第12話 大聖堂の前夜
聖庁の地方拠点である古い大聖堂が見えてきたのは、旅を始めてから十七日目の夕方だった。
石造りの巨大な建物は、遠くから見ると荘厳で、清廉な宗教機関にしか見えない。白い壁に、高い尖塔。夕陽を受けて輝く窓ガラス。
けれど今、わたしにはそれが別のものに見えた。各地の村で聞いた声が、あの壁の中に塗り込められているような気がして。
「明日、入ります」
「ああ」
「……怖くないと言えば嘘になります」
「正直でいい」
その夜、わたしたちは大聖堂から離れた森に野営した。ロウが器用に火を起こし、ミミがロウの膝の上でくつろいでいる。
「ロウ。あの猫、ちゃんと明日もついてきますかね」
「猫に聞いてくれ」
「ミミ、明日も一緒にいてくれる?」
ミミは、目を細めて、ゴロゴロと鳴いた。
「一緒に来るそうです」
「猫語が分かるのか、お前は」
「感覚的に、なんとなく」
「……境界人の力は、そういう使い方もするのか」
「どうですかね。ただの気のせいかもしれないですけど」
しばらく、火を眺めながら黙っていた。
「ロウ。一つ確認したいんですが」
「何だ」
「明日、カインに証拠を突きつけて、聖庁本部への公開を宣言する。でも、カインが拒否した場合は?」
「証拠は既に、別ルートで各地の領主と、聖庁本部内の改革派に送り届けてある。フィオが運んでくれた」
「え、いつの間に」
「昨日の夜、フィオと連絡を取った。彼女が信頼できる人間に頼んでくれた。術式の専門家も、明日合流する」
「じゃあ、明日わたしたちがカインと対峙するのは」
「最後の確認と、本人の目を見て突きつけるためだ。証拠を届けるだけなら、お前が危険を冒す必要はない。だが、お前にはそれ以上のものがあるだろう」
わたしは、少しの間考えてから、頷いた。
「あります。カインに、直接言いたいことがあります。エルのことも、ガラのことも、二百四十七人のことも。直接、顔を見て言いたい」
「なら、行く意味がある」
火が、静かに燃えていた。
「ロウ。千年分、ありがとうございます」
「何の話だ」
「見続けてきたこと。記録してきたこと。動けない中で、できることをしてきたこと。わたしが出てくるまで待っていてくれたこと。セルトさんが渡した証拠を、百三十年守っていてくれたこと。全部」
ロウは、しばらく黙っていた。ミミの背中を、ゆっくりと撫でながら。
「……礼は、終わってから言え」
「はい」
しばらく、火が燃えるのを二人で眺めた。
「ロウ、明日のことで一つ確認です」
「何だ」
「カインが私兵を用意している場合、どのくらい対応できますか」
「十五人以下なら問題ない。それ以上になると、時間がかかる」
「もし時間がかかっている間に、わたしに何かできることはありますか」
「証拠を持って逃げろ」
「戦う方向で考えていたんですが」
「証拠が世界に出れば、お前たちが負けても意味がある。逆に、証拠を失えば、どれだけ戦に勝っても意味がない。分かるか」
「……分かりました。でも、逃げ切れなかった場合は?」
「そのときは、私が何とかする」
「どうやって」
「死神には死神の手段がある。詳細は聞くな」
「聞きたいですけど」
「聞くな」
わたしは諦めて、ミミの背中を撫でた。ミミは目を細めてゴロゴロと鳴いた。
「ミミ、明日もついてきますか」
「猫は戦場に連れて行くな」
「分かってます。でも、無事でいてほしくて」
「……廃屋に置いていく。帰ったら拾う」
「絶対に拾ってください」
「分かった」




