第十話 ふたつの未来
「アン様!」
部屋を出ると、カイルが立っていた。
「カイル、どうしてここに?」
「アン様とアヤカが食事中だとお聞きして、警護のために控えておりました!」
「相変わらず過保護ね」
アンが、ふっと笑う。
けれどすぐに、表情を引き締めた。
「いいところに来たわ。カイル、今すぐ兵を集めて」
「……は?」
「アヤカが見たの。この街が、魔獣に襲われる」
「なっ……!」
カイルは表情を変えると、即座に踵を返し、城の奥へ走っていく。
その背中を見送りながら、アンは振り返る。
「私たちは、街の人たちを避難させましょう」
「ええ!」
朝の街は、人がまばらだった。
まだ、家の中にいる者が大半なのだろう。
アンはすかさず、通りを歩いている人に声をかける。
そのまま、今度は家々の戸を叩いて回った。
(アンは……すごいな)
迷いなく人々に声をかけ、次々と指示を出していくアンを見る。
「こっちへ!」
「子供とお年寄りは先に!」
(この人が王になれば——)
その先を、アヤカは振り払った。
考えている暇はない。
「大丈夫?さぁ、こっちへ!」
子供の手を引いた、その時——
「来たぞ!」
誰かの叫び声。
視線を上げる。
遠い空の向こう。
赤い“何か”が、群れをなして飛んでいた。
(……あれ)
違和感。
羽ばたいているのに——
動きが、わずかに“ずれて”見える。
音が、遅れて届く。
「なんだ、あれは……!」
駆けつけた兵たちがざわめく。
「ここで食い止めるぞ!」
武器を構える音が、一斉に響いた。
「アン様とアヤカはあちらへ!」
「ええ!」
アンに手を引かれて走る。
その瞬間——
「っ……!」
すぐ近くで、鳴き声。
振り返る。
さっきまで空にいたはずの魔獣が、
もう、目の前にいた。
「放て!!」
矢が放たれる。
次の瞬間——
熱風。
焼けるような空気。
なのに——
(……燃えてない?)
皮膚だけが焼かれるような痛み。
思わず目を閉じる。
(大丈夫——)
その時。
(……違う)
胸が、ざわついた。
(このままだと——)
誰かが、死ぬ。
でも。
誰が。
どこで。
わからない。
視界の端に、
“何かが崩れる”未来が、一瞬だけ揺れた。
「……アン?」
隣を見る。
アンの体が、わずかに震えていた。
「大丈夫よ……カイルは強いもの」
その声も、揺れている。
ぎゅっと、手を握る。
(違う)
これは——
“強さ”では、どうにもならない。
「お願い!!」
その声に、振り向く。
母親が、泣きながら叫んでいた。
「うちの子が……まだ中に……!」
燃えかけた家。
崩れかけた柱。
奥に、小さな影。
その時——
「助けてくれ!」
別の方向から悲鳴。
瓦礫の下。
動けない誰か。
炎が、迫っている。
(……どっち)
足が、止まる。
その瞬間——
視界が歪んだ。
——未来が、流れ込む。
ひとつ。
家に飛び込む。
子供を抱き上げる。
間に合う。
泣き声。
母親の叫び。
——助かる。
もうひとつ。
瓦礫へ向かう。
でも——
間に合わない。
炎に飲まれる。
そして。
振り返れば——
家は、崩れている。
(……っ)
息が詰まる。
両方は、救えない。
音が、消えた。
心臓の音だけが、やけに大きく響く。
「お願い……!」
「助けてくれ……!」
(……私が選ぶ)
喉が、震える。
(どっちを、生かすか)
——一瞬の迷い。
でも。
目を、見開く。
アヤカは走り出した。
「待ってて!」
崩れかけた家へ飛び込む。
煙が、喉を焼く。
視界の奥。
小さな影。
「……っ、いた!」
抱き上げる。
軽い。
でも——
確かに、生きている。
外へ飛び出す。
「……っ!!」
母親が駆け寄る。
「ありがとう……!ありがとう……!」
泣きながら、何度も頭を下げる。
子供の体温が、腕に残る。
——生きている。
その重みが、確かにある。
だからこそ。
振り返るのが、怖かった。
ゆっくりと、振り返る。
瓦礫の下。
さっきまで声があった場所。
——もう、動かない。
(……)
胸が、沈む。
間違っていないはずなのに。
それでも。
(……私は)
選んだ。
選んでしまった。
風が吹く。
どこかで、また悲鳴が上がる。
やがて。
魔獣が去ったあと。
瓦礫の下に、その人はいた。
もう、動かない。
そっと、近づく。
その腕の中に、抱えられていたもの。
小さな、ぬいぐるみ。
歪な縫い目。
ほつれた糸。
何度も直された跡。
片方だけ少し大きな目。
不格好で——
でも。
大切にされていたのが、わかる。
(……)
胸が、締めつけられる。
その腕は、
最後まで——それを離さなかった。
その日。
私は、初めて——
“未来を選んだ”。
そして、知った。
選ばなかった未来も、
確かに存在することを。
助けられなかった命の重さだけが、
胸の奥に、残り続けていた。




