第十二話 月の残滓
翌日。
壊れた街の中を、アヤカはゆっくりと歩いていた。
瓦礫を運ぶ人々の間を縫い、昨日の家の前で足を止める。
あの人が倒れていた場所は、すでに瓦礫が片付けられ、花が手向けられていた。
その前に、一人の女性が立っている。
気配に気づいたのか、女性が振り返る。
そして——
アヤカの手にあるものを見て、目を見開いた。
「……そのぬいぐるみ」
「あ……」
思わず、声が漏れる。
「亡くなった娘のものでね」
女性は、ゆっくりと歩み寄る。
「私たち夫婦が……とても大切にしていたものなの」
アヤカは、そっとそれを差し出した。
「……昨日、私は出かけていて」
「戻ったら……まさか、こんなことになるなんて」
受け取る手が、わずかに震える。
「これも、あの人と一緒に燃えてしまったと思っていたのだけど……」
小さく、息を吐く。
「そう……あなたが、持っていてくれたのね」
そして——
微笑んだ。
「ありがとう」
(違う)
胸の奥で、何かが強く否定する。
(私は——助けられなかった)
言葉は出ない。
視界が、滲む。
アヤカはその場にしゃがみ、花の前で静かに手を合わせた。
「あ!姉ちゃん!」
背後から、明るい声。
振り返ると、昨日助けた子供が駆けてくる。
その隣には、母親の姿。
「巫女様。昨日はありがとうございました」
「ありがとう!姉ちゃん!」
「こら、巫女様でしょう」
たしなめる声に、思わず小さく笑みがこぼれる。
——確かに、ここにある命。
自分が選び、救った命。
その時だった。
ふいに、視線が引き寄せられる。
人混みの中。
ひとりの少女。
「……っ」
心臓が、大きく跳ねる。
「待って!」
思わず駆け出す。
けれど、その背は人の波に紛れていく。
「……いた」
足が止まる。
人混みの向こう側。
静かに立つ、その姿。
夢で見たままの少女。
長い髪。
不思議な瞳。
「……ノア」
名を呼ぶ。
少女が、ゆっくり振り返る。
その瞬間——
周囲の音が、遠のいた。
「……やっと来た」
小さく呟き、ノアは微かに笑う。
「……やっぱり」
息を呑む。
「夢じゃなかった」
ノアは答えない。
ただ、じっと見つめてくる。
その視線から、逃げられない。
「……あなた」
一歩、近づく。
「レイス家の記録にあった……」
脳裏に蘇る、古い書物。
「……ツキヨミの巫女」
空気が、止まる。
ノアの表情が、わずかに変わる。
「……うん」
小さく頷く。
「そうだよ」
「……教えて」
言葉が、こぼれる。
「私は——どうすればいいの?」
沈黙。
ノアは、しばらく答えない。
ただ——測るように見つめる。
そして。
「……いいよ」
小さく頷く。
空気が、変わる。
「でも」
少しだけ、笑う。
「未来を見るだけじゃ足りない」
「未来に、“触れる”ようにならないと」
セラフィの言葉がよぎる。
——未来に干渉する力。
「……どうすればいいの」
ノアは、ゆっくりと手を差し出した。
「簡単だよ」
その仕草は、夢と同じだった。
「あなたはもう、触れている」
「え?」
「でも——今はダメ」
くい、と背後を指す。
「アヤカ!」
振り向くと、アンとカイルが走ってくる。
その一瞬で——
ノアの姿は消えた。
「あ……」
「アヤカ!ここにいたのね!」
息を切らすアン。
もう一度見渡すが、姿はない。
「……何か、あったの?」
どこか慌てた様子。
胸が、ざわつく。
「……伯母様が、あなたに会いたいって」
心臓が、嫌な音を立てた。
——
城の応接間。
アヤカ、アン、カイル。
そして、ドルジェと少年。
「……あなた」
ドルジェが、ゆっくりと視線を向ける。
「どこまで見えているのかしら」
口元は笑っている。
けれど、目は笑っていない。
空気が張り詰める。
「本当に、この国を救えると思っているの?」
「……」
「……答えられないのね」
興味を失ったように、視線を外す。
「レナン」
少年が、びくりと肩を揺らす。
「このような不確かな存在に、国を任せるなどあり得ないわ」
「……はい」
小さな声。
「ですが——」
その一言で、空気が止まる。
「……母上」
レナンが顔を上げる。
震えている。
それでも。
「……可能性があるなら、試すべきです」
ドルジェの視線が冷える。
「この国は、もう——」
言葉が詰まる。
「……限界です」
静かな、決意の声。
沈黙。
やがて——
「……いいでしょう」
興味なさげに言い放つ。
「ただし」
再び、視線が刺さる。
「——証明なさい」
逃げ場はない。
「……できなければ?」
思わず、口が動く。
ドルジェは、わずかに目を細める。
「その時は——」
一歩、近づく。
「“災いを呼ぶ者”として処理するまでよ」
息が詰まる。
「……行くわよ、レナン」
レナンは一瞬だけこちらを見る。
その目は——
どこか、助けを求めていた。
二人は、部屋を後にした。
静寂。
「……はぁ」
アンが小さく息を吐く。
「ごめんなさい」
「……嫌な思いをさせてしまったわね」
言葉が出ない。
ただ——
胸の奥が、ざわついていた。
——
夜。
静まり返った部屋。
窓の外、冷たい月の光。
眠れなかった。
(……ドルジェ)
昼間の光景が、何度も蘇る。
笑っていたのに、何も感じない目。
「……怖い」
ぽつりと、呟く。
その時——
「怖い、で済むならいいけどね」
「……っ!」
振り向く。
窓辺に、立っていた。
「……ノア」
月明かりに照らされ、その姿は現実から浮いている。
「……どこに行ってたの?」
「私は、あなたにしか干渉できないから」
少しだけ、寂しそうに笑う。
「……え?」
「王女様も、騎士も」
肩をすくめる。
「私のことは、見えない」
「……干渉?」
「そのままの意味」
淡々と答える。
「私は——ツキヨミの巫女にしか触れられない」
息が詰まる。
「……だから」
「ずっと探してたの。あなたを」
胸が、ざわつく。
ノアが手を差し出す。
「……私をここに呼んだのは」
「そう。私だよ」
未来に、“触れる”。
その言葉が重く落ちる。
「見るだけじゃ足りない」
「干渉するの」
「壊れる前に」
「選び直すために」
心臓が、大きく鳴る。
「……できるの?」
「だからいるんだよ、私が」
もう一度、手が差し出される。
(……同じだ)
ゆっくりと、手を伸ばす。
触れた瞬間——
世界が歪んだ。
白く弾ける視界。
流れ込んでくるのは、断片ではない。
“未来そのもの”。
崩れる王都。
燃え上がる城。
血に染まる玉座。
そして——
笑う、あの女。
「……っ!」
息ができない。
「見える?」
遠くで、ノアの声。
「これが、“繋がった未来”」
「……やめ……」
膝が崩れる。
「でもね」
声が近づく。
「これは、まだ決まってない」
すべてが、一瞬止まる。
「……え」
「触れたでしょ」
静かに言う。
「だから、変えられる」
その言葉が、光になる。
「……変える」
震える手を、握る。
「……変えてみせる」
ノアが、満足そうに微笑んだ。
「うん」
「それでいい」
月明かりの中で——
世界が、静かに動き出した。




