第5話 旅立ちの朝
村を出たのは、夜が明けきる前だった。
荷物はほとんどない。ロウが用意していた革袋に、着替えが少しと、いくらかの硬貨と、村で写してきた書類。それだけだった。境界人になったわたしには、食料はほとんど必要ないとロウは言った。水は飲む。日差しは苦手になったが、死ぬほどではない。傷は治りやすい。
「意外と不便ですね、境界人って」
「贅沢を言うな。死ぬよりはマシだろう」
「それはそうですけど」
夜明けの道は静かだった。鳥が鳴き始め、遠くで水の音がする。わたしは、この道を何百回と歩いてきたのに、今日は違う道のように感じた。踏み出す足の感触が、少しだけ軽い。生者の重さが抜けているのかもしれない。
しばらく黙って歩いてから、ロウが言い出した。
「大災厄のことを、少し話しておく」
「聞きます」
「千年前、この地域一帯を飲み込もうとした、巨大な呪いの塊だ。人の形をしているわけでも、獣の形をしているわけでもない。強いて言えば、死への衝動そのものが凝り固まったもの、といえばいいか」
「死への衝動……」
「人が死を恐れるとき、あるいは死を望むとき、そこに滲み出るものがある。それが少量であれば何でもないが、大きな戦や、疫病や、大きな絶望が重なると、その滲みが地に積もって、やがて意志を持つようになる。千年前の災厄は、それが一つの塊になって大陸を歩き始めた」
「それを封印したのが、この村の地下に」
「正確には、最初の聖庁が組んだ術式で縛った。その術式の維持に、確かに当初は贄が必要だった。しかし……」
ロウは、少し間を置いた。
「千年前の術師たちは、やがて贄が不要になると言っていた。封印が安定すれば、術式は自立する、と。にもかかわらず、聖庁は今でも贄の選定を続けている。なぜだと思う」
「……封印が、本当は必要としていないから?」
「その通り。私が確認したのは、三百年前だ。術式を調べたら、すでにその時点で完全に安定していた。贄はもはや封印に何の影響も与えていない。ただ、命が消えているだけだ」
わたしは、その言葉をゆっくりと咀嚼した。
「じゃあ、聖庁は知っていながら……」
「利用し続けている。贄の選定権を持つことは、各地の村を支配する力を持つことだからな。封印が必要かどうかなど、聖庁には関係ない。必要だという建前が、権力の源泉なのだから」
「……最低だ」
「最低だな」
ロウが同意するように言ったことが、わたしには少し意外だった。死神はもっと中立的な存在だと思っていたのかもしれない。
「ロウは、怒りを感じますか」
「感じる。ただ、私が怒りを表に出しても、何も変わらない。だから、溜めている」
「千年分溜めているんですか」
「そうだな」
「それは……しんどくないですか」
ロウは、少しの間黙ってから、「慣れた」と言った。その言葉の重さが、わたしには想像するのも難しかった。
「全部、暴きます。絶対に」
「知っている」とロウは言った。「だから、拾った」




