白外套の歩く音 ― 選別の始まり
【前書き】
巡察教士が到着したことで、
街にはこれまでとは違う“静けさ”と“恐怖”が満ち始めます。
ジージー・セルグレン・タリサ・ミーヤ、
そしてベルツ事務官――
全員が「何かが始まった」ことを悟る回です。
――――――――――――――――――――――
【本編】
巡察教士の白い外套が、理事会館の階段を降りてくる。
兵士たちはまっすぐ姿勢を正し、
役人たちは息を潜め、
街の風の流れすら変わったような気がした。
「あれが……巡察教士……」
ジージーは息を呑む。
聖典を抱き、
首からは細い銀の鎖。
白外套の裾には、
“ルーデンス聖教国の紋章”が刺繍されている。
その後ろに控えるのは黒衣の記録官。
記録板と羽ペンを持ち、
見るものすべてを“数字化”する者たち。
(あれが……
この街の“名前”を数字に変える人たち……)
背筋が、ひやりとした。
◆
理事会館を出た二人――セルグレンとジージーは、
裏路地に入ると深く息を吐いた。
「……なんだったんですか、あの圧?
ただ歩いてるだけなのに……背中が震えました」
「“数字で裁く者”の足音だ。
街の人間は皆、あれを聞けば黙る」
セルグレンは外套を脱ぎ、荷袋に押し込む。
「タリサは?」
「別の出口でラガンに合流した。
今日の情報はすぐ“砂”に回される」
路地の奥から足音がした。
ふっと明かりに姿を現したのは――ラガンだった。
「二人とも無事か。
よく戻ってきた」
ジージーは胸の鼓動が早いのを自覚していた。
「ラガンさん……例の紙……
あれ、本当に今日中に“書き換え”されるんですか?」
「されるだろうな。
しかも、今日の巡察教士の“第一印象”込みでな」
「……第一印象?」
「街の空気、労働力の流れ、外来者の扱い、
理事会館の緩み……」
ラガンは指先で砂をすくい上げた。
「白外套の連中は、
数字を見る前に“五感”で街を測る」
(数字を見る前に……?)
「今日の見回りで“弱い所”を見つけたら、
そこから候補者を増やしてくる。
そういう連中だ」
ジージーの喉の奥がひりついた。
(“弱い所”……
それって、施薬院……?
外来者……?
ミーヤの弟……?)
「……どうするんですか、ラガンさん」
「“砂”としてはただ一つ。
数字を動かさせないよう、
名前の側に立つだけだ」
その言葉は静かだが、強かった。
◆
夕刻。
街の通りは異様な緊張に包まれていた。
巡察教士が二人の兵士と黒衣の記録官を連れ、
一軒一軒の店を訪ねている。
「働けなくなった者はいるか?」
「外来者は何名だ?」
「この三日間、行方不明者は?」
冷たい声が空を切る。
人々は怯え、
嘘と本音を必死に混ぜた答えを返している。
施薬院の前でも――
「薬の在庫は?」
「病人の数は?」
「外来者の“負担”は?」
記録官の羽ペンが、
一つ一つを数字に変えていく。
ジージーは薬草庫の影からそれを見ていた。
(これが……
この街の人たちが“数字に怯える理由”……)
ミーヤが怯えた顔で近づく。
「ジージー……!
弟が……弟が……」
「リオンくんがどうしたの!?」
「巡察教士の人が……
弟の熱を見て、
“労働不能の疑い”って……!」
ジージーは血の気が引く。
(労働不能の疑い……
あれは候補者の“理由”に使われる……!)
「落ち着いて、ミーヤ」
セルグレンが駆け寄る。
「弟はどこだ?」
「施薬院の奥!
タリサがついてくれてるけど……!」
ジージーは走り出した。
廊下の奥。
観察室の前で、
白外套の巡察教士が立っていた。
その傍らでは、
黒衣の記録官が黙って羽ペンを動かしている。
「……この幼子、
発熱が長引いているな」
低い声。
「家庭の状況は?
保護者は?」
ミーヤの震える声が返る。
「わ、わたしです……
母は、もう……」
「“母なし・外来者・労働不能の可能性”」
記録官が記録板に書きつける。
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
ジージーは思わず声を上げていた。
巡察教士の目がゆっくりとこちらに向く。
「施薬院補助員……か」
「はい!
リオンくんは働けなくなんて――」
「判断するのはお前ではない」
巡察教士は淡々と言い放つ。
「我々が見るのは、
“生存期間と有用度”だ」
血が沸騰するような音がした。
(生存期間……?
有用度……?
人を……道具みたいに……!)
「な、何を……!」
ジージーが一歩踏み出しかけたその時、
「やめろ」
セルグレンがジージーの肩を掴んだ。
「今は、数字を動かされるだけだ」
「でも……!」
「黙ってろ。
名前を守りたいなら、今日じゃない」
ジージーは歯を食いしばる。
(名前を守りたい……
だけど……今は……違う……?)
巡察教士がリオンの小さな寝台を見下ろす。
「決定は明日だ。
今日の街の様子を見てから判断する」
白外套は背を向け、
記録官と兵士を従えて去っていった。
ミーヤはリオンを抱きしめて泣き出した。
タリサも拳を握りしめ、歯を噛む。
ジージーは――
ただ震えていた。
(数字で……
あんな簡単に……!)
◆
夜。
“砂”の隠れ場所に、
仲間たちが少しずつ集まっていく。
ラガン。
セルグレン。
タリサ。
ミーヤ。
そしてジージー。
ランプの炎が揺れ、
重たい沈黙が落ちる。
「……街の“判断”は、明日」
ラガンが静かに言う。
「巡察教士は、今日の街の空気と数字を総合して
候補者リストを“正式に”作る」
「じゃあ……」
ミーヤが泣きそうな声で言う。
「弟は……?」
「わからない」
セルグレンが淡々と答えた。
「“数字上の理由”を作られた。
それを覆す材料を、
俺たちはまだ持ってない」
ミーヤが顔を伏せる。
タリサも拳を更に強く握る。
そして、
ラガンがジージーを見た。
「ジージー」
「はい……」
「おまえは今日、
“数字の現場”を見た。
どう思った?」
胸が強く脈打った。
(どう……思った……?)
ジージーはゆっくり顔を上げた。
「……許せないです」
その声は震えていなかった。
「数字で……
名前を……人を……
消していいはずがない……!」
ラガンの目が細められる。
「じゃあ、聞く。
おまえはどうしたい?」
「守りたいです。
ミーヤを。
リオンくんを。
タリサを。
街の人たちを……」
拳を握る。
「そして……
“数字じゃなく名前を見る人間”になりたい……!」
静寂。
そして――
ラガンがゆっくりと頷いた。
「その覚悟があるなら、
明日、おまえに一つ任せることがある」
「……任せる?」
「“砂”の任務だ」
セルグレンも、
タリサも、
ミーヤも息を呑む。
「明日、巡察教士が街を歩く。
その“後ろ”を追え。
そして“帳簿の決定場面”を見届けろ」
「……!」
「書き換えられる数字。
削られる名前。
追加される“枠”。
全部、見てこい」
ジージーは胸の奥で何かが燃え上がるのを感じた。
「見て……
そのあと、どうするんですか?」
「それは、お前が決めろ。
“砂”は強制しない」
ラガンは静かに言った。
『名前を守るのは、
数字と戦う覚悟を持った者だけだ。』
ランプの灯が揺れる。
ジージーは深く息を吸った。
「はい……
やります……!」
この街の“砂”になると決めたから。
名前を見る者になりたいから。
明日。
運命が動く。
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【後書き】
今回は、
•巡察教士の本格的な活動開始
•数字 vs 名前 の衝突
•リオンくんへの“数字の烙印”
•ベルツの揺れ
•砂側の作戦
•ジージーの覚悟の“第一段階”
を描きました。
次回は――
第34話『巡察の朝 ― 帳簿が決まる瞬間』
いよいよ“数字が確定する”瞬間にジージーが立ち会います。
タリサ、ミーヤ弟、外来者枠。
三者の運命が大きく動く回です。




