三日後の巡察 ― 動き出す歯車
【前書き】
※この回では
・巡察前の“街の異常”
・ベルツ事務官の葛藤
・タリサの危険な潜入
・ミーヤと弟の影
・ジージーが「初めて自分の意思で動く」ところ
を描いていきます。
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【本編】
街は、妙に静かだった。
リルモアの朝はいつも、
市場の立ち上がる匂いや果実を売る声で満ちていたはずなのに、
今日は違う。
誰もが、口を閉じている。
歩く速度すら、いつもより早かった。
「……やっぱり、変ですね」
ジージーは施薬院の階段で立ち止まり、
通りを行き交う人々をじっと見つめた。
「理事会館の前、今朝は兵士が多かったよ」
ミーヤがぼそりと言う。
彼女の腕には、まだ幼い弟――リオンが抱かれている。
「“巡察が近い”ってだけじゃ、あんな厳重にならないはずよ」
「……そうですよね」
(昨日、ラガンさんから聞いた話……
帝国の急使がもう街に入っている……
帳簿の“調整”が始まる……)
胸がざわめく。
石畳の上を風が流れ、
どこか鉄の匂いがした。
◆
午前。
ジージーは施薬院の裏庭で薬草の仕分けをしていた。
リオンの体調は安定している。
でも、それはミーヤの努力の結果だ。
(あの子の名前は“候補者一覧”にはない。
でも“要注視者”には載ってる……)
帳簿の行。
数字。
優先。
保留。
送致待ち。
それらが昨日よりも、はっきりと重く感じられた。
「ジージー」
背後で声がした。
セルグレンが腕を組んで立っている。
「動くぞ」
「どこへ?」
「理事会館の裏手だ。
“砂の連中”から連絡があった」
胸が跳ねる。
(ラガンさんたちが……?)
「タリサが“昨夜拾ったもの”がある」
「昨夜……?」
「危険な仕事だ。
だが、お前には見てもらいたい」
ジージーは深く息を飲み込んだ。
胸の奥が、熱くなる。
「行きます」
(逃げたくない……
あたしも、この街の“砂”に混ざるって決めたんだから)
◆
理事会館の裏には、
古い倉庫のような建物が点在していた。
その一角。
洗濯屋の陰になった小さな木戸を叩くと、
カタン……と合図が返る。
中にいたのは――タリサだった。
「来てくれたんだ……!」
少女は息を切らしている。
目の下には薄い隈。
昨夜どれほど危険な場所を歩いたのか、容易に想像がつく。
「タリサ、無理したな」
セルグレンが眉をひそめる。
「大丈夫……。でも、たぶん“これ”、今日中に見せないといけないと思って……」
タリサは胸元から、
しわくちゃに折れ曲がった紙を取り出した。
「理事会館の……“未提出控え”です。
昨日の破れた帳簿の横に、これが落ちてて……
誰かが急いで隠そうとして……」
ジージーは紙を受け取った。
文字は急ぎ書き、乱れ、
判も押されていない。
だが、確かな見覚えがある。
(これは……)
「“候補調整案”……?」
セルグレンの声が低くなる。
そこには、こう書かれていた。
――7名追加
――理由:不足補填
――地番:北区・工区・外来者
そして最後の行。
――外来者(仮補)*2名
※未確定
ジージーの指が止まった。
(外来者……
あたし……)
文字がにじんで見えた。
「……“仮補”って」
「“候補に上げておくけど、理由が整えば本採用”ってことだよ」
タリサが小さく言う。
「この紙……正式に提出されてなかった。
だから、今日どこかで“調整”されると思う」
「今日……?」
ジージーの心臓が音を立てて跳ねた。
「三日後が巡察。
その前に数字を決める必要があるから……
今日中に帳簿が書き換えられるはずなの……!」
セルグレンが固く唇を結ぶ。
「ラガンの予想より早いな。
帝国の圧が強い……」
タリサは不安げに袖を握る。
「……わたし、今日また行く。
理事会館の清掃、夕方の当番なの。
そのとき“もう一枚”あるかもしれない」
「駄目だ」
セルグレンの声が鋭くなる。
「夕方の理事会館は危険すぎる。
帝国の急使も来ている。
巡察教士の準備も進んでいる」
タリサは唇を噛んだ。
「……でも、誰かが見ないと。
このままじゃ、帳簿が勝手に――」
「それなら、あたしが行きます」
ジージーが口を開いた。
「……!」
「タリサより注意が向かない。
外来者だし、施薬院の子どもなら“雑務”に紛れられます」
タリサが目を丸くする。
「で、でも……
ジージーさん、危ないよ……!」
「危険なのは、知ってます。
でも、あたし……
この街の“砂”になるって決めたから」
言葉が震えていないことに、自分でも驚いた。
セルグレンは、しばらく黙ってジージーを見ていた。
その目は、
エイリアスが何かを決断するときに見せた、
あの静かな光に似ていた。
「……わかった」
セルグレンは低く頷いた。
「だが条件がある。
“単独では行かない”。
俺もついていく」
ジージーの胸がじんと熱くなった。
「はい……!」
タリサは胸を押さえ、ほっと息をつく。
「ありがとう……ジージーさん……
ほんとに、ありがとう……」
◆
昼過ぎ。
街に重く湿った空気が流れ始めた。
ジージーは施薬院に戻り、
薬草箱を片付けながら、
巡察に備えて忙しく動く人々の声を聞いていた。
(帝国の急使……
聖教国の巡察……
帳簿の調整……
タリサの情報……
あたしの“仮補”……)
胸の奥で、
小さな火が静かに、しかし確かに燃えている。
(止めたい……
数字じゃなく、名前を見てほしい……
ミーヤの弟を──
タリサを──
街の人たちを……
誰かが守らないと……)
そのために、あたしは今日、動く。
夕刻。
施薬院の裏口に、
黒い外套を羽織ったセルグレンが立っていた。
「行くぞ」
「はい」
ジージーは外套の紐を結び、深呼吸をする。
(大丈夫……怖いけど……逃げない)
二人は薄暗くなり始めた街路に出た。
巡察まで、あと三日。
そして今日――
数字が動く日。
ジージーは胸元の布袋を握りしめる。
(グレンさん……
あたし、ちゃんと見てきます)
風が吹く。
砂の匂いがした。
――蝶番が、静かに、音を立て始めていた。
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【後書き】
読んでくださり、ありがとうございます!
今回は、
•タリサの“危険な潜入”
•帳簿裏の“調整案”
•外来者(仮補)の衝撃
•セルグレンとジージーの動き出し
•“砂の民(街側)”ネットワークの本格始動
•巡察三日前の街の異常
これらを中心に描きました。
ここから次回以降、
•理事会館潜入
•急使の到着
•巡察教士の影
•帳簿の“本改竄”
•ミーヤ弟の危機
•タリサ自身に迫る危険
と、一気に緊張感が高まる章に突入します。
“数字と名前の物語”は、ここからさらに加速します。




