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Staff Hero ― 支える勇者 ―  作者: 和泉發仙


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北へ踏み出す一手 ― 影との遭遇

北の小都市が魔物軍に占拠された――

そんな報せを受けて、レーヌ湖畔公国は“避難民の受け入れ”と“北道の偵察”を同時に動かし始めた。


ジージーたちは、そのうちの小さな一隊。

混成遠征隊の一角として、他のパーティとは距離を保ったまま、馬車ごと北へ向かう。


戦争――という言葉はまだ似合わない。

けれど、風は確かに、街では嗅いだことのない匂いを運んでいた。

◆1 馬車の揺れと、遠く離れた仲間たち


 馬車の床板が、ガタン、と跳ねた。


「うわっ」


 ジージーは短杖を慌てて抱え直す。

 腰掛け替わりの木箱に座ったまま、揺れに合わせて軽く膝を曲げた。


「慣れてきたな」


 向かい側で、セルグレンが淡々と呟く。盾と短剣は馬車の外側に括りつけてあり、彼自身は荷台の天井すれすれに頭を押しつけながら座っていた。


「最初の一時間くらい、完全に船酔い顔だったの誰でしたっけ」


「お前だろ」


「オレは最初から平気だったけどな?」


 リゲロは、揺れるたびに身体を弾ませるように、妙に楽しそうにしている。

 荷台の後ろ側には、予備の水樽と乾パンの箱。

 その上に三人が妙な距離感で腰掛けているのが、今日のジージー組の“持ち場”だった。


 外から、別の馬車の車輪音が微かに聞こえる。

 けれど、それはだいぶ遠い。


(あっちは、エルナさんたちの馬車かな……)


 ギルド前で隊編成が告げられたとき、十数人の冒険者たちはそれぞれ元のパーティごとに馬車へ振り分けられた。

 ガレスたちBランク組は先頭。

 盾役の多いパーティは、避難民の馬車のすぐ護衛。

 ジージーたち三人は、最後尾から二番目。

 “後ろからの追撃に対応しつつ、全体を見ろ”という位置だ。


 ミナが、誰にも見えないまま、ジージーの隣にふわりと座る。


「前の馬車……だいぶ離れてきたね」


「やっぱり?」


「うん。音の重なりが薄くなってる。

 でも、完全に見えなくなったわけじゃないから、まだ大丈夫」


 馬車の幌越しに漏れる光が、揺れに合わせて揺らめく。


 セルグレンが、幌の隙間から前方を一瞥した。


「道が、森に飲まれてきたな」


 それは、街から半日ほど北へ進んだ地点。

 穏やかな農地が途切れ、代わりに背の高い針葉樹と、暗い土の匂いが濃くなる区画だった。


「ここから先が、“襲う側が有利な道”だ」


「……戦争で、よく通った?」


「似たような道は、山ほどな」


 セルグレンの言葉に、馬車の中の空気が、ほんの少しだけ重くなる。


「……ジージー」


 ミナが、小声で呼ぶ。


「うん」


「怖くなってきた?」


「ちょっとだけ」


 ジージーは素直に頷いた。


「でも、それ以上に……なんか、変な感じがする」


「変?」


「うん。

 あの北の街が落ちたって、たぶん実感できてない。

 でも、今この道を走ってると……“あっち側”に何かがいる、って分かるというか」


 言葉にして、自分でも驚いた。


(あたし、こんなこと考えるようになったんだな)


 ついこの間まで、“依頼があるから北へ行く”“ダンジョンがあるから潜る”――それくらいの感覚だった。

 今は少し違う。


 自分たちが向かっている先に、“誰かの故郷だった場所”があって、そこが今は魔物で埋まっている。


 それを、頭ではなく、肌で感じ始めている。


「それでいい」


 セルグレンが、短く言った。


「鈍くならずに済んでいる証拠だ。

 怖さを忘れた奴ほど、こういう道であっさり死ぬ」


「……はい」


 リゲロは、荷台の後ろ側に移動して、幌の隙間から振り返った。


「後ろは静かだな。

 避難民の列、見えなくなってきたけど……ちゃんと別の護衛、付いてんだろうな?」


「付いてる。安心して」


 ミナは目を閉じて、風の流れを読むように言う。


「避難民の馬車、三台。その前後に、盾と槍のパーティ。

 あの人達の足音、ちゃんとついていってる」


「……ほんと、便利だよな、お前の耳と目」


「酷い言い方」


 ミナがぷくっと頬を膨らませる。


 そのやり取りに、ジージーはほんの少しだけ笑った。


(でも――)


 笑いが収まったところで、胸の奥の硬い塊は、消えないままだった。


 森の匂いが変わる。

 土の湿り気の中に、鉄と焦げの残り香。


 ジージーは、無意識に短杖の握りを確かめていた。


―――――


◆2 北道の“ほつれ”


 夕暮れになるにはまだ早い。

 高い木々の枝葉が陽を遮り、道は妙に薄暗かった。


「……馬の歩度が変わったな」


 セルグレンが、わずかな揺れの違いを拾う。


 がたん、と。

 今度はさっきよりも強い衝撃。

 御者台から、低い舌打ちが聞こえた。


「ジージー、リゲロ。ちょっと前を見てこい」


「了解」


 二人は同時に立ち上がり、馬車の側面から外へ身を滑らせた。

 荷台の横木を掴んで、ひょいと飛び降りる。


 北風が、正面から頬を叩く。


「……うわ」


 リゲロが眉をひそめた。


 道の真ん中。

 車輪の跡が深く刻まれた土の上に――半ば壊れた荷車が一台、横倒しになっていた。


 その周囲には、黒く乾いた血の跡。

 木箱がいくつか割れ、中身が散乱している。


 干し肉。布。小さな玩具。


「避難民の荷物だな」


 セルグレンが、馬車から降りてくる。


 一行の先頭は、すでにこの障害物を迂回して進んでいるようで、遠くにかすむ背中が見える。


 ジージーは胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるのを感じた。


(ここで……襲われた?)


「新しい血……じゃないね」


 ミナが、荷車の上に腰を下ろすようにして周囲を見渡す。


「少し前。多分、昨夜から今朝にかけて。

 ここで一度、何かが“破れた”感じがする」


「“破れた”?」


「うん。

 人が通るべき道が、一瞬だけ、完全に止められた感じ。

 でも、今は……破れ目だけ残ってる」


 詩みたいな言葉だ、とジージーは思う。

 けれど、ミナの感覚は、いつだってこの世界のどの地図よりも正確だった。


 リゲロが散らばった荷物をざっと見て、肩をすくめる。


「どうする? 放っとくか?」


「……いや」


 セルグレンは荷車の車輪を持ち上げ、道の端へと力ずくで押した。


「せめて“次の犠牲”を生む足場にはさせん。

 邪魔なものは、どかす」


 ジージーも、玩具を拾って荷車の上にそっと戻した。

 木でできた、小さな木馬。

 ルーシーが作る玩具と、どこか似ている。


「……ここで生き残った人たちが、あとで戻ってきた時。

 道の真ん中に転がったままより、端に寄せてある方がいいでしょ」


「お前、そういうとこ、ほんと変わんねぇな」


 リゲロが苦笑まじりに呟く。


「非致死だ何だ騒いでても、やってることは結構えげつねぇのにさ」


「えげつなくないです」


 言い返した瞬間――


 森の奥で、何かが折れる音がした。


 一本の枝ではない。

 複数の足音と、重い何かが倒れる鈍い響き。


 ミナがピクリと顔を上げる。


「……来る」


 風が、一瞬だけ冷たくなった。


―――――


◆3 追われている者、追う者


 最初に飛び出してきたのは、人間だった。


 ボロボロの外套をまとった中年の男。

 片腕で何かの包み――小さな体――を抱え、死に物狂いで走ってくる。


「誰かっ! 誰か、助け――!」


 その背後から、影が裂けるように三つ飛び出した。


 灰色の皮膚。

 痩せた体躯。

 曲がった短剣と、青白い瞳。


「ゴブリン……」


 ジージーは、反射的に短杖を構えて前に出た。


 ゴブリンたちは、逃げる男を追い立てるように、石つぶてを投げつけていた。

 包まれた小さな体が、震える。


(子ども――)


 考えるよりも先に、身体が動いていた。


 ジージーは男と子どもの前に飛び込み、短杖を横に薙ぐ。

 石つぶてをはじき飛ばし、その勢いで先頭のゴブリンの鼻先を叩く。


 ボギャッ、と嫌な音がした。


「ギィ!?」


 鼻を押さえてのけぞるゴブリン。

 その隙をついて、リゲロの双短剣が左右から閃いた。


「……はい、一丁」


 喉元と腋の下――致命点を正確に貫く。

 ゴブリンの体が崩れ、土に沈む。


 残り二体が、ジージーたちを認めて、ギリ、と牙を剥いた。


「セル!」


「任せろ」


 セルグレンは片膝をつき、盾をぐっと前に押し出す。

 短い突撃を仕掛けてきたゴブリンの一体が、盾にぶつかって弾かれた。


「ジージー、右!」


 ミナの声。

 もう一体が、ジージーの死角から跳びかかる――


 ジージーは、短杖を逆手に握り直し、足元から上へと打ち上げた。


「っ……!」


 棍の先が、顎をこじ上げる。

 ゴブリンの身体が一瞬宙に浮いたところへ、セルグレンのショートソードが突き込まれた。


 喉元を貫かれたゴブリンが、音もなく崩れる。


 最後の一体は、鼻を折られた個体だ。

 血まみれの顔で、なおも短剣を構え直す。


 だが、その頭上を――白い影が横切った。


「――!」


 ミナが呼び出した小さなレイスが、ゴブリンの目を覆うようにまとわりつく。

 視界を奪われたゴブリンは、空を切るように短剣を振り回した。


「終わりだ」


 リゲロの声が、低く静かに落ちる。

 双短剣が再び閃き、灰色の首筋にX字を刻んだ。


 短い悲鳴。

 そのまま、森は静かになる。


 ジージーは、短杖からそっと力を抜いた。


 胸の鼓動が早い。

 けれど、手はもう震えていなかった。


「だ、大丈夫か?」


 振り向くと、中年の男が、まだ尻もちをついたまま、胸に抱えた包みをぎゅっと抱きしめていた。


 包みの中から、小さな顔が覗く。

 七つか八つくらいの少女。

 頬に土と涙の跡がある。


「ひっく……」


 少女が嗚咽をこぼした瞬間、ジージーの中の“硬い塊”が少しだけ形を変えた。


(あ、そうか。

 ……これが今、北で起きてることの“端っこ”なんだ)


 街ごと飲み込まれるほどの大きな波。

 その飛沫が、ここまで飛んできている。


―――――


◆4 戦争の匂い


「ここから先、街まではどれくらいだ」


 セルグレンが、男に問いかける。


「ひっ、ひぃ……じゅ、十キロ……いや、それより……」


 男は、まだ息を整えられないまま答えた。


「俺たちの隊商は……十台くらいの荷車で一緒に逃げてて……

 けど、昨夜のうちに、魔物の群れに追いつかれて……」


 唇が震え、言葉が続かない。


「……分かった」


 セルグレンはそれ以上踏み込まなかった。

 代わりに、リゲロが周囲の茂みをざっと見て回る。


「他には反応なし。

 多分、この三体は“取りこぼし”だな。

 で、取りこぼした獲物を追ってここまで来た――と」


「他の馬車は?」


 ジージーの問いに、男は、ゆっくりと首を振った。


「分からない。

 夜のうちに散り散りになって……

 俺とこの子は、ただ走るので精一杯で……」


 ミナが、静かにジージーの後ろへ下がる。

 彼女の気配は、どこか沈んでいた。


「ジージー」


「うん」


「この道、今はまだ“風上”の匂いが強い。

 でも……もう少し先へ行くと、“焼けた匂い”が増えそう」


 それは、ミナなりの警告だった。

 戦争に近づいている、と。


 ジージーは、喉の奥をぎゅっと締め付けられる感覚を、深呼吸で無理やり押し込めた。


「……この人たち、どうする?」


「後方の避難民の列に合流させる」


 セルグレンは即答する。


「俺たちは護衛隊の一部であって、“救助隊”そのものじゃない。

 だが、目の前の二人を見捨てるほど冷たくはないさ」


 彼は、男の肩に手を置いた。


「落ち着け。

 ここから少し南に下ったところで、避難民の列に追いつく。

 そこに、ギルドが付けた護衛隊がいる。

 お前たちは、そこまで付き添っていく馬車に乗れ」


「そ、そんな……恩に着ます……!」


 男は、泣き笑いしながら頭を下げた。


 ジージーはほっと息を吐き、それから――

 自分の胸の中に、別の“重み”が生まれていることに気づいた。


(あたしたちは、護衛隊の一部。

 救助隊でも、軍でもない。

 でも――)


 目の前にいる“助けられる二人”と、

 もう手の届かない場所にいる“たくさんの誰か”。


 その境界線を、今日はっきり見せつけられた気がした。


―――――


◆5 それぞれの背中


 避難民の列まで男と少女を送り届け、再び自分たちの馬車へ戻る頃には、太陽はだいぶ西へ傾いていた。


 先行していた護衛隊との距離は、さらに開いたようだ。

 前方の馬車の影は見えない。

 代わりに、森を抜けた先の空が、かすかに赤く染まり始めている。


「……前、速いな」


 リゲロが苦笑する。


「まぁ、あっちはBランクと盾持ちが固まってる編成だしな。

 “敵のど真ん中に突っ込む役”を買って出てるんだろ」


 セルグレンの言葉に、ジージーは前方の空をじっと見つめた。


 そこには、まだ炎も煙も見えない。

 けれど――

 風が、微かに焦げた匂いを運んできている。


「ミナ」


「うん」


「今、あの人たち――ガレスさんたち――どうしてるか、分かる?」


「……はっきりとは分からないけど」


 ミナは目を閉じて、両手を胸の前で組んだ。


「金属と、魔力のきしむ音。

 それに、もう一つ――“嫌な静けさ”が混ざってる」


「嫌な静けさ?」


「うん。

 “誰かが、笑いながら剣を振ってる時の静けさ”。

 あんまり、好きじゃない」


 ジージーは、一瞬だけ、酒場で見た“勇者”の笑い顔を思い出した。

 あの時の不快感と、今ミナが言った言葉が、頭の中で妙につながりそうになって――

 急いで振り払う。


(今は、あの人たちのことを考える時じゃない)


 ジージーは、短杖の端をぎゅっと握った。


「セルさん」


「なんだ」


「さっき、男の人と子ども助けた時……

 あたし、ちょっとだけ“間に合わなかった人たち”のこと考えちゃって」


 言いながら、自分の声が少し震えているのが分かる。


「でも、そのたびに足が止まりそうになって……」


「当たり前だ」


 セルグレンは、あっさりと言った。


「全部に間に合うと思うな。

 全部に間に合わなかったからといって、今目の前にいる奴を見捨てるな」


「……」


「前だけ見ろ、なんて俺は言わん。

 振り返るな、なんてのも嫌いだ。

 ただ――足だけは、止めるな」


 リゲロが、ぽん、とジージーの背中を軽く叩いた。


「そうそう。

 今日助けた二人分、ちょっとだけ“北送りのツケ”が減った、って思っときゃいいのさ」


「ツケ?」


「帝国だか魔王だか知らねぇけどよ。

 偉そうに人を数字で数えてる連中の“貸し借り帳”に、少しずつ傷を付けていく感じ」


 リゲロはニヤッと笑う。


「オレらは、殴って折り目を付ける係。

 ジージーは、“止める”係。

 ミナは、“見つける”係。

 セルは……まぁ、全部まとめて受け止める係だな」


「勝手にまとめるな」


 セルグレンは呆れ顔で言いながらも、完全には否定しなかった。


 ジージーは、深く息を吸い込む。


 焦げた匂いと、土の匂いと、馬の汗の匂い。

 その全部をまとめて胸に入れてから、ゆっくり吐き出した。


「……よし」


「うん?」


「足、止めません。

 怖くても、間に合わない人がいても――

 今、届くところまでは行く」


 ミナが、ふわりと微笑む。


「それでこそ、ジージーだよ」


 御者台から、声が飛んだ。


「おーい、そろそろ日も落ちる。

 ここから先、森を抜けたところで一度野営するぞー!」


「了解!」


 セルグレンが返事をし、ジージーたちは再び馬車の荷台に乗り込む。


 遠くで、雷のような音が一度だけ、くぐもって響いた。

 剣と魔法がぶつかる音が、北の空の向こうから、微かに届く。


(あっちは、あっちの戦い。

 こっちは、こっちの戦い)


 ジージーは、そう心の中で呟いた。


 ――少しずつ、世界が“戦争”へ傾き始めている。


 けれど、自分たちにできることは変わらない。

 止める。

 守る。

 足を止めない。


 馬車は、再びきしみながら北へ向かって進み始めた。

北への小遠征編、その一歩目でした。


 ・馬車ごとに離れたまま進む隊列

 ・道のほつれとして現れる、壊れた荷車

・「助けられた二人」と「間に合わなかった誰か」の境界線

・ジージーなりの“戦争の匂い”の初体験


を描いた回です。


このあと、

先行しているガレスたちの戦いの結果が、

ジージーたちの前に“影”として現れてきます。


次回も、よろしくお願いします。

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