帳簿の裏側 ― 砂が動き始める ―
【前書き】
※本話では、
・街内部の“地下レジスタンス”
・帳簿の裏側
・ジージーの視野が広がる瞬間
を中心に描きます。
物語が一段階、深い層へ潜る回です。
――――――――――――――――――――
【本編】
夕闇が街を覆い始めるころ、施薬院の灯りがぽつりとともった。
ジージーは薬草棚の前に立ち、乾いた葉を一枚ずつ確認していた。
ミーヤの弟――リオンの体調は安定しつつあるが、油断はできない。
(……昨日より、少し顔色が良かった)
そう思うと、胸の奥がじんわり温かくなる。
そのとき、小さく扉が叩かれた。
「ジージー、来てくれ。話がある」
扉の向こうから、低く落ち着いた声。
セルグレンだ。
「はい、今行きます!」
ジージーは薬草箱を閉じ、裏口から外へ出た。
◆
夕暮れの空に、街灯の火がぼうっと揺れる。
セルグレンは施薬院の脇道に立っていたが、ジージーを見るなり歩き出す。
「今日は、街を少し見せる」
「街……ですか?」
「ああ。
お前に“外側の世界”を知ってもらうのに、ちょうど良い」
その言葉に、少しだけ胸が高鳴る。
(外側の世界……?
セルグレンさんの過去にも関係あるのかな)
ジージーは黙って後を追った。
◆
街の裏通りは、昼とはまるで違う顔をしていた。
人気のない路地。
洗濯物が垂れ下がる木造の屋根。
ひび割れた井戸のふた。
そのすべてが、薄暗さをまとう。
セルグレンは、古びた雑貨屋の前で足を止めた。
看板は色褪せ、店内の灯りも弱い。
カラン、と扉の鈴が鳴る。
「よう、セルグレンさん。遅かったじゃないか」
出迎えたのは、四十代ほどの男。
だが目だけは、異様に鋭い。
「ジージー。この人は“ラガン”。表向きは雑貨屋だが……まぁ、裏の役目がある」
ラガンは苦笑して肩をすくめた。
「紹介の仕方よ。傷つくなぁ、それ」
「裏の役目……?」
ジージーは思わず聞き返した。
「そうだ。俺たちは“街の中の砂”だ」
ラガンは声を潜め、店の奥へと手招きする。
「砂……?」
「流れを止めず、風のように動く存在ってことさ。
表は理事会、裏は俺たちが見てる」
セルグレンが補足する。
「レジスタンスの中には、街に根を張って情報を集める連中がいる。
ラガンはその中心だ」
ジージーの胸が、ざわりと揺れた。
(街にも……砂の民の“仲間”がいるんだ)
◆
奥の部屋は、狭い倉庫のようだった。
しかし、壁には見慣れない紙束が貼られ、
机には分厚い帳簿の複写が広げられている。
ジージーは目を丸くした。
(帳簿……?)
ラガンは椅子に腰を下ろし、指で帳簿の一行を触る。
「これは正式な帳簿じゃない。“写し”だ。
だが、内容は本物と同じ」
ジージーの脳裏に、ミーヤの言葉が蘇る。
――“数字の動かし方”を覚えなさいよ。
「帳簿はよ。見るだけでわかることがある」
ラガンは数ページをめくり、ある箇所で止めた。
「まず、ここだ。外来者一覧」
ジージーの胸がどきりとした。
「……あたしの名前……」
確かにあった。
昨日、ベルツ事務官が見せてくれたのと同じ記載。
“外来者・身寄りなし要員”
(あたし、本当に“数字”なんだ……)
ラガンは続けた。
「この街じゃな、
帝国、聖教国、理事会……
この三つがそれぞれ“数字”を送り合ってる」
「三つ……?」
ジージーは息を呑む。
(帝国は北の巨大国家。
聖教国は……あの亜人差別の強い国。
そして理事会は、今のこの街を縛ってる存在……)
「三つのどれも信用できねぇ。
だが、表向きは全部“平和を守る協力関係”なんて名目で繋がってる」
セルグレンが補足する。
「数字を送り合うことで、
帝国は労働力を、
聖教国は献身者を、
理事会は支配の根拠を得る」
ジージーの胸が凍りついた。
(じゃあ……
この街は、誰の味方でもないんだ)
「逆だよ、嬢ちゃん」
ラガンはニッと笑う。
「この街は、数字の味方なんだ」
◆
ラガンは机の引き出しから一枚のメモを取り出した。
細かな文字がびっしり書かれている。
「これ、なんだかわかるか?」
「……?」
「“次の監察予定”だよ。
聖教国の巡察教士が、三日後に来る」
セルグレンが眉をひそめた。
「早すぎる。前回からまだ二月も経っていないはずだ」
「だからおかしいんだよ」
ラガンは机をトントンと叩く。
「帝国からの急使も、もう街に入ってる。
あいつら、帳簿の“調整”をする気だ」
ジージーの心臓が跳ねた。
「調整、って……
数字を変えるってことですか?」
「そうだ。
送り先を増やしたり、優先順位をいじったりな」
昨日見た光景が蘇る。
グレン老人の背中。
泣き叫ぶ家族。
ミーヤの目。
(それを……これ以上?)
セルグレンは深く息を吐いた。
「ラガン。具体的にどの数字が動きそうだ?」
「まだ確定じゃねぇが――」
そのとき、店の表で鈴が鳴った。
カラン……。
ラガンが即座に目を細め、指を一本立てる。
「来たな」
「誰か?」
「“もう一つの砂”だよ。
嬢ちゃんにも紹介してやる」
◆
表に戻ると、
そこには一人の少女が立っていた。
年はジージーとあまり変わらず、
薄茶の髪を三つ編みにしている。
だが、その目は驚くほど強い光を宿していた。
「あ、あの……ラガンさん。持ってきました」
少女は胸の前で書類の束を大事そうに抱えている。
「よく来たな、タリサ」
ラガンが笑う。
「タリサ……?」
少女はジージーを見ると、ぺこりと頭を下げた。
「あなたが、ジージーさんですか?
施薬院でお手伝いをしているって……」
「あ、はい!」
「私はタリサ。
理事会館の清掃員です」
(清掃員……?)
タリサは書類の束を差し出した。
「これ、今日の理事会館のゴミ箱にあった……
破かれて捨てられていた“控え書き”です」
セルグレンとラガンが同時に目を細めた。
「控え書き……!」
ラガンは素早く束をめくる。
そこには、数字が並んだ表。
送致予定、優先、保留……
「……抜けてる」
ラガンの声が低くなる。
「本来、この右側に“理由”が書かれてるはずなんだ。
だが全部破かれてる。
これは“隠してる”ってことだ」
タリサが怯えたように唇を噛む。
「理事会の人が……
“今日は監察が来るから綺麗にしとけ”って……
だから、なんだか怖くて……」
ジージーは震える少女の腕にそっと触れた。
(同い年くらいなのに……
こんな危ないこと、してるんだ)
タリサは涙をこらえるように目をぎゅっと閉じた。
「……誰かが、数字の裏を見ないと。
誰も助からないから」
その言葉は、
ジージーの胸を刺すように響いた。
(グレンさんが言ってた……
“数字に名前をつけてやってくれ”って)
(この子たちはもう、やってるんだ……)
◆
ラガンは束の中から一枚を抜き、
セルグレンに手渡す。
「見てみろ。番号“17-05”。
これ……お前の街だろ?」
セルグレンが一瞬、静止した。
「……ここは……」
ジージーは覗き込む。
欄には
“北部管理区・奉仕候補調整中”
とだけある。
“理由”は破かれている。
「セルグレンさんの……?」
「俺の故郷だ」
低く、押し殺した声。
(セルグレンさんの……
奪われた家族の……)
ラガンはさらに言う。
「どうやら“再奉仕”がかかってる。
誰かが数字を裏で増やしたんだ。
しかも、かなり強引に」
「再奉仕……?」
「ざっくり言うと“二度目の徴発”だよ。
一度送った街から、さらに追加を取る」
「そんなこと、ありなんですか……?」
「ありだよ。
帝国が“不足してる”って言ったら、
理事会も聖教国も逆らえねぇ」
タリサが震える声で付け足す。
「理事会館の人たち……
“今回の監察は厳しいぞ”って言ってました。
だからきっと、数字が……」
ジージーは息が詰まった。
(ミーヤの弟は?
外来者のあたしは?
ほかの家族は?
次に増える数字は……誰?)
胸の奥が、再びじりじりと燃える。
◆
ラガンは深く息を吸い、
机の上に手を置いた。
「三日後に巡察。
その前日には帝国の急使が到着する」
「つまり……?」
「“数字が動く日”が近いってことだ」
部屋の空気が、一気に重く沈む。
セルグレンが、ジージーの肩に手を置いた。
「ジージー。
お前に見せたのは、今日のこれが理由だ」
ジージーは顔を上げた。
「お前は、杖の勇者になる。
だがそれは、強さだけでなれるもんじゃない」
セルグレンは、破かれた帳簿を指差した。
「“誰が、どこで、何を、どう失おうとしているか”。
それを知る勇者になるんだ」
ラガンも頷いた。
「数字の裏側にある“名前”を知る勇者。
それが本当に強い奴だ」
ジージーは、拳を握った。
(あたしも……
この街の砂の一粒になる)
(止めるために。
救うために。
知るために)
「……教えてください」
ジージーの声は震えていなかった。
「帳簿の見方。
数字の動き。
裏のつながり。
あたし、それ全部覚えます」
ラガンは、少年のように笑った。
「いいね。
だったら――」
机の引き出しから、一冊の薄いノートが取り出される。
「これ、『裏帳簿』だ。
俺たちが街を見て書き足している、もう一つの帳簿」
ジージーは受け取る。
中身は乱雑だが、
行間にはびっしりと名前が書かれていた。
石工。
荷運び。
洗濯屋。
薬草摘み。
病人。
行き場のない子ども。
ジージーの目が大きく開かれる。
「……みんな、“名前”がある」
「あたりめぇだよ。
数字じゃねぇ。
人間だ」
ラガンは力強く言った。
「だからこそ、守らなきゃいけねぇ」
ジージーは大きく頷いた。
(あたし……
この街で、生き方を学ぶんだ)
(杖を振る前に、“数字の向こうにいる人”を見つけるために)
その瞬間、
ジージーの胸のどこかで、
静かに何かが開いた。
“静けさは、扉。”
エイリアスの言葉が、風のように蘇る。
そしてジージーは、その扉を一歩踏み越えた。
――“支える勇者”への第一歩を。
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【後書き】
今回の話では、
•帳簿の“裏側”
•市街地レジスタンス「砂の民(地上線)」
•タリサという新キャラ
•帝国・聖教国・理事会の三層構造
•セルグレンの故郷の伏線
など、多くの“情報の回路”を開きました。
これらは、後の
・裏切り
・サンドイーグル隊壊滅
・セルグレンとジージーの二人旅
・帝国との衝突
・聖教国の巡察編
・北方帝国の黒幕
すべてに繋がります。
⸻
次回(第30話)は、いよいよ
『三日後の巡察 ― 動き出す歯車』
・理事会館内部の緊張
・ベルツの葛藤
・“数字の改竄”が本格化
・ミーヤの弟に迫る影
・タリサが危険を冒して知らせに来る
・ジージー、初めて“自分から動く”
これらを描いていきます。




