……」


「でも、とても優しい人でした」


思い出す。


あの背中。


「いつも笑っていて」


「海が好きで……」


少しだけ、声が揺れる。


「ずっと、海を見ていました」



沈黙。


風が、カーテンを揺らす。


その瞳は、遠くを見ていた。


まるで——


同じ景色を、見ているみたいに。



「……あの人らしいわ」


穏やかな声だった。


そして——



「……あの人は」


小さく、息を整える。


「もう、どこにも……いないのね」


何も言えなかった。


けれど。


「……でもね」


ふっと、微笑む。


「どこかで元気でいてくれたら、それでいいって……ずっと思っていたの」


「……あの人が」


声が、わずかに揺れる。


「こんな可愛い孫に恵まれて」


「幸せに生きていたのなら」


目を細める。


「……それだけで、私は十分よ」


胸の奥が、熱くなる。


気づけば、涙が落ちていた。


「……ありがとう」


セレーネが、そっと言う。


「教えてくれて」


その言葉が、深く刺さる。



「……アヤカ。あれを」


セラフィの声に、はっとする。


セレーネの視線が、ゆっくりと落ちた。


「……それを、少し……見せてくれるかしら」


懐中時計へ。


「……はい」


差し出す。


受け取った瞬間——


指が、震えた。


壊れ物に触れるように、そっと持ち上げる。



「……懐かしいわ」


かすれた声。


開こうとはしない。


ただ、閉じたままの蓋を、なぞる。



「……あの」


小さく呼ぶと、


はっと顔を上げた。



「……ごめんなさい」


一度、息を整えて——



「これは、ロイが私に贈ってくれたものと、対になるもの」


「……対?」


小さく頷く。


「誕生日にね」


遠い記憶を見るように。


「お揃いで、作ってくれたの」


ドクン、と胸が鳴る。


「……開けても、いいかしら」


「……はい」


指が、震えている。


やがて——


カチ、と小さな音。


蓋が、開く。


その瞬間。


セレーネの瞳が、大きく揺れた。



「……」


言葉が、出ない。


ただ、見つめている。



「……どうか、したんですか?」


答えない。


代わりに——



自分の胸元へ手を伸ばす。


取り出された、もう一つの懐中時計。


よく似た形。



「……ずっと」


ぽつり、と。


「開けられなかったの」


震える声。


長い沈黙。


やがて——


カチ、と音がする。


開かれる。


二つの時計。


並ぶ。


同じ形。


同じ刻印。


同じ日付。



風が、カーテンを揺らす。



「……ここに、あったのね……」



かすれた声。


その意味は、わからない。


それでも——


胸が、締めつけられる。



セレーネは、


二つの時計を見つめたまま、


そっと微笑んだ。



涙を、こぼしながら。



「……ずっと、そばにいてくれたのね……」



その声はとても優しかった。



風が、静かに吹き抜ける。




遠くで、波の音がした。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ