第9話 夜の話
旅を始めて十日目の夜、廃屋の近くに野営した。
ロウが器用に火を起こし、どこから調達してきたのか分からない干し肉をあぶる。黒猫が、ロウの膝の上でくつろいでいた。
わたしは、火を眺めながら、証言書の束を改めて眺めた。ガラのこと、オルドから受け取った二百四十七人の記録、各地で聞いた話。分厚くなった束が、今は重いような、心強いような、奇妙な感触で手の中にある。
「ロウ、前に契約した境界人のこと、少し教えてもらえますか」
ロウは、干し肉を火から離しながら、少し間を置いた。
「何が知りたい」
「どんな人だったのか。何を目的にしていたのか」
「……百三十年前の話だ。若い男だった。名前はセルト。村の開拓者の家に生まれて、土地の権利を巡って地主に一族ごと潰されそうになったところを、私に拾われた」
「復讐が目的だったんですか」
「最初はそうだった。だが途中から変わった。同じように土地を奪われた人間があまりにも多くて、自分一人の復讐より、その仕組み全体を変えることに気持ちが向いていった」
「……似てますね」
「そうだな」
「セルトさんは、どうなったんですか」
ロウは、しばらく黙っていた。猫の背中を、ゆっくりと撫でながら。
「仕組みを変える手前まで来た。証拠も、仲間も、揃っていた。だが……最後の一歩のところで、聖庁の前身の組織に、場所を割れた。囲まれた」
「……逃げられなかったんですか」
「逃げようとしなかった。証拠だけは守ると言って、私に渡して、そのまま囲まれた」
火が、ぱちりと爆ぜた。
「証拠は、その後どうなったんですか」
「私が保管し続けた。百三十年。いつか、使える人間が現れるまで」
わたしは、その言葉の重さをゆっくりと受け取った。
「じゃあ……ロウがわたしを拾ったのは、最初から計画されていたことじゃなくて」
「偶然だ。ただ、準備はしていた。この地域に、またいずれ誰かが現れると思って、百三十年、動向を見ていた」
「百三十年……」
「死神には、時間がある」
わたしは、証言書の束を、胸に抱えた。
「ロウ。わたし、セルトさんの分も、ちゃんとやります」
「私に言わなくていい。お前がそう決めたなら、それでいい」
「言いたかったんです。セルトさんのことを、誰かに言ってあげた人が、いなかったかもしれないから」
ロウは何も言わなかったが、火の向こうで、口の端がわずかに動いた気がした。
しばらく、二人とも黙って火を見ていた。黒猫が、ロウの膝の上でゴロゴロと鳴いている。
「ロウ、あの猫、名前つけてあげましょうよ」
「また猫の話か」
「だって、もう十日以上一緒にいるんですよ。名前なしは可哀そうです」
「猫に名前をつけると、情が移る」
「もう移ってますよ、どう見ても。さっきも干し肉を半分あげてたじゃないですか」
「……見ていたのか」
「バッチリ見てました」
ロウは、天を仰いでから、ぼそりと言った。「ミミでいい」
「それ、さっき却下したやつです」
「お前が最初に言ったんだろう。では何がいい」
「ロウが決めてください。ロウの猫なんだから」
「……クロにする」
「安直すぎる。却下です」
「では、ミミでいい」
「……分かりました。ミミで」
その夜、ミミという名前をもらった猫は、特に喜んだ様子もなく、ただロウの膝の上で眠り続けた。
翌朝、ロウが宿の市場で蜂蜜の瓶を二つ買っているのを見た。
「一つはいつも持ち歩いているじゃないですか。なぜ二つ?」
「……予備だ」
「どのくらいの頻度で買うんですか」
「旅の途中では、三日に一瓶ほど」
「それ、すごい量ですね」
「文句があるか」
「ないです。ただ、どこで覚えたのかなと思って」
ロウは、瓶を革袋に入れながら、少しの間黙った。
「三百年ほど前、旅の商人が置き忘れていった瓶を拾った。それ以来だ」
「三百年間、ずっと食べ続けているんですか」
「そうだ」
「……そういうところが、なんか、好きです」
「何が」
「人間みたいなところが」
ロウは、何も言わなかった。でも、少しだけ視線を逸らした。それが、照れているように見えて、わたしは笑わないようにするのに少し苦労した。




