『旅路の章 ― 砂と風の短編集 ―』 第7話(最終話) 『湖畔の約束』
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朝靄が湖面を薄く覆う時間。
孤児院の玄関先には、昨日から丁寧に並べられた木の馬が三頭。
銀髪の少女、ルーシーが胸を張って、ジージーへ説明していた。
「えーっと、これが新作の“涼風号”! あと、真ん中が“ステラ一号”で」
「一号?」
「院長さんがモデルだから!」
「ほう……脚がしっかりしてるのは、納得」
「で、最後が“ミラちゃんスペシャル”」
「なにそれ」
木片のたてがみが少しだけふわっと広がった姿。どことなく、ミラの癖毛みたいだ。
ミラは照れたように指先をくねらせる。
「ルーシー、センス良い……たぶん」
「自信持てよ」
ジージーは微笑みながら、子どもたちの前にしゃがみ込む。
「今日の目標は、『買ってくれる人がひとりでもいたら大勝利』。いいな?」
「はーい!!」
その元気な声が、湖畔にパァッと広がった。
◆
「へぇ、なかなか可愛いじゃないか」
ノルテの魚店。
テントの半分が仮補修されているものの、朝の港は賑わいが戻りつつある。
ノルテがルーシーの木馬を手に取り、あごひげをギュッとつまんで唸る。
「バランスいい。倒れねえ。木も柔らかくて手触りが良い。……よし、置いてやる」
「やったぁ!!」
ルーシーが飛び跳ねる。ミラも、控えめに袖を握ってジージーを見る。
「でも、お店の場所を借りる以上、売り上げの一割は店に入れるからな」
「それで十分だよ。むしろ助かる」
「いやぁ、子どもたちの未来に投資ってやつだ。大人の面子ってのがあるんだよ」
ノルテは言いながら、乱暴に頭を撫でてくる。
ルーシーは少し戸惑いながらも笑顔で応える。
「なぁに、まだ始まりだ。こっから増やせばいい」
その声に、ミラの目がほんの少し潤んだ。
(みんな、自分の手で前に進もうとしてる)
そんな思いが、ジージーの胸にじんわりと広がる。
◆
「ジージー殿!」
港の端。カイルが走り込んできて、肩で息をしながら手提げ袋を掲げて見せた。
「ついに、市からの物資整理の再調査が決まりました!」
「本当か」
「はい! エルンスト監査官が、ご自分の印章で押し通したんです」
驚いた。
てっきり彼は“仕組み側”の人間だと思っていたのに。
「支援物資は、すぐに孤児院へ回されるとのことです」
「……ありがたいな」
「それと……」
カイルはぎゅっと拳を握る。
「僕、監査官付きの調整官に異動することになりました。
もっと現場の声を届けたいと伝えたら……通ったんです」
「それは……おめでとう」
「まだまだ未熟です。でも、あの子たちを守りたい。その気持ちだけは、数字では隠さないつもりです」
息を吐く様に、照れ笑いを浮かべるカイル。
ノルテが横から肘で小突く。
「ほら見ろ。あんたも立派な“大人の面子”ってやつ持ってんじゃねえか」
「そ、そうでしょうか!」
「うるせぇから胸張っとけ!」
三人で笑い合う。
◆
――と、そのとき。
港の倉庫の奥から、黒い小さなモヤがふっと浮き上がった。
(まだ残ってる……)
「ミナ」
「言われなくても分かってる。……あれは、もう自力では動けない」
幽霊ミナがジージーの横へ滑り出る。
黒いモヤは、倉庫管理の古い帳簿の上に漂い、しぼんでいく。
「ここの不安と諦め、吸い込み過ぎたのね。
でもほら、見て。糸はもう千切れてる」
ミナが指先をふわりと触れた瞬間、モヤは煙のように消えた。
ミラが小さく安堵の息を吐いた。
「これで、港は大丈夫」
「孤児院は?」
ミラの問いに、ジージーは迷いなく頷いた。
「支援も戻る。屋根裏の“声”も静かになった。
――この街の子たちは、大丈夫だ」
ミラの表情に、ほっとした笑みが広がる。
◆
その日の夕暮れ。
孤児院の庭に戻ると、子どもたちが走り寄ってきた。
「おかえりー!」
「売れた? 売れた?」
「うん! 一つ売れたよ!」
「うわぁぁぁぁ!!」
全員がルーシーを祝福する。
ステラ院長が泣きそうな目でルーシーを抱きしめる。
「ありがとう……みんなで頑張った成果ね」
「はい!」
ルーシーの返事は、晴れた空みたいにまっすぐだった。
◆
夜。
キャンドルの灯りに照らされた庭で、小さな祝勝会が始まった。
ノルテが差し入れで持ってきた揚げパンを子どもたちが奪い合う。
「セル兄ー、これ食ってみて!」
「お、うま!?」
「リゲロ兄ー、縄跳びで三十回跳んで!」
「すでに無茶ぶりじゃない!?」
ジージーは静かに湖を眺める。
近くにミナ(幽霊)がふわりと浮かんでいる。
「……ねえ、ジージー」
「ん?」
「今日、ちゃんと“前に進めた”ね」
「うん。まだ全部じゃないけど」
「そう。でもさ――」
ミナは小さな笑みを浮かべる。
「この家の子どもたちが、明日の朝、笑ってパンを食べられるなら、とりあえず十分」
「……ああ」
ジージーは静かに頷いた。
(鐘は鳴らさない
でも――蝶番は大きく動いた)
ステラがこちらへ歩いてきた。
目元は少し赤いが、笑顔は強い。
「ジージーさん。ありがとうございます。本当に……」
「礼なら、ルーシーとミラへ。
それと、あんたが踏ん張ったおかげだ」
ジージーは夜空を見上げ、ゆっくりと言葉を繋ぐ。
「この孤児院は、守る。
静かに。だが、確実に」
その声は、湖面に溶けて、夜風が拾っていく。
キャンドルの光が、庭じゅうの笑顔を灯す。
黒い気配は消え、数字の闇も押し返した。
ジージーは、杖を軽く握り直す。
「――さて。
明日は何の話から始めようか」
ミラが隣で微笑む。
「ミラは、ルーシーの“トカゲ”作ってみたい。
お馬さんの次は、トカゲ」
「木工の上級編に行くね……!」
「ジージー、教えて」
「もちろん」
二人の笑い声が、庭で遊ぶ子どもたちへと溶けていく。
◆
その夜の孤児院は、
湖畔の風に抱かれながら――
不安も涙も、少しだけどちゃんと軽くなっていた。
まだ先に、街全体の問題が残っている。
でも今はそれでいい。
今日ひとつ、確かな希望を掴んだから。
──孤児院編、これにて閉幕。
新たな日々と、次の冒険へ。




