第十一話 視る覚悟
城に戻る頃には、もう日が傾き始めていた。
オレンジ色の光が、やけに眩しい。
アヤカの手には、あのぬいぐるみが握られていた。
煤で汚れた布。
歪な縫い目。
片方だけ大きなボタンの目。
——どうしても、置いてこれなかった。
「……」
(……助けられたのに)
小さな子供の顔が、浮かぶ。
あの子は、生きていた。
ちゃんと、助けられた。
なのに——
(……どうして)
胸が、こんなにも苦しい。
しばらく、誰も言葉を発さなかった。
風だけが、静かに通り過ぎる。
「……アヤカ」
アンの声。
振り返る。
「……大丈夫?」
少しだけ、考える。
そして——
「……大丈夫じゃない」
正直に、そう答えた。
胸の奥が、まだ痛い。
苦しくて、どうしようもなくて。
「でも」
ゆっくりと息を吸う。
顔を上げる。
視線が、前を向く。
「私……」
言葉を、選ぶ。
「ずっと、“夢”だと思ってた」
幼い頃から見てきたもの。
未来の光景。
事故も、地震も、墜落も。
「ただ、当たる夢だって」
そう思って、逃げてきた。
「でも——」
拳を、握る。
「ここに来てから、違うってわかった」
「私には、見えてる」
「これから起きることが」
アンが、静かに目を細める。
「……でも」
小さく首を振る。
「今までは、すぐ近くのことだけだった」
数日後。
せいぜい、数時間後。
「それじゃ、足りない」
はっきりと、言う。
「この国を救うなら」
視線が、強くなる。
「もっと先を、見なきゃいけない」
風が、強く吹いた。
「大きな厄災」
「その前兆」
「原因」
ひとつずつ、言葉にする。
「全部、見つけて——」
息を吸う。
「……止める」
沈黙。
カイルが、わずかに目を見開く。
アンは、ただ静かにこちらを見ている。
アヤカは、ゆっくりと息を吐いた。
「……セラフィ様と話がしたい」
——
暖炉の火が、パチパチと音を立てている。
「……簡単ではない」
セラフィが、静かに言う。
「未来を視るというのは、それだけで魂を削る行為だ」
「……」
わかっている。
そんな気がしていた。
「それでも」
言葉を遮る。
「それでも、いい」
はっきりと、言い切る。
「どうせ何もしなかったら、同じだから」
握ったままのぬいぐるみを、ぎゅっと強く握る。
「ああいうのを——」
一瞬、言葉が詰まる。
「もう、見たくない」
静かに、息を吐く。
「……今度は」
顔を上げる。
「逃げない」
その一言は、まっすぐだった。
「それから——」
すぅ、と息を吸う。
「私、今日……二つの未来が見えたの」
「助かる未来と、助からない未来」
「……初めて、未来を選んだ」
セラフィの目を、まっすぐに見つめる。
「教えて」
「ツキヨミの巫女は、ただ未来が見えるだけじゃないの?」
沈黙。
セラフィもまた、視線を逸らさない。
そして——
小さく、頷いた。
「……わしも、すべてを知っておるわけではないが」
静かに、言葉を選ぶ。
「ツキヨミの力は、本来——」
一瞬、間を置く。
「未来を“読む”だけのものではない」
アヤカの呼吸が、止まる。
「……え?」
セラフィの目が、まっすぐに射抜く。
そして——
「未来に干渉する力だ、と伝わっておる」
その瞬間。
空気が、震えた。
何かが——
確かに、変わった。




