『巡察の朝 ― 名前が消える音』
【前書き】
今回は
・巡察教士による街への初接触
・タリサの危機
・ベルツの“ひとつの嘘”
・ミーヤ弟への影
・ジージーとセルグレンが“踏み込む領域”
を描きます。
――――――――――――――――――――
【本編】
理事会館を出た瞬間、
ジージーは肌が粟立つのを感じた。
街の空気が――変わっている。
静かすぎる。
人々の歩幅が細かくなり、
目線は地面に落ちている。
兵士たちの数が、明らかに増えている。
「……巡察教士が来ただけで、ここまで?」
思わず言った声が震える。
隣のセルグレンが小さくうなずいた。
「“神の名で査定する”ってのは、
それだけ人を縛るんだよ」
「査定……」
(人を、査定……?
数字で?
名前じゃなく?)
胸が苦しくなる。
◆
そのまま施薬院に戻らず、
二人は裏通りの小さな倉庫へ身を隠した。
ほこりっぽくて暗いが、
ここは“砂”がよく使う安全地帯だ。
セルグレンが入口に耳を澄ませ、
危険がないことを確認する。
「……さっきの“調整案”、見ただろ」
「あれ……ベルツさん……
書き換えてましたよね……?」
ジージーの声は震えていた。
「外来者枠を“二名”で押し切ったのは、
あの人の判断だ」
「じゃあ、
あたしの“仮補”は……?」
「――今日の時点では外れてる」
ふっと力が抜けた。
座り込んでしまう。
「……今日の時点、ってことは……
まだ……」
「数字ってのは、簡単に変わるんだ」
セルグレンも壁に背を預けた。
「お前の働きぶりひとつ、
施薬院の状態、
理事会の機嫌、
帝国の要請……
いろんな要素で一瞬で“数字”になる」
(数字……
今日みたいに、
紙一枚で変えられる……)
「だが――」
セルグレンは続けた。
「あいつは、ああ見えて“中立”じゃねぇ。
地方出だ。
数字の裏にある顔を知ってるタイプだ」
「ベルツさん……」
「ただし、“いつまで味方でいられるか”は別だ」
胸の奥が冷たくなる。
(今日、ベルツさんが助けてくれたのは偶然……
明日も、とは限らない……)
「ジージー」
セルグレンが真剣な声で言った。
「お前はもう“数字の外”に立った。
これは、もう戻れない道だ」
(戻れない……
でも……
あたしは……)
自分でも驚くほど静かに言葉が出た。
「……戻りません。
戻りたくないです」
セルグレンの目が細くなった。
「なら、覚悟しな」
◆
施薬院に戻ると、
中はいつになくざわついていた。
「あっ、ジージー!」
ミーヤが駆け寄ってくる。
顔色が悪い。
「リオンが……兄さんが……!」
「リオンくんがどうしたの!?」
「巡察教士の人が来て、
“診断が必要だ”って……
連れていかれちゃった!」
(巡察教士が……?
なぜ子どもに……!?)
ジージーの胸がぎゅっとつかまれた。
「ミーヤ!案内して!」
「こ、こっち!」
◆
施薬院の東側の診察室。
そこには白装束の巡察教士が二人、
リオンの枕元を囲んでいた。
幼い体。
浅い呼吸。
怯えた目。
「……この子は“虚弱”だな」
ひとりが冷たい声で言う。
「労働力としては不適格。
保護枠もこれ以上増やせない。
地方送致を検討すべきでは?」
「し、失礼ですが!」
ジージーが思わず叫んだ。
二人の巡察教士の視線が一斉に振り向く。
(冷たい……
数字しか見ていない……)
「そ、その……
リオンくんは薬草の調合も少しできて、
施薬院の手伝いもしていて――」
「外来者か?」
「いえ……市民、です」
別の巡察教士が帳簿を開く。
「“ミーヤ家”。
母親は病死。
父親は失踪。
姉は低収入の外勤。
生活支援記録あり。
労働価値低。
――保護枠の“調整候補”だ」
ミーヤが震えながらジージーの袖を握りしめる。
「やめてください……
この子しか、家族いないのに……!」
巡察教士は淡々と言った。
「“数字の調整”だ。
感情で揺らぐことはない」
(……数字……
数字のために、
人の家族を切り捨てるの……?)
胸が熱くなる。
怒りなのか、恐怖なのか自分でもわからない。
その時――
「その判断は、時期尚早だ」
低い声が割り込んだ。
扉のところに立っていたのは――
ベルツ事務官だった。
◆
「ベルツ事務官?」
巡察教士が怪訝そうに眉を上げる。
ベルツはゆっくりと歩み寄り、
リオンの診断書に目を通した。
「教士殿。
この子は“昨日から薬草治療が進んだばかり”です。
今朝も施薬院長が『回復の余地あり』と記録しています」
「しかし帳簿では――」
ベルツは紙束を差し出す。
「こちらは“古い帳簿”です。
本日更新された分では、家族の支援体制も強化されています」
「強化……?
誰がそんな記録を?」
「本日付で、私が確認しました」
しれっと言い切った。
完全な嘘。
でもその声は揺らがない。
巡察教士は紙を受け取り、静かに読む。
「……ふむ。
確かに最新記録と食い違いがある。
では診断は保留とする」
ミーヤが息を飲み、
泣きそうな目でジージーを見た。
(ベルツさん……
嘘を……
“守るための嘘”をついた……)
巡察教士たちは去っていった。
部屋が静かになる。
ベルツは深いため息をつき、
机に手を置いた。
「あまり……
無茶はするなよ、ジージー」
(……見てたんだ)
ジージーは唇を噛んだ。
ベルツはほんの少しだけ、声を落とした。
「数字は、動く。
だが――
“名前”を忘れるな」
そう言い残して、静かに去った。
◆
夕方。
施薬院の裏庭。
ジージーはひとり、空を見上げていた。
(ベルツさん……
ミーヤ……
リオンくん……
タリサ……
街の人たち……
全部……
数字にされちゃうの……?)
風が吹く。
(いやだ……
いやだ……!)
セルグレンが背後から言った。
「……泣くな」
「な、泣いてません」
「嘘つけ」
ジージーは袖で目をこすった。
「お前、今日で一歩踏み出したんだ。
“ただの外来者”から、
“砂の一粒”になった」
(砂の……
一粒……)
セルグレンは空を見た。
「覚悟があるなら言え。
――守りたい“名前”は誰だ?」
胸が熱くなる。
ジージーは震える声で言った。
「……みんな……です。
数字じゃなくて……
名前で……
呼ばれた人、全部……!」
セルグレンは静かに笑った。
「なら、間に合ううちに動くぞ」
「……はい!」
風が吹いた。
リルモア市の空に、
砂の匂いが濃くなる。
――巡察は、始まったばかりだ。
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【後書き】
お読み頂きありがとうございます!
今回のポイントは
・リオンくんへの“数字の裁定”
・ベルツの“嘘による救済”
・ジージーの覚悟の確立
・「守りたい名前」の提示
です。
いよいよ次回、
“巡察教士による査定の本格開始”
そして
“外来者枠の二人目が誰になるのか”
が明らかになります。




