第8話 灰の記録
旅を始めて八日目、わたしたちは小さな市場町に立ち寄った。
ここは聖庁の管轄外の自由都市で、ロウによれば、かつて聖庁の書記官だった男が引退して住んでいるという。
「内部の記録を持ち出した男だ。良心から、というよりも、自分の身を守るための保険として、らしいが」
「そういう人でも、話を聞くんですか」
「動機の純粋さと、情報の正確さは別物だ」
男の名はオルド。五十過ぎの、太った、どこか疲れた顔の元書記官だった。わたしたちを見た瞬間、ロウを認識したのか、顔色が変わった。
「……死神が来たか。そうか、そういうことか」
「話を聞かせてもらいたい」
「断れないだろうな。境界人も連れている」
オルドの家の奥、鍵のかかった箱の中から、大量の書類が取り出された。
「二十三年分だ。私が書記官だった間の、贄の選定記録を全部写した。一人ひとりの名前、年齢、選定理由、誰の承認を得たか」
わたしは、その束の厚さを見て、思わず息をのんだ。
「何人いるんですか」
「二百四十七人だ。私が知っている範囲で。私より前の分は入っていないし、私が知らない地域の分も入っていない。実際の数は、もっと多い」
二百四十七。
一枚一枚の名前が、ただの記録ではなく、それぞれの人生の最後の一行なのだと思ったら、手が震えた。
「カインの承認が入っているものは、どのくらいですか」
「百二十一件だ。全体の半分近くになる。それ以外も、カインが間接的に関与しているものを入れれば、もっと増える」
「この記録を、わたしたちが使っても構わないですか」
オルドは、少しの間沈黙した。
「……あの男に、証拠を突きつけることができるのか」
「やります」
「なら、持っていけ。私が生きているうちに、これが日の目を見るなら、それが一番いい」
わたしたちが立ち上がろうとしたとき、オルドが付け加えた。
「 わたしたちが立ち上がろうとしたとき、オルドが付け加えた。
「あと一つだけ」
「何ですか」
「私が書記官を辞めたのは、良心から、じゃない。これは本当のことだ。カインが私に、記録の一部を廃棄するよう命じた。命令に従えば、共犯になる。だから逃げた。でも……」
オルドは、太った指で机の上をとんとんと叩いた。
「逃げた後で、廃棄できなかった分の記録を持ち出した。それは、良心から、だったかもしれない。自分でも、よく分からない」
「どちらでも、記録を持ってきてくれたことに変わりないです」
「そうだな。まあ……最後くらいは、ましな人間でいたかった、ということだろう」
一つだけ言っておく。カインは、自分が悪事を行っているという認識がない。本当に、世界の秩序のために必要なことだと信じている。そういう人間は、証拠を突きつけても、自分の非を認めない。最後まで、自分が正しいと言い続ける」
「分かっています」
「分かっていてもか」
「分かっていても、やるんです。カインが認めるかどうかよりも、仕組みが変わることの方が大事だから」
オルドは、わずかに目を細めてから、「そうか」と呟いた。そしてもう一度、棚の奥から小さな封筒を取り出して、差し出した。
「これも、持っていけ。私が書記官だったとき、カインが私に送ってきた手紙の写しだ。証拠として使えるかどうか分からないが……カインという人間の、考え方の核心が書いてある」
封筒を受け取り、後で読んだ。
手紙には、こう書かれていた。
「世界は、多数の安寧のために少数の犠牲を必要とする。これは冷酷な真実だが、目を背けることは、その重さを誰かに押しつけることと同義だ。私は、その重さを引き受けている。それが、聖庁の使命だ」
わたしは、その手紙を何度も読んだ。怒りがあった。でも、それよりも、どこか底冷えするような感覚があった。
カインは、確かに信じている。自分が正しいと。




