第7話 境界人の力
ガラの村を出た翌日から、わたしたちは次の村へと歩き始めた。
道中、ロウが言い出した。
「お前の力を、少し試してみるか」
「力……大災厄の残滓、ですか」
「そうだ。今のままでは、いざというときに使えない。感覚を掴んでおいた方がいい」
わたしたちは道を外れ、木立の中の開けた場所に入った。ロウが少し離れて立ち、わたしの前に枯れた木の枝を一本置いた。
「死の気配というのは、お前の感覚の中でどう感じる?」
「胸のあたりが……熱くなります。ガラの村に入ったときみたいに」
「それが信号だ。感情ではなく、身体の感覚で受け取ること。感情で受け取ると、怒りや悲しみと混ざって判断が鈍くなる」
「感情じゃなくて、身体で……」
「目を閉じてみろ。今、この森の中で、何かが死にかけているものがあるか?」
わたしは目を閉じ、意識を広げてみた。最初は何も感じない。ただの静けさと、風の音。けれど、少し経つと、左前方のどこかから、かすかに熱いものが伝わってきた気がした。
「……左の方、です。何か、小さなもの」
「行ってみろ」
足を向けると、茂みの中に、羽根を痛めた小鳥が一羽、横たわっていた。まだ生きているが、もうあまり時間がないのが分かる。
「分かったか」
「……分かりました」
「それが死の気配だ。大きい命でも小さい命でも、同じように感じられるようになれば、人間が意図して作り出す死の気配――殺意や、仕掛けられた罠も、感じられるようになる」
「毎回こうやって反応してたら、どこにいても心が休まらなくなりませんか」
「最初はそうだ。慣れると、自分で感度の調節ができるようになる。意識して広げる、意識して閉じる。その訓練をしばらく続けることになる」
わたしは、小鳥を手のひらに乗せた。かすかに温かい。
「この子、助けられますか」
「私にはできない。お前にも、今はまだできない。境界人の力は、生を与えることはできない。せいぜい、苦しみを和らげるくらいだ」
「……和らげることは、できますか」
「試してみろ。紋様に意識を向けて、温かいものを、その手に通すつもりで」
わたしは、胸の紋様に意識を集中した。光るわけではない。ただ、そこに何かがある、という感覚を手のひらへと流すように。
小鳥は、しばらくして静かに目を閉じた。苦しんでいなかった、と思う。
「……ちゃんとできましたか」
訓練の三日目、力の使いすぎで頭が痛くなった。
感覚を広げすぎたのだと、あとで分かった。近くの森から、虫の死の気配まで拾ってしまって、情報が多すぎて処理できなくなった。
「感度を閉じろ」とロウが言ったが、閉じ方が分からなくて、しばらく木の根元に座り込んでいた。
「……閉じ方、教えてください」
「鼻をつまむ感覚に似ている。意識を、胸の紋様ではなく自分の皮膚の表面に集中する」
試してみると、少しずつ、外から来る情報が薄れていった。
「……少し楽になりました」
「加減が難しいのは最初のうちだけだ。一週間も練習すれば、無意識にできるようになる」
「ロウは、教えるのが上手ですね」
「経験から来ている」
「セルトさんも同じ訓練をしたんですか」
「……そうだ」
一言だけの答えだったが、その一言に、百三十年分の記憶が詰まっているような気がした。
「及第点だ」とロウは言った。「お前は感覚が鋭い。おそらく、それがお前を贄に選ばせた理由の一つでもある」
「どういう意味ですか」
「大災厄の封印が、感覚の鋭い魂を好む。千年前の術師が、そういう仕組みにした。本来は、その感覚を封印の触媒に使うつもりだったのだろうが……現在の聖庁は、その意図を都合よく曲げて、鋭い感覚の者を贄として選ぶよう、各地の村に指示しているらしい」
「つまり、わたしが選ばれたのは、感覚が鋭いから?」
「それも一因だ。もっとも、主な理由はお前の家の借金だが」
わたしは、小鳥を土の上にそっと置いた。
「自分が選ばれた理由が、ちゃんと分かる方が……なんか、嫌だな」
「なぜだ」
「分からない方が、まだ腹が立ちやすかった気がして。分かると、ただ悲しくなる」
「それでいい」とロウは言った。「怒りだけで走ると、いつか折れる。悲しみを知っている方が、長く続けられる」
わたしは、草の上に寝転んだ。空が見える。雲が流れている。死んでから三日、こんなにのんびり空を見上げたのは、初めてかもしれない。
「ロウ、また訓練しましょう」
「今日はここまでだ」
「もう少しできます」
「お前が倒れると私が困る」
「倒れませんよ」
「境界人は疲れを感じにくいが、限界はある。感覚を使いすぎると、紋様に負荷がかかる。最初のうちは、加減を覚えることが大事だ」
わたしは渋々頷いて、空を眺め続けた。
「ロウ、猫って、何が好きなんですか」
「何の話だ、急に」
「あの黒猫、まだついてきてますよね。なんで猫が好きなんですか」
「……好きとは言っていない」
「うそつかないでください」
ロウは少し間を置いてから、「猫は、死神に慣れる」と言った。
「普通の生き物は、私の気配を感じると怯える。犬は吠える。馬は暴れる。でも、猫は何も感じないのか、それとも感じていても気にしないのか……寄ってくる」
「だから好きになったんですか」
「……そうかもしれない」
素直に答えてくれたことが、少し意外で、少し嬉しかった。




