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Staff Hero ― 支える勇者 ―  作者: 和泉發仙


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旅路の章 ― 砂と風の短編集 ― 第2話『おつかいと小さな護衛』

前回のゴブリン襲撃から数日。

街はようやく落ち着きを取り戻し、

冒険者たちはご褒美の飲み会からそれぞれの日常へ戻りつつあります。


今回は――

•孤児院で出会う「ものづくりが得意な少女・ルーシー」

•町の少年ジョナスと少女ベルナの、もどかしい初恋

•ジージー一行が、ささやかな“キューピッド役”を務める


そんな、戦いの合間の小さな日常回です。


――――――――――――――――



 翌朝の孤児院は、パンの匂いでいっぱいだった。


 焼きたてというほど豪華なものじゃない。前の日の残りを少し湿らせて、鉄板で温め直しただけの、質素な朝食。それでも、子どもたちにとっては立派なごちそうだ。


「いただきまーす!」


「いっただっきまーす!」


 長机を囲んで、みんなが一斉に手を合わせる。ミラも、子どもたちと同じ列に並んでパンをかじっている。頬にパンくずをつけたまま笑うから、隣の子に指で取られてくすぐったそうに身をよじっていた。


「ミラねーちゃん、顔にくっついてる」


「えっ? どこ? あ、ありがと」


 そんな賑やかな中、端の席ではステラ院長が帳簿を開き、ペンを走らせていた。視線は子どもたちから外さないまま、計算を続けている。


 俺はその向かいの席で、湯気の立つスープをちびちびと飲みながら、さりげなく帳面を覗き込んだ。


 ……数字の端が、削れている。


 消しゴムなんて洒落たものはないが、こすった跡が薄く残っていた。もともと書かれていたはずの数字より、今書かれている数字の方が、少しだけ小さい。


(やっぱり、無理してるな)


「ジージーさん?」


 顔を上げると、ステラが微笑んでいた。


「大丈夫ですよ。少し、帳簿を整えているだけですから」


「へぇ。整える、ね」


「ええ、“支出を可能な範囲で削る”とも言います」


 冗談めかして言うが、その目の奥にはやっぱり疲れがあった。


「うーん……」


 いまはまだ、踏み込みすぎないでおこう。

 俺が口を開く前に、別の声が飛び込んできた。


「ステラー!」


 扉が勢いよく開いて、小柄な銀髪の少女が顔を出した。ルーシーだ。昨日の木馬を抱えていたときよりも、少しきりっとした表情をしている。


「おはようございます! えっと……その……」


「おはよう、ルーシー。どうしたの?」


「おつかい、行かせてください!」


 食堂の空気が、ぴたりと止まった。


 ステラは目を瞬かせ、ペンを止める。


「……おつかい?」


「はい。あの、町のパン屋さんまで。粉を分けてもらえるって言われてて。あと、お塩とか、油とか……。前、ステラが“誰かに任せたいけど、手が足りない”って言ってたから」


 言いながら、両手をぎゅっと握りしめる。

 その拳には、昨夜できたばかりの小さな豆がひとつ光っていた。木工用のナイフを握っていたせいだろう。


「ルーシー……」


「もうそろそろ、一人でできます。道も覚えましたし、パン屋さんの場所も分かります。危ないところは通りません。ちゃんとまっすぐ行って、まっすぐ帰ってきますから」


 まっすぐな目。

 子どもたちの視線も、一斉にルーシーへと集まっていた。


「いーなー! おつかい!」


「ボクも行きたい!」


「わたしだって!」


「こらこら、朝ごはん中ですよ」


 ステラが子どもたちをなだめながらも、考え込むように眉を寄せる。


「ルーシー。あなたがしっかり者なのは知っています。でも、街は今まだ落ち着ききっていないの。兵士さんたちも巡回しているけれど……」


「分かってます。でも、“いつか”じゃなくて、“今”からでないと、わたし、ずっと子どものままになっちゃう気がして」


 そこまで言ってから、ふとこちらを見る。


「ジージーさん。一緒に行ってくれませんか?」


「え、俺?」


 思わずスープを盛大にこぼした。熱くはないが、ちょっと恥ずかしい。


「だって、ジージーさん、強いじゃないですか。杖で、どんな敵も“えいっ”って」


「どんな敵も“えいっ”でどうにかなるほど、世の中は甘くないぞ」


「でも、ジージーさんはやってくれそうです」


 きっぱり。


 ミラが隣で、こくこくと頭を縦に振っていた。


「ジージー強い。ミラ、知ってる」


「お前は何を基準にしてるんだ……」


「巨大なやつとか、黒いのとか、いっぱい“えいっ”てしてた」


「それもうちょっと言い方考えろ」


 笑いが起こる。

 ステラもつられて笑ったが、すぐ真顔に戻る。


「……ジージーさん」


「うん」


「朝から、お願いしてもいいでしょうか?」


「もちろん。俺とミラがついていれば、道中でおつりが出るくらい安全だ」


「おつり?」


「例えだ。安全の余りってこと」


 ミラが「おつりの安全」と小声で繰り返し、よく分かってなさそうに首を傾げた。


「じゃあ決まりだな。ルーシー、今日は“おつかいデビュー記念日”だ」


「はいっ!」


 ルーシーの顔がぱあっと晴れた。



 出発前、ステラが小さな布袋を差し出してきた。


「これが粉のお金。こっちが塩と油。こっちは……」


「こっちは?」


「途中で、みんなで食べるパンを少し。安いのでかまいません」


 袋の口をきゅっと結びなおすステラの手は、少し震えていた。


「……ごめんなさいね。本当なら、もっと余裕を持って頼めるおつかいなのに」


「いいんですよ。こういうのは、任せられることが何よりも信頼の証ですから」


 口が勝手に軽口を叩く。

 ステラはふっと笑って、ルーシーの頭を撫でた。


「気をつけてね。道の向こう側へ渡る時は必ず左右を見て、人混みではカバンを握って……」


「はい!」


「ジージーさん、ミラさん。本当に、お願いします」


「任せとけ」


「うん!」


 玄関を開けると、朝の光が一気に差し込んできた。


 ルーシーは小さな籠を抱え、ミラはその横でひょこひょこ歩く。俺は二人の少し後ろを歩きながら、周囲に気配を広げていた。


 湖畔の道を離れ、街道へ。遠くから、荷馬車のガラガラという音が近づいてくる。


「ルーシー、道の端を歩けよ」


「はいっ」


 素直な返事。

 おつかいデビューの緊張とわくわくが、背中から伝わってくるようだった。



 街に近づくにつれ、人の数が増えていった。


 修復中の家。道端で休憩している職人たち。荷物を運ぶ兵士たち。活気は戻りつつあるが、その活気の中にも、どこか忙しなさが混じっていた。


「ジージー、あれ見て」


 ミラが指さした先には、荷馬車から木材を降ろしている男たちがいた。その脇には、帳面を持った男が立っている。


 中年の男で、細い目。手には羽根ペン。荷物の一本一本に印をつけ、商人と何やら難しい顔でやり取りをしていた。


「“材木税”がどうとか、“緊急予算の配分”がどうとか」


 ミラが耳をぴくりとさせる。


「ミラ、聞こえる」


「お前耳良すぎだろ」


「人の声だけ、拾うの得意」


 ……便利だな。

 ただ、ここで立ち止まって眺めているのも怪しいので、そのまま通り過ぎる。


 荷馬車の横を通るとき、その帳面を持った男と一瞬目が合った。


 冷たい目。


 俺たちを値踏みするような視線が、身体の表面を撫でていく。


(……役所の人間か、商会の人間か。どっちにしても、気楽な相手じゃなさそうだな)


 振り返ると、男はまた帳面に視線を落としていた。

 気のせいか、帳面の紙から、かすかに「黒い気」が立ち上っているようにも見えた。


 昨日、屋根裏でミラが言っていた“黒いの”。


 あれに似た、重たく湿った気配だ。


「ジージー?」


 ルーシーが心配そうに見上げる。


「ん、なんでもない。ほら、つまずくぞ」


「あ、はいっ」


 今、追いかける理由はない。

 ただ、頭の片隅に札を立てる。


(“細目の帳簿男”……要注意)



 パン屋は、街の中心から少し外れた場所にあった。


 看板に小麦の束とお日さまの絵が描かれている。扉を開けると、香ばしい匂いがむわっと鼻をくすぐった。


「いらっしゃい!」


「お、おはようございます!」


 ルーシーがぺこりと頭を下げる。

 カウンターの向こうで、大柄な奥さんが笑った。


「あら、ルーシーじゃないか。今日はステラさんじゃなくて、お前さんが来たのかい?」


「はいっ。おつかい、任されました!」


「おお、それは立派だねぇ。……で、後ろのお二人は?」


「ジージーさんと、ミラねーちゃんです!」


「護衛、です」


 ミラが胸を張って言う。奥さんは目を細めた。


「はいはい、頼もしい護衛さんだねぇ。じゃあ、ステラさんから預かった粉と……塩に油だね?」


 手慣れた動きで計量し、袋に詰めていく。


「最近はねぇ、粉も油も高くてさ。街のあっちこっちで建て直しだろ? 職人たちに出すパンの量も増えてるんだってさ。ま、こんな時こそ食べないとやってられないんだろうけどね」


 陽気に愚痴りながら、奥さんはふと声を潜める。


「そういえば、こないだも役所の人が来てさ。“孤児院への支給は一時的に見直し”とか何とか言ってたよ」


「見直し?」


「ああ。“数字を合わせないといけないから”ってね。あたしゃ数字なんて合ってりゃいいと思うんだけどさ、その“合ってる”ってやつがいつも怪しいのよ」


 苦笑いしながら、小声で続ける。


「ステラさんには言ってないからね? あの人、余計な心配しちゃうから」


「……そうですか」


 奥さんの背後で、袋に詰められていく粉を見ながら、俺は心の中で何かがカチリと音を立てた気がした。


(役所。支給の見直し。さっき見た帳簿男)


 全部が一本線で繋がったわけじゃない。

 けれど、“火薬の袋”だけは見えてきた。あとは、誰が火をつけるかだ。


「ジージー?」


 ミラが袖をつつく。


「大丈夫。今はパン屋さんに集中しよう」


「……うん」


 ルーシーは真剣な顔で、奥さんの計算する姿を見つめている。


「えっと、“これだけ買うと、これくらい残る”ってことですか?」


「そうそう。よく分かったねぇ」


「わたし、最近、数字を勉強してます。木を削るときも、“ここをこれだけ削ったら、木がなくなっちゃう”って考えないといけなくて」


「ほー、それは立派だ」


 奥さんは感心したように笑いながら、ルーシーに小さな丸パンをひとつ、こっそり渡した。


「これは“おつかい成功祈願パン”だよ。道中で食べな」


「えっ……でも、お金……」


「これはおばさんからの応援だから、いいの。代わりに、今度またステラさんと一緒に笑いに来な」


「……はいっ!」


 ルーシーの目が潤む。


 その横で、ミラがじっとパンを見つめていたので、奥さんは吹き出した。


「はいはい、そっちのおチビちゃんにも。ほら」


「やった!」


 ミラも丸パンを受け取り、ルーシーと顔を見合わせる。


「ふたりで半分こしようか?」


「ううん、ふたりで丸々食べよ」


「うん!」


 パンの匂いが、少しだけ重い話の空気を軽くしてくれた。



 店を出て、広場のベンチで一休みすることにした。


 ルーシーとミラは並んで座り、早速パンをちぎって口に運ぶ。


「おいしい……!」


「ふわふわ」


「よかったな」


 俺はベンチの背にもたれ、通りを行き交う人々を眺めていた。


 荷物を抱えた商人たち。書類を小脇に抱えた役人風の男たち。その中に、ひとりだけ、少し場違いな雰囲気の青年がいた。


 薄茶色の髪をひとつにまとめ、少しよれた上着。手には厚い帳簿の束。けれど、歩き方がどこかおぼつかない。人とぶつかりそうになるたびに「すみません」「ごめんなさい」と慌てて頭を下げている。


「あわわっ……きゃっ、す、すみません!」


 人混みの中でよろけ、抱えていた帳簿の束がバサバサと落ちた。


「っと」


 反射的に立ち上がり、俺は近くに落ちた一冊を拾い上げた。


「大丈夫か?」


「あ、ありがとうございます!」


 青年が慌てて駆け寄ってくる。近くで見ると、まだ二十歳そこそこといったところだ。瞳の色は真面目そうな灰色。


「す、すみません、本当に。今日中にまとめないといけない資料で、その……」


「慌てると余計に落とすぞ」


「はい……」


 落ちた帳簿を拾い集めながら、ふとページの端が目に入る。びっしりと並んだ数字。孤児院や救護所、修復作業に関わる物資の支給額らしき項目も見えた。


「……役所の人間か?」


「あ、はい。えっと、王都会計局の――」


 そこまで言いかけたところで、背後から鋭い声が飛んだ。


「カイル!」


 青年――カイルと呼ばれた彼がびくりと肩を跳ねさせる。


「なにをしている。書類を落とすなど、会計官の恥だぞ」


 いつの間にか、あの“細目の帳簿男”がすぐそばに立っていた。腕を組み、冷ややかな目でカイルを睨みつけている。


「も、申し訳ありません、課長補佐……!」


「言い訳はいい。……ああ、失礼、冒険者殿か?」


 こちらに向き直り、男は薄い笑みを浮かべた。


「私どもは、ただ国の財政の健全化を図っているだけでしてね。最近は、あらゆる支出が膨れ上がっている。どこかを締めねば、いずれ国が立ちゆかなくなる」


「ふーん」


 男の足元から、黒い靄が立ち上っているのが見える。

 本人は気づいていないだろうが、その靄は男の手に持つ帳簿からもわずかに漏れ出していた。


「民衆の安心のためにも、“数字”は正しくなければならないのです。たとえ、一部の支援が“しばしの間だけ”減ることになろうとも」


「“しばしの間だけ”ね」


「ええ。あなた方も、きっとご理解いただけるでしょう?」


 言外に「黙っていてほしい」と告げているような口調だった。


 俺は、軽く肩をすくめる。


「俺はただの通りすがりだ。数字の細かい話は分からない。ただ――」


 ちらりとカイルを見る。

 カイルは不安げに、しかしまっすぐこちらを見返してきた。


「その“正しい数字”が、誰か一人の笑顔を削ってないといいな、とは思う」


「……」


 細目の男の笑みが、ほんのわずかに引きつった。


「ご心配なく。私どもの仕事は、すべて陛下のため、国の未来のためですから」


 そう言って、男はカイルに向き直る。


「行くぞ、カイル。書類の提出が遅れれば、また残業だ」


「は、はい!」


 カイルは帳簿を抱え直し、去り際にこっそりと小さく頭を下げてきた。その仕草は、助けてもらったことへの礼だけでなく、なにか別のもの――もどかしさのようなものを含んでいるように見えた。


 ふたりの背中が人混みに紛れて消えていく。

 その後ろ姿を、ミラがじっと見つめていた。


「ジージー、あの男の人……」


「細目の方か、若い方か」


「細目。黒いの、いっぱいまとってる」


「だろうな」


 俺はベンチに戻り、ふたりの間に腰を下ろした。


「でも、若い方は……」


「うん?」


「黒いの、あんまりついてなかった。むしろ、苦くて白い感じだった」


「苦くて白いって何だよ」


「ミラの中の色。正しいことと、怖いことの間でぐるぐるしてる色」


 ああ、と納得した。


(良心ってやつだな)


 ああいう人間は、いつかこちら側に傾く。

 ……もしくは、押しつぶされて闇に落ちるか。


 どちらに転ぶかは、きっとまだ決まっていない。


「ルーシー」


「はい?」


「さっきの人たちの話、難しかったか?」


「うーん……ちょっとだけ分かりませんでした。でも、“数字を合わせるために、誰かのごはんが減る”のは、なんか、いやです」


「……それだけ分かってりゃ十分だ」


 俺はルーシーの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「さ、帰るぞ。ステラが心配するといけない」


「はい!」



 帰り道。


 粉と塩と油の袋を、ルーシーは慎重に抱えていた。ミラはその横で、何度もルーシーの足元を確認している。


「石っころ。段差。水たまり」


「ミラねーちゃん、そんなに見なくても……」


「小さな護衛だから」


「小さな護衛?」


 首を傾げるルーシーに、ミラは胸を張った。


「今日はルーシーの護衛。“ジージーに任せとけ”って言われたけど、ミラもやる」


「ふふっ。じゃあ、わたしもミラねーちゃんの護衛。袋、ちょっと持つ?」


「えっ?」


「これ、重いから。ミラねーちゃんの手が疲れたら大変だもん」


「……交換護衛?」


「うん!」


 ふたりが笑い合う。


 その瞬間だった。


 前方の路地から、ざわめきが一気に押し寄せてきた。何かが転げ落ちる音。悲鳴。


「危ない!」


 誰かが叫ぶ。

 視線を向けると、崩れかけの足場から、積んであった木箱がごろごろと転がり落ちてくるところだった。転がる先は――ルーシーたちのいる道。


「ミラ!」


「分かってる!」


 考えるより先に、身体が動いた。


 俺は杖を地面に叩きつける。

 カン、と乾いた音が鳴った瞬間、足元の石畳がふわりと盛り上がり、小さな土の壁が前方にせり上がる。


 木箱がそれにぶつかり、ガン、と鈍い音を立てて止まった。


 そのすぐ横で、ミラの手が光った。


「ふわふわ!」


 宙に浮きかけていた細い足場の板や破片が、重力から切り離されたかのようにふわりと浮き上がり、地面には落ちずにその場で揺れている。


 ルーシーは――。


「っ!」


 袋を胸に抱えたまま、しっかりと足を踏ん張っていた。

 恐怖で目を見開いてはいるが、逃げ腰ではない。ミラの背中をかばうように、半歩前に出ている。


「ルーシー!」


「だ、だいじょうぶ、です……!」


 職人たちが駆け寄り、口々に謝ってきた。


「すまねえ、嬢ちゃんたち! 足場がゆるんでたみてえで!」


「怪我はねえか? 本当にすまん!」


「大丈夫です」


 俺は土の壁をさっと崩し、転がり込んだ木箱を元の場所に戻すのを手伝った。


「こっちも、子ども連れてるんだ。お互い気をつけようぜ」


「恩に着る! 今度ウチの現場で飯食っていきな!」


「いや、遠慮しとくよ」


 わいわいと騒ぐ職人たちの声に、ルーシーの肩の力がようやく抜けた。


「こわかった……」


 小さな声で呟き、ミラにしがみつく。


「でも、守れた」


「え?」


「ミラ、守るつもりだった。でも、ルーシーも守ってくれた。“小さな護衛”ふたりだった」


「ふたり護衛……」


 ルーシーがふっと笑う。その笑顔は、さっきまでよりもわずかに大人びて見えた。



 孤児院に戻ると、玄関先でステラが待っていた。


「おかえりなさい!」


「ただいま戻りました!」


 ルーシーが胸を張って袋を差し出す。


「粉と塩と油、ちゃんと買ってきました! 途中で、パン屋さんからパンをもらって、それで……」


「道で箱が転がってきて、ジージーが“どーん”ってして、ミラが“ふわー”ってして」


 ミラが身振り手振りで説明する。ステラの顔がみるみる青ざめていった。


「な、なんてことを……!」


「あ、あのっ、大丈夫でした! ジージーさんがすぐに守ってくれて……」


「ほんとにほんとに、怪我ひとつない」


「……っ」


 ステラは、ルーシーとミラをぎゅっと抱きしめた。

 それから、俺に向き直り、深々と頭を下げる。


「ジージーさん。本当に……本当にありがとうございます」


「いや、俺はちょっと土を持ち上げただけだ」


「その“ちょっと”が命を救うこともあるんです」


 ステラの声はほんのり震えていたが、目には安堵の涙が滲んでいた。


「ルーシー」


「はい」


「今日は、立派におつかいを果たしてくれましたね」


「……えへへ」


「でも、危ない目にも遭いました。これからも、おつかいを任せるときは、必ず誰かに一緒について行ってもらいましょう」


「はいっ。ミラねーちゃんと、ジージーさんと」


「お、俺も毎日は無理だぞ?」


 わいわいと笑い声が広がる。


 その笑顔を見ながら、俺はふと屋根の方に視線を向けた。


 二階の、あの屋根裏部屋。


 そこから、かすかに――昨日よりも、ほんの少しだけ濃くなった“黒い気”が漏れているのが見えた。


(……気のせいじゃ、なさそうだな)


「ジージー?」


 ミラが、俺の視線の先を追う。


「ううん。まだ、いい」


「また“見なかったふり”?」


「今日はルーシーの記念日だ。余計な怪談話は、夜の楽しみにとっとけ」


「夜の楽しみ?」


「怖い話ってのはな、人のいる場所で聞くからこそ怖くて、だからこそ笑い話にもなるんだ」


「よく分からないけど、楽しそう」


 ミラがくすっと笑う。その笑い声が、孤児院の中へと吸い込まれていく。


 夕方。


 ルーシーはステラと一緒に粉を量り、パンをこねていた。子どもたちはその周りで跳ね回り、どんなパンが焼けるのか想像している。


 台所からは、粉と酵母の香り。


 居間からは、子どもたちの歌声。


 屋根裏からは――静かな、しかし確かにそこにある、黒い囁き。


 俺たちは、そのすべてにまだ気づいていなかったし、気づかないふりもしていた。


 この日、ルーシーが“おつかいと小さな護衛”として一歩を踏み出したことが、

 やがて孤児院と街、そして“黒い気”を巡る騒動に繋がっていくなんて――


 この時の俺たちは、まだ知らない。



つづく

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