第三話 夢
「アヤカ!早く準備しなさい!」
母の声。
明るくて、いつも通りの声。
「飛行機、間に合わなくなるわよ!」
みんな、笑っていた。
「……行かない」
ぽつりと、呟く。
「え?」
「私、行かない」
空気が、止まる。
「どうしたの、急に」
「やだ」
首を振る。
「絶対、やだ」
夢を見た。
燃える飛行機。
落ちていく光景。
何度も、何度も。
「……アヤカ?」
「落ちるの」
震える声。
「飛行機、落ちるの」
沈黙。
「……何言ってるの」
小さく、呆れた声。
「そんなわけないでしょ」
違う。
違うのに。
止めた。
何度も。
空港で。
搭乗口で。
泣いて、
縋って、
叫んで。
それでも——
「仕方ない。母さんに電話してアヤカだけ迎えに来てもらうよ。」
父の声。
「そうね。お義母さんに悪いけど仕方ないわ。」
母の声。
置いていかれた。
——そして三日後。
テレビに映ったのは、
燃え落ちる機体だった。
「……っ」
息が、できない。
どうして。
どうして私は、生きてるの。
どうしてあの時、
もっと——
その時。
ガクン、と視界が揺れた。
「……っ」
足元が消える。
落ちる。
落ちていく。
底のない闇へ。
(怖い)
その時——
「見つけた」
声。
あの時と同じ声。
トラックに引かれる直前に聞いた声。
暗闇の中、目を開ける。
一箇所だけ、光。
その中に——
ひとりの少女。
「探したんだよ」
その声は、どこか嬉しそうで。
どこか、寂しそうだった。
「……あなたは」
問おうとした瞬間——
また、落ちる。
「……っ」
「大丈夫」
今度は、すぐ近く。
「目を開けて」
「手を取って」
恐る恐る、目を開ける。
差し出された手。
迷う暇なんてなかった。
掴む。
——その瞬間。
落下が止まる。
足元に、“地面”。
ひび割れる闇。
広がる光。
「……私はノア」
少女は言う。
静かに。
「覚えておいて」
「また、会うから」
「……待って」
言葉が、届かない。
世界が揺れる。
遠ざかる。
「待って!!」
はっと、目を開ける。
荒い呼吸。
胸が、うるさいくらいに鳴っている。
暖炉の火が、ぱちぱちと音を立てる。
「……夢……?」
けれど。
あまりにも、はっきりしていた。
「……ノア」
名前だけが、残る。
消えない。
まるで——
刻まれたみたいに。
「起きたか?」
ふいに、背後から声がした。
振り向くと、昨日の騎士が立っていた。
「随分寝ていたな。もう昼だ」
そう言って、
小さな包みを差し出してくる。
「アルドが持ってきた。お前が倒れていた場所にあったらしい」
「……アルド……」
昨日、自分を助けてくれた男性の顔が浮かぶ。
包みを受け取り、ゆっくりと開く。
中にあったのは——
見覚えのあるものだった。
「……これ……」
小さな懐中時計。
蓋には、青い石がはめ込まれている。
光を受けて、静かに輝いていた。
「……おじいちゃん」
思わず、呟く。
家族を失ったあと、
自分を引き取ってくれた人。
優しくて、
少しだけ寂しそうで、
いつも海を見ていた人。
『アヤカ。強くなれ』
『お前は、おじいちゃんの宝物だ。」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
その時。
「……その時計」
騎士が、低く呟いた。
顔を上げる。
「……なに?」
騎士は、少しだけ目を細めていた。
まるで、何かを思い出そうとするように。
「……似ている」
「え?」
「それと、よく似たものを持っている人を知っている」
その言葉に、胸がわずかにざわつく。
「……どこにでもあるものじゃないの?」
軽く返す。
そう思った。
ただの、よくある装飾品だと。
だが——
騎士は、首を振った。
「いや」
「……あれは、特別なものだと言っていた」
その声音は、どこか確信めいていた。
「……誰が?」
問いかける。
一瞬の沈黙。
そして——
「……この国の、ある方がそれを持っていた」
カイルの声が、ほんのわずかに低くなる。
「……大切にしていた」
胸が、ざわつく。
「……誰が?」
もう一度、聞く。
カイルは、少しだけ迷うように目を伏せたあと——
「……会えばわかる」
そう言って、目を伏せた。
それ以上は、何も言わない。
聞き返そうとしたけれど——
言葉が、出なかった。
胸の奥が、ざわついている。
理由のわからない、不安と、
引き寄せられるような感覚。
(……会えば、わかる?)
誰に。
何を。
答えは、何も見えないまま——
「……アヤカ」
ふいに、カイルが口を開いた。
顔を上げる。
その視線は、さっきまでとは違っていた。
「準備ができたら、呼べ」
それだけ言って、踵を返す。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
ひとり残される。
手の中の懐中時計を、ぎゅっと握る。
(……なんなの、これ)
鼓動が、速い。
まるで——
何かが、始まるみたいに。




