巡察報告書 ― “黒い頁”の読み上げ
【前書き】
巡察教士が到着。
理事会館は緊張の極地に。
今回は
「黒い帳簿が実際にどう扱われるか」
が描かれます。
――――――――――――――――――
【本編(約7000字)】
夕刻の理事会館は、
まるで“別の建物”になったように静まり返っていた。
灯りが最小限に絞られ、
廊下には兵士が二倍の数で立っている。
ジージーとセルグレンは
倉庫区画の陰に身を潜めながら待っていた。
「……始まるぞ」
セルグレンが小声で言う。
階段の上から、
巡察教士たちがゆっくりと降りてくるのが見える。
白い外套。
肩章には金糸で刺繍された天翼の紋章――
ルーデンス聖教国の公式巡察教士。
彼らは二人ずつ並び、
その後ろには文官がひかえていた。
その中心に立つのは、
灰髪に白衣の長身の男。
「“査定官”だ……」
セルグレンが呟く。
「名前は?」
「ゼルヴォ・ラッカ。
“月光の査定官”と呼ばれてる……
数字で魂の価値を量るって噂の、危険な奴だ」
ジージーはごくりと唾を飲み込んだ。
そのゼルヴォが
理事長室の扉をノックし──
ガチャリ。
扉が開く。
「エルビアンヌ王国・リルモア市。
本巡察を開始する」
淡々とした声。
それは、
まるで“宣告”のようだった。
◆
ジージーとセルグレンは、
廊下の突き当たりにある小部屋に身を移した。
(ラガンが“砂”のために確保した観察点)
扉の隙間から
理事長室の内部を覗くことができる。
そこでは――
ゼルヴォ査定官が帳簿を開いていた。
「では、まず“健康労働者枠”。
今年の基準を確認しよう」
理事長と事務官が横に並ぶ。
ベルツ事務官の顔は
昼間よりさらに青ざめている。
「労働者枠の候補者、三名。
備考欄には“病状軽度・労働可能”とありますが……」
ゼルヴォは声を低くした。
「帝国基準ならば“送致対象”だ」
理事長が慌てて言う。
「しかし彼らは街の重要な人材で……!」
ゼルヴォは返さない。
ただページをめくる。
めくる、めくる。
その音が刃物のように鋭い。
そして、
あるページで指を止める。
――“外来者(仮補)”欄。
ジージーの心臓が跳ねた。
……書いてある。
昨日まで“空欄”だったはずの行に、
黒い筆跡で二名の名前が書かれていた。
『外来者(仮補)
① ミーヤの弟 リオン
② 外来者(施薬院補助)ジージー
※いずれか一名を送致対象に』
ジージーの視界が揺れた。
(あたし……
本当に、書かれてる……)
隣でセルグレンが小さく息を吐く。
「……ベルツは、限界まで抗ったようだな」
確かに、横の余白には
ベルツの筆跡でうっすらと残っている。
“非推奨”
“要保留”
“労働不可に非ず”
しかし、黒い線が全てを消していた。
――巡察教士の“上書き”だ。
◆
ゼルヴォが淡々と口を開く。
「……この二名のうち、
どちらかを選ぶ必要があるということだな?」
理事長は震える声で答える。
「で、ですが……
施薬院は今、非常に人手が足りず……
外来者の少女は良く働いております。
街にとっては“有用度が高い”と……!」
ゼルヴォはゆっくりと理事長を見た。
「“有用度”。
あなたがたは、その言葉を便利に使いすぎる」
「……!」
「帝国には
“病弱な者”“労働に不向きな者”
あるいは“召喚適性がある者”が必要だ」
(召喚……!)
ジージーの胸が冷える。
セルグレンが低くつぶやく。
「召喚素材……
外来者は“異界素質”が高いため、
帝国は昔から狙っている」
「……あたしが……?」
ジージーは自分の胸を押さえた。
なぜだか分からない。
なぜ自分が異界素質かなど、理解できない。
だが、ゼルヴォは言った。
「外来者は、貴重な“非在地属性”を持つ。
帝国はそれを、実験に使う」
「実験……?」
「黙っていろ」
セルグレンが肩を押さえる。
ジージーの手は冷たく震えていた。
◆
ゼルヴォはさらにページをめくる。
「……なるほど。
この街は“数字の解釈”が甘いようだ」
理事長が唇を噛む。
「“外来者の有用度”は、
あなた方の施薬院が決めることではない。
帝国と聖教国の規定に従え」
そして黒筆を取り、
ページの下に一文を加える。
――“優先:ジージー。保留:リオン。”
ジージーは息を呑んだ。
(優先……?
あたしが……
優先されて“送られる”?)
“保留”の意味は知っている。
「あとで処理する」
という意味ではない。
「次に必要になれば
すぐに追加される“待機者扱い”」
つまり、
ミーヤ弟リオンも安全ではない。
◆
理事長室の空気が凍りつく。
ベルツ事務官は震える手で
帳簿を閉じようとした。
だがゼルヴォはその手を止めた。
「まだ終わっていない。
“当日調整案”があるだろう?」
「……っ」
ベルツの顔が真っ青になる。
(昼間の……あの封筒……
ベルツさんは、あれを隠した……
タリサが拾った“未提出草稿”を……)
ゼルヴォは静かに言う。
「提出しなければ、
“隠匿の疑い”として処分される」
「……その、ような……」
ベルツ事務官の声が震える。
「どうした?
あなたは数字を書くのが仕事だろう」
紙をはじくような冷たい声。
ベルツは机に置かれた帳簿を見つめ、
ゆっくりと、呼吸を乱しながら立ち上がった。
(ベルツさん……!
死ぬほど嫌がってる……
でも数字が“絶対”の世界では
抗うだけで処罰される……!)
その瞬間。
ジージーの胸で、
何かが音を立てた。
◆
(……止めなきゃ……)
(このままだと……
あたしは数字に負ける……
ミーヤ弟も……
ベルツさんも……
全部、数字に飲まれる……)
心臓が打つたび、
足が勝手に前に出ようとする。
セルグレンが気づいた。
「ジージー、動くな。
今はまだ――」
「でも、あの紙……!」
「お前が行ってどうする?
数字を変えられるのは、
ベルツか理事長だ」
(違う……!
あたしでも……“名前”だけなら……)
ジージーは胸の布袋を握った。
中には、
砂と、
セルグレンがくれた小さな刃物の欠片。
“後で思い出せ。
名前を刻むのは力じゃない、意志だ”
(思い出す……
名前だけは……数字にしない……)
ジージーは震えながら、
扉の影からベルツの背中を見る。
ベルツは机の上の封筒を取ろうとしていた。
その手は、
震えている。
震えながら、
数字を殺すかのように。
(この人……
苦しんでる……)
そして、ゼルヴォが言った。
「急げ。
数字を待たせるな」
――その一言が、
ジージーの中の“蝶番”を鳴らした。
◆
(動く……!)
ジージーはセルグレンの手を振り払った。
「ジージー!」
(止めないで……!
あたしは……
“誰も数字にしない”って誓った……!)
足が前へ――
その瞬間、
廊下にいるタリサが
モップを落とした。
ガシャァンッ!
──音が理事長室に響いた。
全員が振り返る。
ゼルヴォの鋭い視線が向く。
「あれは……?」
兵士が廊下へ動く。
セルグレンはジージーの腕を掴んで
陰へ引き戻した。
「タリサ……!」
ジージーが叫びそうになる。
セルグレンが必死に押さえる。
兵士たちがタリサを取り囲む。
「おい、何だその音は?」
「も、申し訳ありません!
あの、手がすべって……!」
ゼルヴォの声が聞こえる。
「……あの子は?」
「清掃係です」
「清掃……?」
ゼルヴォの声は冷たい。
「では問うが――
“帳簿のある階”に清掃係が入る規則はあったか?」
兵士が答える。
「いいえ、ありません!」
ジージーの顔色が変わる。
(タリサ……!
タリサ、死んじゃう……!)
ゼルヴォが静かに言った。
「連れてこい。
“規則違反者”として尋問する」
兵士が手を伸ばす。
タリサは震えながらも逃げようとしない。
(タリサ……!
あたしのせいで……!!)
ジージーは叫んだ。
「タリサを離して!!」
――その声は
理事長室に響き渡った。
全員が振り返った。
ゼルヴォの目が細められる。
理事長が驚愕し、
兵士が動きを止める。
ジージーは震えながら、
一歩前に出た。
「タリサは……
タリサは、悪くない……!」
その瞬間、
ジージーの肩にソッと手が置かれた。
――ベルツ事務官だ。
「……彼女の言うとおりです」
静かな声。
全員が息を飲む。
「この清掃係は、
“名簿確認のために呼んだ”者です」
ゼルヴォが眉をひそめる。
「名簿確認……?」
「はい。
本日の“外来者枠調整”のため、
裏付けが必要でしたので」
ベルツはタリサを見た。
そして静かに、
机の上の封筒を押し戻した。
「……本日の調整案は、
“保留のまま”とさせていただきます」
ゼルヴォの目が細まる。
「帝国の要請は?」
「ここはエルビアンヌ王国の街です。
規則に基づき、“疑いのある帳簿”は
本採用できません」
静かだが、
消えない声。
沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、
ゼルヴォの冷たい言葉。
「……面白い」
ゆっくりと立ち上がり、
黒筆を置く。
「次の査定日は明日だ。
今日の判断が正しかったかどうか……
明日数字が語るだろう」
そしてゼルヴォは
外套を翻し、部屋を後にした。
◆
タリサは震えながら
ジージーに抱きついた。
「ごめん……
ごめんねジージーさん……
わたしのせいで……」
「違う……
違うよタリサ……」
ジージーは強く抱き返した。
「助けてくれてありがとう……」
ベルツ事務官は
疲れたように壁にもたれかかった。
「……すまない、君たち。
私は……臆病だ」
ジージーは首を振る。
「そんなこと……ないです……!」
ベルツは
震える手でジージーの頭を撫でた。
「君は強い。
数字の世界で、名前を見ていた」
ジージーの胸に
熱いものが広がる。
セルグレンが静かに言った。
「……今日の勝ちは“引き分け”だ。
だが、明日が勝負になる」
ジージーは小さくうなずいた。
心臓はまだ震えている。
恐怖もある。
けれど、それでも。
(守りたい……
ミーヤ弟も、タリサも……
名前を数字にさせない……!)
明日、
街は再び試される。
そしてジージーも。
――――――――――――――――
【後書き】
今回は
•巡察教士到着
•“黒い帳簿”の実態
•ジージー“優先送致”の事実
•ベルツの逆らい
•タリサの危機
•ジージー初の“意志の叫び”
•今日の勝利=“引き分け”
を描きました。
次回、
巡察2日目=さらに厳しい査定に入ります。
ここからこの章は
残り3〜4話で終着点へ向かいます。




