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Staff Hero ― 支える勇者 ―  作者: 和泉發仙


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巡察始動 ― 祈りと帳簿のあいだで

【前書き】


※今回からいよいよ「巡察」が本格的に動きます。

 聖教国の論理/街の人々の“祈り”/帳簿の数字――

 そのズレの中で、ジージーが「自分の居場所」を意識し始める回です。


――――――――――――――――――――


 鐘の音は、街じゅうに行き渡っていた。


 低く、長く、腹の底を揺らすような音。

 リルモアの人々は、その響きが何を意味するのかを知っている。


 ――巡察教士が、街に足を踏み入れた。



 施薬院の前には、小さな列ができていた。


 いつもなら、怪我人や病人が順番待ちをしている光景だ。

 だが今日は違う。


 列に並んでいるのは、きちんとした服を着た家族連れが多い。

 中には、子どもの手を強く握りしめている者もいる。


「なんだか、いつもと雰囲気が違いますね……」


 薬草籠を抱えたジージーがそうつぶやくと、

 隣でミーヤが肩をすくめた。


「巡察のときだけ“信心深い家族”になる人たちよ」


「信心深い……?」


「聖教国の教士様に“うちは真面目に暮らしてます、子どももよく働きます”って

 見せつけておけば、帳簿上の印象が少しマシになるって信じてるの」


 ミーヤの声には、

 諦めとも、皮肉ともつかない色が混じっていた。


「信じる対象が“神様”じゃなくて“帳簿の数字”っていうのが、

 この街らしいところだけどね」


 ジージーは列の先を見た。


 施薬院の入口には、白い外套をまとった男が立っている。

 胸には、ルーデンス聖教国の紋章。

 手には、薄い紙束と小さな印章。


(あの人が……)


 巡察教士の一人だ。


 彼は、列に並ぶ一人ひとりに、

 淡々と質問を投げかけていた。


「家族構成。

 仕事。

 施薬院の利用頻度。

 理事会への不満の有無」


 質問は機械的で、

 答えを書き込む手も迷いがない。


 答えを聞き終えると、紙に小さな印を押す。

 赤い丸か、

 青い三角か、

 あるいは何も押さないか。


(印の色で、何か分けてる……)


 ジージーは、ごくりと唾を飲み込んだ。



「……ミーヤも、並ぶの?」


 弟リオンの手を引いたミーヤに、

 ジージーはそっと訊いた。


「並ぶわよ。

 並ばなかったら、“何か隠している”って思われるもの」


 ミーヤは、顔だけは笑った。


「大丈夫。

 今日はあの子、少しだけ顔色がいいし。

 “働けるようになる見込みあり”って思われれば、

 すぐに送致候補には入れられないはず」


(そんなところまで計算して、ここに立ってるんだ……)


 ジージーは、

 胸がキュッと締めつけられるのを感じた。


「ジージーは?」


「え?」


「アンタも、外来者扱いで訊かれるかもよ。

 施薬院の補助員って立場、

 “どう扱うか”を上の連中は見てるだろうから」


 その言葉に、

 ジージーは無意識に胸元の布袋を握りしめた。


(数字……外来者枠……仮補……)


 怖さは、ある。

 あるけれど――


「それでも、ここにいるって決めました」


 自分でも驚くほどまっすぐな声だった。


 ミーヤは、ほんの一瞬だけ目を細めると、

「……なら、いいわ」とだけ言った。



「次の方」


 巡察教士の目が列をなぞり、

 ミーヤたち親子に止まった。


 ミーヤは一歩前へ出る。


「ミーヤ・ハーヴィス。

 弟のリオン・ハーヴィスを連れてきました」


 教士は紙にさらさらと名を書き込む。


「父母は?」


「父は戦役で死亡。

 母も病死しました」


「現在の暮らし向きは?」


「洗濯仕事と施薬院の手伝いで、なんとか。

 弟は、最近ようやく起き上がれるようになってきて……」


「仕事は?」


 リオンのほうを見る。


 少年は、

 息を詰めたような顔で俯いていた。


「ま、まだ……」


 ミーヤがすっと前に出る。


「これから覚えさせます。

 洗濯の手伝いでも、荷物運びでも、

 できることから少しずつ」


 教士はしばしミーヤを見つめ、それから紙に短く何か書いた。


「従順。

 信仰心、観察中。

 施薬院依存度、中」


 呟きながら、

 紙に青い三角の印を押した。


「次回巡察までに、“自立の兆し”が見られれば、

 送致候補からは外れる可能性が高い」


 そう言い残し、目をそらす。


 ミーヤは、小さく息を吐いた。


(今、何か決まったんだ……)


 ジージーは、そのやりとりを息を詰めて見ていた。


 祈りでも、涙でもない。

 数字と印と、短い言葉。


 それでもどこか、

 “判定を待つ列”は祈りの列に似ていた。



「次」


 今度はジージーの番だった。


 巡察教士の視線が、

 外套の下の小柄な姿をじっと見つめる。


「名は?」


「ジージー、です」


「姓は?」


 言葉に詰まる。

 この世界に来てから、

 一度も“姓”を名乗ったことはない。


「……わかりません」


 教士の眉が、わずかにひそめられる。


「出身地は?」


「……覚えていません」


 空気が、冷たくなるのを感じた。


(しまった……)


「外来者か」


 紙の上に、静かに文字が書き込まれる。


「施薬院補助とあるが――

 何か特別な技能が?」


 ジージーは、

 迷って、

 それでも絞り出すように言った。


「体を動かすことが得意です。

 重い荷物運びや、

 護衛の手伝いなら……」


「護衛?」


 教士の目がわずかに光る。


「どこで学んだ?」


「……どこ、って……」


 言えない。

 “別の世界の武術”だなんて。


 言えるのは、

 エイリアスの隊で教わったことだけ。


「砂漠の人たちに、

 “体の使い方”を教えてもらいました。

 敵を傷つけずに、止める方法を」


 教士は、その言葉に鼻を鳴らした。


「敵を傷つけずに、止める?」


「はい。

 殺さずに済むなら、そのほうが……」


「それは“甘さ”だ」


 教士は紙から顔を上げた。


「神の敵を前にして、剣を鈍らせる者は、

 真の信徒とは言えない」


 その声には、

 わずかな冷笑が混じっていた。


「祈りとは、

 犠牲を払う覚悟を伴うものだ」


 紙に、赤い丸が押される。


 ジージーの喉が、きゅっと鳴った。


(赤い……)


「外来者、身寄りなし。

 非戦闘的思考。

 施薬院補助として“有用度・中”。

 ――当面は“留意のみ”とする」


 言葉だけ聞けば、

 判定は悪くない。


 だが、その赤い印が、

 何を意味するのかはわからなかった。


(将来、何かあったら――

 あたしの名前、すぐに上に上がる……)


 腰のあたりが、

 すうっと冷えていく気がした。


 ミーヤが横目でジージーを見た。

 何か言いかけて、やめた。



 巡察教士たちは、施薬院の聞き取りが終わると、

 次に市場へと向かった。


 ジージーとミーヤは、

 施薬院の中庭からその様子を見ていた。


「あの人たち、

 ずっとあんな感じで街を見て回るの?」


「そうよ。

 施薬院、学校、教会、市場……

 “帳簿に関わる場所”は一通り。」


 ミーヤは、リオンの額に手を当てる。


「具合は?」


「……大丈夫。

 ちょっと疲れただけ」


 少年は、

 巡察教士に質問されたときのことを思い出しているのか、

 落ち着かない様子で指先をいじっていた。


「あの人たち、怖かった?」


 ジージーが訊くと、

 リオンは小さく頷いた。


「目が、冷たかった……

 僕たちを見てるようで、

 どこか別のところを見てるみたいで……」


(数字を見てるんだ)


 喉まで出かかった言葉を、

 ジージーは飲み込んだ。


 代わりに、

 そっとリオンの頭を撫でる。


「大丈夫。

 あたしたち、ちゃんと働けるってところ見せていこう」


「うん……」


 リオンの手が、ジージーの袖をぎゅっと掴む。


 その感触が、

 冷えかけていた心に少しだけ温かさを戻してくれた。



 その夕方。


 雑貨屋ラガンの奥の部屋には、

 いつもより多くの人が集まっていた。


 セルグレン。

 ジージー。

 タリサ。

 そして、二人ほど見知らぬ顔の男と女。


「“砂”の連中の一部だ」


 ラガンが、ジージーへ簡単に紹介する。


「トマル。

 市場で荷運びをしている」


 背の高い痩せた男が、

 無言で軽く会釈した。


「エルナ。

 教会の掃除係」


 丸い顔の女が、

 明るく笑って手を振る。


「今日は、それぞれの“見たもの”を持ち寄ってもらった」


 ラガンが机を叩く。


「巡察教士は何を見ていたか。

 どこで立ち止まり、

 誰に質問をしていたか。

 どの家に印をつけたか。

 ――全部、拾えるだけ拾う」


 机の上には、

 小さな紙切れが山になっていた。


 それぞれの視点から書かれた、

 断片的な情報。


「教会では?」


 セルグレンがエルナに訊く。


「説教のあと、“献金の額”を真っ先に見てたわね。

 神様への信仰とやらは、

 “財布の厚み”で測るものらしいわよ」


 エルナは肩をすくめた。


「あと、“熱心な信徒”の家には印を押してた。

 “従順であることの証”だって」


「市場は?」


 トマルがぼそりと答える。


「“値切り交渉が激しい者”には、

 不満度の印がついていた。

 理事会の物資を“高すぎる”と言っただけで、だ」


 ジージーは、

 自分の紙に書いたことを指でなぞる。


「施薬院では……

 病人の多い家族ほど、“社会圧迫度”が高い印を押されてました」


 ミーヤとリオンの名前も、

 そこには小さく記されている。


「でも――」


 ジージーは、紙を見つめながらつぶやいた。


「印を押すとき、

 教士さんは“名前”を一度も呼ばなかった」


 ラガンが目を細める。


「どういうことだ?」


「ずっと、“患者”“女”“外来者”とか……

 そんな呼び方ばかりで」


 あの冷たい目が、

 脳裏に蘇る。


(名前を呼ばれないまま、“判定”される)


「数字が支配してる世界って、

 そういうことかもしれないわね」


 エルナがぽつりと言った。


「名前で呼べば、“人”として見なきゃいけない。

 でも数字なら、“枠”に押し込むだけで済むもの」


 静かな沈黙。


 タリサが、

 ぎゅっと拳を握りしめた。


「……だから、私たちは“裏帳簿”を書いているんです」


 彼女の前には、

 ジージーが昨日受け取った『裏帳簿』が開かれていた。


「こっちには、名前を書きましょう。

 どんな人で、

 どんな声で笑って、

 どんなふうに生きようとしてるか」


 小さな手が、ペンを握る。


 ミーヤ。

 リオン。

 グレン。

 洗濯屋の夫婦。

 市場の子ども。

 教会の掃除係。

 荷運びのトマル。


 ひとつひとつの名前が、

 紙の上に刻まれていく。


「数字の帳簿は、あっちに任せておけばいい。

 こっちはこっちで、“名前の帳簿”を書いていこう」


 ラガンが笑う。


「いつかそれが、“砂嵐”になるかもしれない」


 ジージーは胸の奥が熱くなるのを感じた。


(あたしの手も、

 この帳簿の一部になる……)


 ペンを持つ指が、

 少しだけ震えている。


「ジージー」


 セルグレンの声がした。


「お前、ここから先は“ただの外来者”じゃいられないぞ」


 その目は、

 どこか試すような光を帯びていた。


「数字の側にも、名前の側にも、

 どちらにも足をかけてしまった」


「……はい」


「それでも前に進むなら、

 いつか必ず“誰かの数字を動かす側”に回ることになる」


 誰かを救うため。

 誰かを守るため。


 でもきっと、

 誰かを救えなかった、と悔やむ日も来る。


「覚悟はあるか?」


 問われているのは、

 “戦う覚悟”ではなく。

 “支える覚悟”。


 ジージーは、

 胸元の布袋を握りしめた。


 グレンから渡された小石が、

 かすかに音を立てる。


「……はい」


 小さく、

 しかしはっきりと答えた。


「数字じゃなく、

 名前を守る側に、

 あたしも立ちたいです」


 ラガンが、

 にやりと笑った。


「じゃあ、今日からお前は“砂名簿係”の一人だな」


「な、名簿係……?」


「悪くない肩書きだろ?」


 笑いが、

 小さく部屋に広がる。


 その笑いの中で、

 ジージーはそっと、

 裏帳簿の一角に自分の名前を書き込んだ。


 ――ジージー。

 外来者。

 杖を持つ少女。

 “止める方法”を知りたい者。


(あたしも、ここにいる)


 この裏帳簿が、

 いつかどんな形で使われるのかはわからない。


 けれど確かに、

 “数字しか見ない世界”に対する、

 小さな抵抗の一歩だった。



 その夜。


 理事会館の一室で、

 ベルツ事務官は一人、帳簿を睨んでいた。


 机の隅には、

 未提出の“候補調整案”が一枚。


 外来者(仮補)・ジージー。

 送致“推奨”。


 彼は静かにペンを取り、

 その行に線を引いた。


 ――破棄。


 そして、

 新たな行に小さく書き込む。


 ――外来者(施薬院補助)・ジージー。

 送致“非推奨”。

 理由:街の医療負担軽減に寄与。


(これは、俺の勝手な判断だ。

 規則から見れば、ただの“誤記”に過ぎない)


 それでも、

 彼はペン先を止めなかった。


(それでも――

 数字を書く手が、人間である限り)


 彼は、小さく息を吐いた。


 外の夜風が窓を揺らす。


 その向こうで、

 砂の民たちが裏帳簿を書いていることを、

 ベルツはまだ知らない。


 だが確かに、

 数字と名前、

 表と裏――


 それぞれの“砂”が、

 同じ方向へ少しずつ動き始めていた。


――――――――――――――――――――


【後書き】


ここまで読んでくださり、ありがとうございます!


この回では:

•巡察教士が実際にどう人々を“査定”しているか

•ミーヤ&リオンへの印

•ジージーへの「外来者・赤い印」

•市街地レジスタンス側の“裏帳簿=名前の帳簿”

•ベルツ事務官の小さな反逆


を描きました。



■ 今回のキーワード

•「数字は祈りの代わりになるか?」

 → みんな巡察教士の前で、ある意味“祈って”います。

  でも、その祈りは「神」ではなく「帳簿・印」に向かっている。

裏帳簿アンダー・リスト

 → 表帳簿が“数字の世界”なら、

  裏帳簿は“名前の世界”。

 → ここにジージー自身も書き込まれたことで、

  彼女は「名前を守る側」に一歩足を踏み入れました。



この章も、残りは「巡察の本当の狙い」が顔を出してくる段階に入ります。

次回は、

•巡察教士たちが理事会側にどんな“数字の修正”を要求するのか

•ミーヤ弟/タリサ/外来者枠にどう火の粉が飛ぶのか

•砂側が“初めて帳簿に手を加えるかどうか”の瀬戸際


あたりを描いていく予定です。

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