第二十話 罪の在処
扉が、ゆっくりと開く。
重く、鈍い音。
中から流れ出てくる空気は——冷たく、どこか淀んでいた。
踏み入れた瞬間、肌が粟立つ。
視線を上げる。
静まり返った室内。
その奥——
そこに、ひとり立っていた。
「……来たのね」
静かな声。
だが、その響きは妙に耳に残る。
ドルジェだった。
豪奢な衣を纏い、ゆっくりとこちらを見下ろしている。
その瞳は——底が見えない。
ゆっくりと、アヤカたちを見渡す。
その顔には、余裕の笑み。
「こそこそと何かを探っていたようだけれど。探し物は見つかったのかしら?」
冷たい視線が、アヤカを射抜く。
「……母上」
レナンが、一歩前に出る。
「少し、お話があります」
「まあ」
ドルジェは、楽しげに目を細めた。
「珍しいこと」
「あなたから話だなんて」
その一言に、わずかな棘。
「……ええ」
レナンは、視線を逸らさない。
「聞きたいことがあります」
くすりと笑う。
「あなたにしては強気ね」
空気が、わずかに歪む。
(……この人)
アヤカは、黙って見ていた。
何も知らないふりで、すべてを見下ろしている。
「……母上」
レナンが、口を開く。
「この国で起きている厄災は」
一拍。
「偶然ですか」
沈黙。
ほんの一瞬だけ——
ドルジェの瞳が揺れた。
だが、それはすぐに消える。
「……何を言い出すのかと思えば」
ふ、と笑う。
「天災を疑うの?」
「そんな馬鹿なこと」
声音に、動揺はない。
「……では」
レナンが続ける。
「人の手によるものではないと?」
「当然でしょう」
即答。
「人がどうこうできるものではないわ」
(……嘘)
アヤカの胸が、静かに熱を帯びる。
「……本当に?」
ぽつりと、アヤカが口を開いた。
空気が、止まる。
ドルジェの視線が、ゆっくりと向く。
その目は、もう笑っていなかった。
「ふふ」
ドルジェは、笑う。
「面白い子ね」
「何が見えたのかしら?」
試すような目。
(……やっぱり)
確信する。
この人は、知っている。
「……未来です」
はっきりと答える。
「王都が崩れる未来」
「血に染まる城」
そして——
「あなたが、そこに立っている未来」
沈黙。
空気が、一気に冷える。
カイルが息を呑む。
レナンの拳が強く握られる。
アンは、ただ静かに見ていた。
そして——
「……それで?」
ドルジェは、微笑んだまま言う。
「それが、どうかしたの?」
(否定、しない……?)
「夢でしょう?」
あっさりと切り捨てる。
「巫女様は大変ね」
「見たものを、すべて現実だと思ってしまうのだから」
一見すると、優しい声音。
けれど——完全に拒絶している。
「……違う」
アヤカが、静かに言う。
「……全部、見ました。」
迷いのない声。
「ルイーゼ様のことも」
「契約のことも」
空気が、止まる。
ほんのわずか——
ドルジェの瞳が揺れた。
「……何のことかしら」
静かに返す。
だが、その声はわずかに硬い。
アヤカが、一歩前に出る。
「事故じゃない」
はっきりと。
「殺されたんです」
その言葉が、謁見の間に落ちる。
ざわ、と空気が揺れた。
兵たちが顔を見合わせる。
ドルジェは——
沈黙したまま、アヤカを見つめていた。
「……面白いことを言うのね」
やがて、口を開く。
「証拠は?」
「あります」
即答。
アンが続ける。
「ヴィハルク公爵家の書斎」
「そこに残されていた日記」
そして——
「“契約”の記録」
その瞬間。
ドルジェの表情から、笑みが消えた。
静寂。
張り詰める空気。
ドルジェは、ゆっくりと息を吐いた。
そして——
小さく、笑った。
「……そう」
その笑みは、もう別物だった。
冷たい。
底のない、暗い笑み。
一歩。
また一歩。
ゆっくりと、近づいてくる。
「……生意気ね」
声が、低く沈む。
「そこまで辿り着いたのなら——もう隠す必要もないわ」
ゆらり、と。
ドルジェの背に、黒い影が滲む。
「……あの家は、ずっと王家を支えてきたのよ」
「それを蔑ろにしたのは王家よ」
「あなたは父親から息子を産むことを強いられていた」
アヤカが、重ねる。
ドルジェの言葉が、止まる。
「その息子を王とする為に」
「そしてあなたが王太后となる為に」
「違うッ!!」
怒声が響く。
空気が震える。
「父上と、あの男がっ」
「……あの男?」
レナンが息を呑む。
「母上……」
「仕方なかったのよ」
ぽつりと、落ちる声。
「……そう言い聞かされてきた」
ゆっくりと、息を吐く。
「これが正しいと」
「これしかないと」
視線が揺れる。
「でも——」
一瞬の間。
「私は、その期待に応えられなかった……。」
その瞳に、歪んだ執念が宿る。
「お前にわかる?父親に息子を産めと言われ続けた私の気持ちが!」
「息子が出来ずに実家から白い目で見られ続けた私の気持ちが!」
「……だから、“あれ”が来たのよ」
「望みを叶えてやるって」
空気が、冷える。
「代わりに——歪みを受け入れろ、と」
息が詰まる。
視線が、揺れる。
そして——
レナンを見る。
「この子のためよ!!」
空気が止まる。
「……え」
レナンが固まる。
「この子を王にするために……!」
「そのために、私は……!」
「違う。自分の為でしょう。あなたは自分の為に選んだ」
ドルジェの言葉をアヤカが遮る。
沈黙。
「……母上」
震える声。
「……僕は」
言葉が途切れる。
「……そう、なんだ」
小さく笑う。
「じゃあ……」
視線を落とす。
「僕は、“願いの結果”か」
——誰も、何も言えなかった。
「……違う」
アンが言う。
「そんなこと——」
「いいんです」
レナンが遮る。
「事実ですから」
静かに。
「それでも——」
息を吐く。
「僕は、自分で決める」
顔を上げる。
「何を守るかも」
「王になるかどうかも」
「全部」
ドルジェが、息を呑む。
「……あなたは……」
震える声。
「私のために……!」
「違う」
はっきりと。
「僕は、僕のために生きる」
静寂。
その時——
アヤカが口を開く。
「その“男”」
全員の視線が集まる。
「厄災そのものだよ」
空気が凍る。
「未来を与える代わりに」
「歪みを回収する存在」
「それが、厄災」
「あなたは、選んだんだよ」
「全部わかってて——それでも」
沈黙。
ドルジェの瞳が、大きく揺れる。
「……違う……」
崩れていく声。
その瞬間。
空気が、歪んだ。
黒い“何か”が、足元から滲み出す。
影のような、霧のような——
「伯母様……!」
アンの声。
「遅すぎたのよ」
ドルジェは、静かに言う。
「すべては、もう動いている」
その瞳が、アヤカを捉える。
「あなたも、見えているんでしょう?」
「この国が、どう終わるか」
(……見える)
崩れる城。
広がる黒。
「……させない」
絞り出す。
ドルジェが、わずかに首を傾ける。
「できると、本気で思っているの?」
背後で、“あれ”が蠢く。
「人が望んだ結果よ、これは」
「歪めて、積み重なったもの」
黒が揺れる。
「それが——これ」
アヤカは、一歩踏み出した。
怖い。
それでも——
視線を逸らさない。
「それでも」
強く、言う。
「私は——止める」
一瞬の静寂。
そして——
ドルジェは、笑った。
「いいわ」
「やってみなさい、巫女」
黒が、広がる。
空気が、震える。
ほんの一瞬の間。
そして——
「——間に合うといいわね。」




