第19話 わたしたちの旅は続く
翌月、聖庁の調査委員会からわたしたちに知らせが届いた。
カインへの審問が始まったこと、各地の選定は全面的に停止されたこと、封印の術式の独立した調査が開始されたこと。そして、贄の選定によって命を失った者の記録が、公式に作成されることになったこと。
二百四十七人の名前が、公式の文書に残される。記録が作られる。
完全な決着には、まだ程遠い。カインが最終的にどんな裁きを受けるかも、まだ分からない。灰の聖庁という巨大な組織そのものが変わるには、長い時間がかかるだろう。各地の村で根付いた恐怖や不信は、一夜で消えるものではない。
けれど、確かに何かが変わり始めていた。
「これで、一区切りですか」
「そうだな」とロウは言った。「ただし、一区切りに過ぎない」
「分かってます」
わたしたちは、小高い丘の上に立っていた。晴れた日で、遠くまで見渡せた。
「次はどこへ行く?」
「カインの行方を、引き続き追います。聖庁が管轄している他の地域にも、同じような問題が残っているはずだから、そこへも行きたい。フィオが、内部の改革に動いているから、連携したい。オルドのところにも、また話を聞きに行きたい。それと……」
「それと?」
「二百四十七人の名前、全部の背景を調べたいと思っています。名前だけじゃなくて、その人がどんな人だったか。ちゃんと残したい」
「時間がかかるな」
「かかります。でも、やります」
「相変わらず、欲張りだな」
「死神に拾われた身ですから。多少図々しいくらいが、ちょうどいいんです」
ロウは、声を立てて笑った。最初に出会った夜の、酷薄な笑い方とは、もう違う種類の笑い方だった。
足元で、ミミが鳴いた。旅の途中からついてきた黒猫は、今は丸々と太って、相変わらずロウの足元から離れない。
「ミミ、今日は機嫌がいいですね」
「天気がいいと機嫌がいい。単純な奴だ」
「ロウも、今日は機嫌がいいですよね」
「気のせいだ」
「嘘つかないでください」
ロウは、何も言わなかった。ただ、空を見上げて、少しだけ目を細めた。その横顔に、千年分の疲れと、千年分の何かが、透けて見えた気がした。
「ロウ。一つ聞いていいですか」
「何だ」
「わたしは今後、どのくらい生きられますか。境界人として」
「そればかりは分からない。セルトは五十年生きた。もっと長い者もいれば、短い者もいる。お前次第だ」
「死んだとき、ロウが迎えに来てくれますか」
ロウは、わずかに間を置いてから、言った。
「それが私の仕事だ」
「仕事じゃなくて、来てくれますか」
今度は、もう少し長い間があった。
「……来る」
「約束ですよ」
「死神の約束は、破られない」
わたしは満足して、丘の先に目を向けた。
遠くに、次の村が見えている。
「行きましょう」
「ああ」
わたしは、一歩を踏み出した。
復讐は、まだ終わっていない。でも、それだけが目的でもなくなっている。
エルのことを忘れない。ガラのことを忘れない。二百四十七人の名前を、一人ずつ、記録に残す。それが、今のわたしの仕事だ。
誰かの駒ではなく、自分自身の意志で歩く、一人の境界人として。
口の悪い相棒と、蜂蜜と、ミミを連れて、わたしたちの旅はまだ続く。
丘の向こうから、鐘の音が聞こえた。わたしたちの旅はまだ続く。
次の村へ向かう道の途中、ロウが言った。
「ミラ」
「何ですか」
「お前は、いい境界人だ」
「さっき、褒めてないって言いましたよね」
「それとこれとは別だ」
わたしは、足を止めて、ロウを振り返った。ロウは、わたしを見ていた。真顔で、いつもの紫の瞳で。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。歩け」
「はい」
わたしは、また歩き出した。
何百年か後に、ロウがまた誰かを拾うときのことを、ふと考えた。そのときの境界人も、今のわたしと同じように、最初は死神の蜂蜜に驚いて、猫の世話焼きに笑うのだろうか。
そしてロウは、またその誰かと一緒に、世界のどこかを歩くのだろう。
「ロウ」
「まだ何かあるのか」
「ずっと歩き続けることが、ロウの生き方なんですね」
「そうだな」
「……一人じゃなくてよかったです。わたしで、よかったなら」
ロウは、少しの間黙ってから、言った。
「よかった」
短い言葉だったが、千年分の重さがあった気がした。
丘の向こうから、鐘の音が聞こえた。
今度は、弔いの鐘じゃない。
どこかの村で、誰かの一日が始まる音だ。
その音を届けに行くのが、今のわたしたちの仕事だ。
わたしが死んだ日、村の鐘は三度鳴った。
けれど今日、その鐘は、まったく違う意味で鳴っている。
(完・第一部)




