『湖畔の晩餐 ― 屋台通りで会いましょう ―』
【前書き】
救出任務、領主館での会見を経て、
街にも、ジージーたちの心にも、ようやく“普通の夕暮れ”が戻りつつある。
今回は――
そんな「仕事帰りのちょっといいこと」から始まる、
ルーシー、獣人の兄妹、そしてマリーヌを巻き込んだ小さな晩餐会のお話。
剣も魔法も出てこないけれど、
“この街で生きていく”ってこういうことだよなぁ、という一話です。
では本編へ。
―――――
◆1 配達の夕暮れ
ギルドから渡された配達の荷物は、
役所、鍛冶屋、革工房へと順番に届けるだけの、簡単な日銭仕事だった。
「……よし、これで全部」
最後の家で丸印をもらった書類をくるりと裏返し、ジージーは軽く肩を回した。
(戦う依頼も悪くないけど……
こういうのも、嫌いじゃないな)
役所の書記は、くたびれた目をしながらも「助かったよ」と笑ってくれたし、
鍛冶屋の親方は「この前のゴブリンん時の嬢ちゃんだろ」と、さりげなく鉄くずのオマケを握らせてくれた。
革工房の奥さんは、ルーシーたち孤児院の子どもの話をしてくれて――
(街のこと、少しずつ分かってきた気がする)
日が落ち始め、通りには橙色の光が長く伸びていた。
石畳に落ちた影が、湖から吹いてくる風でゆらゆら揺れる。
ギルドに戻るには、まだ少し早い。
ひと息つこうと、ジージーが伸びをしたその時――
「ジージー!!」
「わっ」
振り向くと、背中に小さなバッグを背負ったルーシーが駆けてくるところだった。
銀色の髪が夕陽を反射して、きらりと光る。
「この前のお菓子、お礼言おうと思って……!
ギルドの前に行ったらいないって言われたから、こっちまで探しに来ちゃった」
「はは、わざわざありがと。今日も孤児院の手伝い、頑張ったのか?」
「うん! 今日は洗濯と、あと子どもたちの靴の補修!」
ルーシーは小さな両手を見せる。
指先には、細かい針の跡がいくつか残っていた。
「“歩ける靴が一足増えると、外に出られる子も一人増える”って、院長先生が言ってたから……」
「そっか」
ジージーは自然と笑った。
(ほんとに、いい子だな……
なんであんな子たちが“北送り”候補に入る世界なんだよ)
胸の奥に小さく湧き上がる怒りを、そっと飲み込む。
今は、それをルーシーに見せる時間じゃない。
「よし、とりあえず腹ごしらえしよう。仕事終わりだし」
「えっ?」
ジージーはルーシーを促し、夕暮れの屋台通りへと足を向けた。
ミナが、ジージーの肩の後ろをひょいっと飛び越え、くるくると宙返りをする。
「配達お疲れさま。ご褒美ご飯ね。
……あ、でも霊体だから、私は匂いだけよ?」
「勝手に文句言ってる……」
ジージーは苦笑しながら、小声で返した。
もちろん、このやり取りが聞こえているのは、ジージーだけだ。
―――――
◆2 屋台での小さな事件
夕餉の香りが、通りいっぱいに漂っていた。
串焼き肉の脂の匂い。
香草を浮かべたスープ。
甘いシロップをからめた焼き菓子。
「わぁぁ……全部おいしそう……」
ルーシーは完全に目をキラキラさせている。
屋台の灯りが瞳に映って、星みたいに光っていた。
「今日はあたしが奢るよ。何にする?」
「えっ!? い、いいよそんな……!
だって、いつもジージーには助けてもらってばっかりで……」
「いや、最近ほんとに頑張ってるだろ? ほら」
ジージーは屋台の親父に声をかけ、串焼きと芋の揚げ物、それから温かいスープを多めに注文した。
ミナが横から覗き込み、ふわふわと屋台の上を漂う。
「そのスープ、絶対おいしいやつよ。いいなぁ……湯気しか味わえない……」
「ミナ、湯気でも十分楽しんでる顔してるよ」
そんなことを話していると、横の暗がりから「くぅ……」と小さな声がした。
「……?」
ジージーがそちらを見ると――
二足歩行の犬獣人の少年と、猫獣人の少女が、空っぽの腹を押さえて座っていた。
耳はしょんぼりと垂れ、尻尾も力なく丸まっている。
服は薄くて擦り切れていて、靴も片方は穴が空いていた。
ジージーの胸がきゅっと締めつけられた。
(……くそ。これ、昔の孤児院の子たちと同じだ)
ミナが、ジージーの耳元で小さく言う。
「魂の色、薄いわね……お腹が空きすぎると、心の灯も弱くなるから」
「分かってる」
ジージーは、買ったばかりの紙袋を少し持ち直した。
「なぁ、たくさん買いすぎたんだ。
よかったら、一緒に食べてくれないか?」
「へ……?」
犬獣人の少年が、ぱちぱちと目を瞬かせる。
猫獣人の少女は、ジージーとルーシー、それから屋台の親父と通りの人々を見比べて、身体を固くしていた。
「い、いいの……? 本当に?」
「もちろん。ほら、座れよ。ここなら風も当たらないし」
ジージーが袋ごと差し出すと、隣でルーシーも小さな水筒を取り出した。
「これ、飲んで。さっき井戸から汲んできたの。冷たくておいしいよ」
ふたりは恐る恐る手を伸ばし、
次の瞬間――
「……おいしい……っ!!」
芋の揚げ物にかぶりついた猫獣人の少女の目に、ぽろぽろと涙が浮かんだ。
「こんな、あったかいの……ひさしぶり……」
「ゆっくりでいいからね。ほら、スープも」
ルーシーが笑うと、少年もこくんと頷いた。
「おれ、ヨデ。こっちはロマ。
ありがと……おねえちゃんたち……」
「そっか、ヨデとロマか。
あたしはジージー。こっちはルーシー」
「ジージーお姉ちゃんと、ルーシーお姉ちゃん……」
その呼び方が、少しくすぐったい。
そんな優しい時間を――
通りの隅で、冷めた目で見ている大人の視線もあった。
「また孤児か」「獣人が増えると治安が」と、ぼそりと漏れる声。
それを聞いて、ジージーの拳が一瞬だけ握られかけた。
だが、その時。
「すばらしいですわぁぁぁーーっ!!」
甲高く澄んだ声が、背後から弾けた。
「ひゃっ!?」
ジージーもルーシーも飛び上がる。
振り返ると――
昼間に領主館で会ったばかりの、あの小さな令嬢が立っていた。
豪奢な外套を羽織った青いドレス。
飾りをつけた金髪のツインテールが、夕暮れの光を受けてきらきら輝いている。
「まぁまぁまぁ! 人にも獣人にもお優しい……
さすがはジージー様ですわ!!」
「え? え?? いやいや別に大したことしてないって!」
(お、お嬢さま!? なんでこんなとこに!?)
ミナが、ジージーの肩の後ろからひょこっと顔を出す。
「ふふ、やっぱり来たわね、マリーヌちゃん。
“今日こそ街に下りてジージーを見つけます!”って、領主館で騒いでたもの」
「それ先に言ってよ!?」
もちろん、ジージーのツッコミが届くのはミナだけだ。
―――――
◆3 貴族令嬢マリーヌ登場
「わたくし、レーヌ湖畔公国伯爵エドモンド・ラ=フロールの娘、
マリーヌと申します!」
マリーヌはくるりと裾を翻しながら、完璧なレディの礼をしてみせた。
ルーシーが、びくっと肩を震わせる。
「じょ、じょおうさま……?」
「ちがうちがう、ルーシー。領主さまの娘さん」
「す、すみません!!」
「まぁ、そんなに固くならなくてもよろしいのですわ!」
マリーヌはルーシーの手をそっと取った。
驚いたルーシーの手を、じっと見つめる。
「あなた、手がとっても働き者の手ですのね……。
針の跡、擦り傷……。でも、とても大事に使われている手。素敵ですわ!」
「えっ……あ……えへへっ」
たちまちルーシーの顔が真っ赤になる。
(この子……コミュ力が爆発してやがる!)
ジージーは内心で頭を抱えながら、引き気味に見守っていた。
「やっぱジージーはすごいね! 貴族様と知り合いなんだね!」
ルーシーが興奮気味にジージーの袖を引っ張る。
「え、ええと、まぁ……この前、ちょっとね」
「ええ!!」
マリーヌが食い気味に続ける。
「子どもたちを救った英雄!
孤児院にお菓子を届ける優しき冒険者!
ギルドで“今いちばん目が離せない人物”だと、うちの執事たちのあいだでも話題ですの!!」
(なんでそんな情報が!? 誰だよしゃべったの!!)
ミナが、くすくす笑う。
「噂って、“ありがとう”の数だけ早く広がるのよ。よかったわね、ジージー」
「よくないよ、恥ずかしいよ!」
ジージーが小声で抗議していると、マリーヌがぱっと手を打った。
「ですので……!」
その声に、通りの視線が一斉に集まる。
「よろしければ、このままご一緒に“晩餐”へ行きませんこと?
わたくし、皆さまともっとお話ししてみたくて!」
「晩餐……?」
ルーシーが小声で振り返る。
「じ、ジージー……すごいこと言われてるよ……!」
「ど、どうしよう……?」
ジージーが固まっていると――
屋台の向こう、通りの反対側にある宿屋の二階の窓から、二つの影がこちらを睨んでいるのが見えた。
セルとリゲロだ。
(……あちゃー……
めっちゃ心配させちまったなぁ)
セルは「また変なのに巻き込まれてる」と言いたげな顔。
リゲロは「いいぞもっとやれ」と言いたげな顔で、なぜか親指を立てていた。
マリーヌが、その視線にすぐ気づく。
「あら、あちらにいらっしゃるのは……先日、領主館でご一緒したお二人ですわね。
ええと――セルグレン様と、リゲロ様!」
ジージーは観念した。
「う、うん……あたしの仲間。セルとリゲロ」
「ならば!!」
マリーヌの瞳が、キラキラどころかギラギラと輝く。
「全員まとめて、ご招待いたしますわ!!!
お二人も、もちろんご一緒に!!」
(えええええええ!?)
屋台通りがいっそうざわめいた。
「領主様の娘さんが……」「あの子たち、いったい何者なんだ……?」
そんな囁きが四方から聞こえてくる。
ミナだけが、面白そうに空中で回転した。
「いいじゃない。たまには、“ちゃんとしたご飯”も食べておきなさいな」
―――――
◆4 湖畔亭にて ― 小さな晩餐会
高級レストラン「湖畔亭」。
湖を望む大きな窓と、暖かな光を落とすシャンデリアが印象的な店だ。
普段は商会長たちが会合に使うという個室に、五人は通された。
「……まさか、こんな店に入る日が来るとはな……」
セルが小声で呟く。
いつもの無精ひげはきちんと整えられ、
粗末な上着の埃も、ここへ来る前に念入りに払ってきたらしい。
「俺、こういうとこ緊張して落ち着かねぇんだよ……」
リゲロは背筋をガチガチに伸ばし、妙にぎこちない動きで椅子に座っている。
ルーシーはと言えば――
座っているだけでいっぱいいっぱい、といった様子だが、それでも窓の外の景色から目を離せない。
「湖が……きれい……!
あんなに遠くまで見えるんだね……」
窓の外には、夕暮れのレーヌ湖が一面に広がっている。
水面には街の灯りが揺れ、空の群青が、グラスの縁のように湖面を縁取っていた。
マリーヌは、そんな三人+一人を見回して、満足げに頷いた。
「皆さま、遠慮なさらずに!
今日は“冒険者たちの武勇”を讃える会ですわ! お代はぜんぶ、ラ=フロール家持ちですの!」
「じ、じ、ジージー……」
ルーシーが袖をつまむ。
「こんなところでご飯食べたら……一生分の運を使い果たしちゃうよ……!」
「だ、大丈夫。運も胃袋も、ちゃんと二周目あるから……たぶん」
ミナがジージーの頭上にひょこっと顔を出す。
「いやぁ、いいわねこういうとこ。昔、生きてた頃は“招かれる側”だったから、ちょっと懐かしいわ」
「ミナの過去、本当に謎多すぎるからね?」
そんな内緒話をしながら、ジージーはグラスを手に取った。
中身は、微かに甘い香りのするフルーツ水だ。
「じゃあ……改めて」
ジージーは、みんなの顔をぐるりと見渡した。
「ロマとヨデを助けられたこと。
街の人たちが“おかえり”って言ってくれたこと。
そして――こうして今、みんなで笑って食べられてることに」
自分でも少し照れくさい言葉だと思いながら、それでも続けた。
「……お疲れさま、あたしたち。これからも、よろしく」
グラスを軽く掲げる。
「「「……乾杯!!!」」」
グラスの澄んだ音が、個室に響いた。
料理が運ばれてくるあいだ、マリーヌは興味津々といった様子でルーシーに質問を浴びせかけていた。
「孤児院のお仕事って、どんなことをなさっているの?」
「木工もされるんですの? この前の小さな馬の玩具、とても可愛らしかったですわ!」
「え、見たことあるの!?」
ルーシーが目を丸くする。
「もちろん! ヨデくんが、宝物みたいに見せてくれましたもの。
『ルーシーが作ってくれたんだ』って、すっごく嬉しそうでしたわ」
その一言で、ルーシーの目にじわりと光が滲んだ。
「……よかった……。ちゃんと“帰ってきた証”になってるんだ……」
ジージーは、そっとルーシーの背中を軽く叩いた。
「ルーシーの作ったものが、あの子たちの“帰ってきた証拠”なんだ。
それ、すごいことだよ」
「う、うん……!」
一方、セルとリゲロはといえば――
「なぁセル。これ、いくらぐらいすると思う?」
リゲロがメニューを覗き込みながら、小声で囁く。
「考えるな。数字を想像した瞬間、喉が詰まる」
「正論だな」
ふたりのやり取りに、ミナがくすっと笑う。
「いいじゃない。こういう“ちゃんとしたご飯”は、出される時に素直に受け取るのが礼儀よ。
生きてるあいだに、美味しいものは食べておきなさい」
「ミナ、生きてないけどね」
ジージーが小さく突っ込む。
「そこは言わないお約束でしょ!」
やがて料理が運ばれ始めた。
香草を添えた湖魚のグリル。
野菜たっぷりのクリーム煮。
地元の麦を使った焼きたての小さなパン。
ルーシーは一口料理を口に入れ――
目をまん丸にした。
「おいしい……!!」
「よかった。口に合った?」
「合いすぎて、夢みたい……!」
マリーヌは嬉しそうに笑った。
「ね、ジージー様」
「うん?」
「こうしてご一緒にご飯をいただくと……
領主館でお会いした時よりも、もっと“本当のジージー様”に近づけた気がいたしますわ」
「えっ」
「領主館では、わたくし、たぶん少し“公女”でいようとしてしまって……。
本当は、こうして街に出て、皆さまと一緒に笑っていたかったんですの」
マリーヌの言葉に、ジージーは少しだけ目を瞬かせた。
(この子なりに、“肩書き”と戦ってるんだな)
「だったら、またこうして来ればいいよ。
あたしたちがこの街にいるあいだは、さ」
「本当に、よろしいのですの!?」
食いつくような勢いに、ジージーは思わず笑ってしまう。
「もちろん。……ただ、アンリエットさんに怒られない程度にね」
「うっ……そこが一番の難関ですわ……」
マリーヌが肩を落とし、みんなが笑う。
その笑い声は、湖の向こうへ、ゆっくりと溶けていった。
―――――
【後書き】
配達仕事→屋台→レストランと、
剣も魔法も出てこない回でしたが、
•ジージーの「街の一部になりつつある」感
•ルーシー/獣人の子たちとの距離の近さ
•マリーヌの“公女”と“ひとりの女の子”のあいだの揺れ
•そして、セル&リゲロ+ミナ含めた「4人と一人」の、ちょっとぎこちないけど温かい晩餐
を描く一話になれば、と思って加筆しました。
このあたりのエピソードが積み重なるほど、
あとで“北方の影”が濃くなった時に、
「守りたいもの」がはっきりしてくるはずなので、
また日常回を混ぜながら進めていきましょう。




