第6話 最初の村、ガラの証言
最初に向かったのは、隣の州の山間の村だった。
到着したのは夕暮れ時で、村の入り口に差し掛かった瞬間、わたしの胸の紋様がじわりと熱くなった。
「ロウ、ここ……なんか、重いです。胸が」
「分かるか。この村は三年前、一年の間に贄を二人出した。一人では足りないと、聖庁に言われて」
「一人では足りないって……」
「建前上の話だ。実際には封印に関係ない。だが、聖庁が二人を要求した理由が別にある。この村の庄屋が、聖庁への上納金を値切ろうとした。その制裁だ」
吐き気がした。制裁。命を二つ、制裁に使った。
村に入ると、人々は疲れた顔をしていた。笑い声が聞こえない。子供が外で遊んでいない。あちこちに、乾いた悲しみのようなものが漂っている。胸の紋様が、ずっと静かに熱を持ち続けていた。
声をかけると、最初は警戒したが、ロウが「聖庁の実態を調べている者だ」と告げると、一人の老婆が家に招き入れてくれた。
「聖庁の方に相談したくて、ずっと待っとったんじゃ。でも、あの方々に言えば、また制裁を受けるかもしれんと思って……」
老婆の孫は、十五で贄に選ばれた男の子だった。選定の理由は、村の有力者の家と土地の境界線を巡って揉めていたから、というものだった。
「選定の知らせが来た日の夜、孫は逃げようとしたんじゃ。でも、村の若い衆に捕まって……。三日後に、井戸に落とされた。ガラという名前でした。やさしい子で、草花が好きで……」
老婆の手が、膝の上で震えていた。
「亡骸を引き上げたとき、手に野の花を握っとった。誰かが入れてくれたんじゃろか。それだけが、今もわたしの支えで……」
わたしは、ありったけの紙に証言を書き留めながら、次の言葉を選ぶのに苦労した。何を言っても足りない気がしたし、何かを言って老婆の話の重さを薄めてしまうのも嫌だった。それでも、書き続けた。書くことだけが、今わたしにできることだったから。
「おばあさん。ガラさんのこと、わたしが必ず記録します。名前も、その理由も、全部。一人も忘れません」
老婆の家を出た後、わたしたちは村の中を少し歩いた。
村の墓地に、二つ並んだ小さな墓標があった。どちらもまだ新しい。
「あれが、二人の子ですか」
「そうだろうな」
わたしは、花を持っていなかった。ただ、墓標の前に立って、少しの間、そこにいた。
「名前、覚えます。ガラ。もう一人の名前は」
ロウが静かに言った。「タオ。十二歳だった」
「タオ……」
「次の年に選ばれた。ガラの一年後だ」
「タオは……どんな子でしたか」
「知らない。私が気づいたときには、もう消えていた」
三年以上経てば、未練が解けて幽霊すら残らない場合がある。タオも、そうだったのかもしれない。
わたしは、墓標に手を当てた。
「ガラ。タオ。わたしが覚えています。絶対に忘れない」
「……あんた、いい子じゃな」
「そんなことないです。ただ、同じ経験をしたから」
老婆は、じっとわたしを見てから、「境界人か」と呟いた。
「昔、この辺りにおったという話を聞いたことがある。死神に拾われた者が、各地の不正を暴いてまわったという」
ロウを振り向くと、彼は素知らぬ顔で窓の外を見ていた。
「……昔の話だ」とだけ言った。
老婆の家を辞した後、わたしたちは村はずれの草地に腰を下ろした。
「ガラ、という子の幽霊は……いましたか」
「見えなかったのか」
「……見えませんでした」
「三年経てば、未練が解けて消えていることもある。安心したのかもしれない」
わたしは、草の上に膝を抱えて座り、書き留めたばかりの証言書を眺めた。名前。年齢。理由。文字にすると、それぞれの命が恐ろしくコンパクトに収まってしまうような気がして、どうしても受け入れられない気分になる。
「ロウ、わたし、ちゃんとできますかね」
「何が」
「こういう話を、何度も聞いて、それを記録して、最後まで諦めずに続けること。途中で、悲しみとか怒りに飲み込まれて、動けなくなるんじゃないかって」
「飲み込まれることはある」とロウは言った。「ただ、飲み込まれたまま終わる者と、そこから戻ってくる者がいる。お前はどちらだと思う」
「……戻ってきたいです」
「なら、戻ってくる。それだけのことだ」
ロウの言い方は素っ気なかったが、わたしにはその素っ気なさが、むしろ信頼に聞こえた。慰めではなく、事実として言っている。そういう声だった。
「もう一つ訊いてもいいですか」
「何だ」
「ロウって、死神としての仕事をするとき、悲しくなったりしないんですか。死んでいく人を、ずっと見てきたんですよね」
ロウは、少しの間黙ってから、草の一本を手に取って、くるくると指に巻いた。
「慣れた、と言えば嘘になる。ただ、悲しむことと、仕事をすることは、別にできる。むしろ、悲しみを感じられなくなったとき、私は終わりだと思っている」
「どういう意味ですか」
「死を悼む感覚がなくなれば、死神である意味がない。私が死を運ぶのは、死を軽んじるためじゃない。一つひとつの死を、ちゃんと受け取るためだ」
空が、深い紺色に変わっていった。星が出始めている。
わたしは、その言葉をしばらく心の中で転がしてから、ゆっくりと書き留めた。証言書の余白に、小さく。




