『旅路の章 ― 砂と風の短編集 ―』 孤児院の昼下がり
前回の激戦から数日。
街はまだ修復の途中だが、あちこちで笑顔が戻り始めていた。
今回はジージーたちが訪れるのは「孤児院」。
戦いや冒険ではなく、“生活の温度”と向き合う回です。
――ここから本編です。
あの激戦から、まだ一週間と経っていない。
城壁の焦げ跡は完全には消えていなかったし、崩れた家の一角では職人たちが足場を組み、瓦礫を運び出している。けれど、街を行き交う人々の足取りには、以前のような暗さはもうなかった。笑い声が、行商の呼び声が、喧騒が、この国の日常を取り戻そうとしている。
湖畔へ向かって延びる小径を、あたしたちは歩いていた。
水面は午後の陽を受け、きらきらと光の粒を跳ね返している。風は爽やかで、泥と焦げの匂いを少しずつ洗い流していく。そんな中、リゲロが大きく伸びをして、
「いやぁー……人手が要るところは山積みだが、手伝いの依頼は後回しだってよ。『実績のある冒険者に任せたい』ってさ。……なぁセルグレン、おっさんは実績あるよな?」
「おっさん言うな。まだ三十路前だ。ギリだが」
「ギリって自分で言ったな!」
セルグレンがむっとしながら拳をぐっと握る。その様子に、孤児院に住んでいる年長組の女の子、ミラがくすりと笑った。
「ミラは、セルグレンさんはすごく頼もしいと思う。えっと、たぶん、たまに、ちょっとだけ……」
「最後まで言えた試しがないな……!」
わいわいと笑いながら進むうち、視界に白い建物が見えてきた。湖畔の丘にぽつんと立つ、二階建ての孤児院。屋根には、風見の星灯り。正面の庭には、ちょうど小さな子どもたちが洗濯物の間を駆け回っている。
「ステラ院長のところ、か」
あたしが呟くと、ミラの顔がぱっと華やいだ。
「うん! 行こ!」
駆け出したミラに釣られて、あたしたちも歩調を早める。門を抜けると──。
「きゃーっ! ミラねーちゃんだー!!」
「ジージー! ママみたいな人も来た!」
「おっさん来てるぞー!」
「おっさんじゃない!」
次々に子どもたちが群がり、あたしたちを包囲する。ミラは腕に小さい子を抱え、頬ずりされている。リゲロはボールみたいに跳ねる子どもたちにタックルされていた。
「ちょ、まてぇ! やめろ、服が伸びるっての!」
「セルグレンおじちゃん、持ち上げてー!」
「おじちゃんじゃねえ! ……いやでも抱っこは……ほら!」
ぶすっと言いながらも、セルグレンは器用に子どもをひょいと持ち上げる。子どもが「わーい!」と笑うと、多少照れながらも目尻を緩ませていた。……おじさんじゃん。
その騒ぎの中から、シスター服にエプロンを重ねた女性が駆け寄ってきた。
「ジージーさん、ミラさん。それに皆さんも。本当に……また来てくださったんですね。ありがとうございます」
「お久しぶりです、ステラさん。変わりはない?」
ステラ院長は、あたしの言葉に少しだけ目を伏せ、それから安堵を滲ませた笑顔を浮かべた。
「ええ、子どもたちは元気です。みんな、あなたたちに会うのを楽しみにしていましたから」
……その「元気です」の裏に、小さな気苦労の影を感じたのは、あたしの思い過ごしだろうか。
考える前に、ミラがあたしの服を引っ張った。
「ジージー! 見て! ジョナスとベルナ!」
「ん?」
ミラの指差す先、少し離れたところに二人の少年少女がいた。
少年はジョナス。ジリジリした髪で、快活だが少し臆病なところがある。少女はベルナ。肩までの濃い栗色の髪で、何事にも毅然としているが、根は優しい子。
二人は庭の隅で洗濯を手伝っていた。ジョナスが荷物を持とうとして、ベルナに「あぶないから」と叱られていた。
「……ふむふむ?」
「お姉さま、分かるんですか?」
「恋の匂いがする」
「え? え? どこに?」
「どこにって、そこに」
「はー……恋の匂いって、ほんとにあるんだ……」
素直に信じるミラがかわいい。
「とにかく、お手伝いに行こうぜ!」
リゲロが元気よくそう言い、荷物を運ぼうと近づく。
「あっ、リゲロにいちゃん!」
ジョナスたちも気づいて笑顔を向けるが、ベルナは少し意識しているのか、視線を逸らし気味だ。ジョナスはその横で「どした?」と首を傾げている。
……おもしれぇ。
この初々しさ、いじりがいがある。
⸻
しばらくして、作業が一段落し、みんなで中へ入る。
孤児院の食堂は、木目の広いテーブルがいくつか並べられ、窓から差し込む光が床に温かい模様を描いていた。
「お茶とスコーン、少しだけ焼いてあるんです。よろしければ」
「食べる!!」
即答するリゲロ。セルグレンが肘で小突く。
「お前、子どもたちよりガッつくな」
「いやいや、オレ腹減ってんの!」
「はいはい。並んで食べような」
ステラ院長が苦笑しながらスコーンを配っていく。その様子を見つつ、あたしも手伝いに回った。
ふと、廊下の奥から「コンコン」と控えめなノックの音。
「ステラー! できたよ!」
扉の向こうから、ちょっと誇らしげな声がした。ステラが微笑みながら扉を開くと──。
「すごい!」
「かわいい!」
子どもたちが一斉に歓声を上げる。
小さな木製の馬の玩具が抱えられていた。まだ表面は粗いが、丸い目をしたかわいらしい木馬。
「ルーシーちゃん、すごいな……」
ミラが目を輝かせる。その横で、ステラが説明してくれた。
「ルーシーは最近、木工のまねごとをしているんです。最初は枝を削るだけだったのが、今ではこんなに形になるようになりました」
ルーシーは頬を赤くして、手元の木馬をぎゅっと抱きしめる。
「……まだまだ、です。でも、ミラねーちゃんにも見てもらいたくて」
「見たよ! それに触ってもいい?」
「う、うん!」
ミラは目線を合わせ、そっと木馬の頭を撫でる。
「すごくかわいい。……この世界に、馬が好きな子はたくさんいるよ。きっと、誰かを笑顔にできる」
「……笑顔に。できる?」
「もちろん!」
ルーシーがぱぁっと笑みを広げた瞬間、胸が熱くなる。
こんな笑顔を、守りたいと思った。
⸻
その後、ミラの「折り紙教室(仮)」が始まる。
「ほらね、折り目をこうして──はい、キラキラふぶき!」
「わー! 鳥さんだ!」
「ミラねーちゃんすごーい!」
魔法で紙をふわりと舞わせ、小さな蝶に変えてみせたりする。もちろん害はない、安全なものだ。
ミラが指先をひらひらさせるたび、子どもたちの歓声が弾け飛んだ。
一方で、食いしん坊たちは──。
「うおおお、スコーンうっま……!」
「リゲロ、口に詰めすぎ」
「ぐふっ……!」
「ほら水飲め」
セルグレンが世話焼きおじさんになっている。本人は否定するが、見れば見るほどおっさんでしかない。
⸻
「よかったら、少しお話を」
ステラに案内され、台所の奥の小部屋へ移動した。温かい空気はそのままだが、ステラの顔にはどこか曇りが差していた。
「最近、街の方も落ち着いてきましたけど……孤児院のことは、どうしても後回しになって」
「うん」
「子どもたちの数も増えてきていて。寄付も減ってはないのですが……なんでしょう、うまく帳簿が回らないというか」
言葉を選びながら、それでも不安そうに目を伏せる。
「無理しないで、少しずつでいいよ」
あたしがそう言うと、ステラは小さく微笑んだ。
「ありがとう。でも……つい、全部抱え込もうとしてしまって。子どもたちには、なるべく心配をかけたくないんです」
「誰かを守るって、簡単じゃないからね」
今は、深く踏み込まない。
まだライトな雑談の中に隠れている“問題”だ。
⸻
夕方。
湖畔から風が吹き抜け、縁側のカーテンを揺らしていた。遊び疲れて昼寝を始める子どもたち。読書する子がいて、ミラが静かに横に寄り添っている。リゲロが縄跳びを披露し、セルグレンがそれを眺めながら腕組みしている。
「せーのっ! ……あっ!」
縄に足が引っかかり、リゲロが転がる。
「はっはっは、まだまだだな」
「見てろよ! 絶対飛べるからな!」
そんな、どこにでもありそうな温かい午後。
──その瞬間、ミラの顔色が変わった。
「ジージー……なんか、変」
「ん?」
ミラはゆっくりと天井を見上げた。視線の先は、二階の屋根裏部屋のほう。
「暗い……黒い……のが」
その言葉に、あたしも意識を向ける。
たしかに、気配がある。
人のものではない、湿った闇のような──でも悪意は強くない。呼吸を潜めて、何かを待っているような。
「……」
「ジージー、どうする?」
「今日は……いい。見なかったことにしよう」
「いいの?」
「ミラが感じたくらいなら、すぐには動かない。いま騒ぐことじゃない」
ミラは少し不満げに唇を尖らせ、それでも頷いた。
「わかった。ミラ、黙ってる」
「うん。ありがとな」
たとえば、それが本当の脅威だとしても──。
この温もりを壊すものではないと、直感した。
子どもの寝息。スコーンの甘い匂い。窓辺から入る風の優しさ。
守るべきものが、こんなにもはっきりとそこにある。
それだけで、あたしは十分だった。
⸻
「また来るからなー!」
「ミラねーちゃん、ばいばーい!」
「リゲロおにーちゃん、次は絶対縄跳び勝負な!」
「こいよ! 次は負けねー!」
夕暮れの庭で手を振る子どもたちに応えながら、あたしたちは門をくぐった。空は淡い茜色。湖面が赤く染まり、波がきらめいている。
ミラがあたしにそっと寄ってきて、小さな声で囁いた。
「ジージー。黒いの……気になる?」
「少し、な」
「ミラ、なんか怖かった。子どもたちに、近づいてくる気がした」
「──だから、気づかないふりをした」
「え?」
あたしは夕暮れを見上げた。
「焦って取り去るのが正しいとは限らない。弱い闇は、光のそばで溶けることもあるから」
「溶ける?」
「ああ。もし危ないなら、その時は動けばいい」
ミラはしばらく黙っていたが、やがてふわりと微笑んだ。
「じゃあミラ、その時は絶対に助ける。ジージーも、みんなも」
「頼りにしてる」
「いっぱい頼って!」
その無邪気な宣言に、あたしは肩の力が抜けた。
……今日は、いい日だったな。
次に訪れる時、あの笑顔がまた迎えてくれますように。
小さな星灯りが、子どもたちの夜を守り続けますように。
風が吹き抜ける。
街へと下る道の先に、夜の灯がぽつぽつと灯り始めていた。
⸻
つづく




