影犬の夜
◆襲撃
暗闇の底から、
影が四つん這いで飛び出してきた。
形は犬に似ているが、
毛はなく、輪郭が揺らいでいる。
まるで夜そのものが牙を持ったようだった。
セルグレンが盾を構え、
地を滑る影犬の突進を受け止める。
ガンッ!
「動きは速い。
けれど重さがない……影の実体の薄い獣か」
リゲロは影を踏み、
二連撃で脚を斬る。
が、やはり実体が弱い。
「斬れても、分かれて動く。厄介だ」
ミナは宙に浮かんだまま、
瞳を細めて言った。
「影じゃなくて、
“誰かに操られている糸”の方が本体……」
「糸?」
ジージーが声を出すより早く、
ミナはジージーの肩に触れた。
「ジージー、上」
視線を上げる。
家と家を繋ぐ縄のようなものが、
闇の中で揺れていた。
糸ではなく、細い影の線だ。
そしてその先には――
家畜小屋の残骸。
扉はこじ破られ、爪痕が深く刻まれている。
「この影たち……
どこかから伸びてきてる……
ここを通り道にしているだけ」
セルグレンが低く問う。
「つまり操り手が近くにいる」
ミナは真っ直ぐ指を向けた。
「子どもが消えたのは、
この先の古い洞窟。
影がそこへ伸びてる」
ジージーの表情が変わった。
「助けに行くよ」
◆洞窟へ
洞窟は村から少し離れた岩壁にあった。
かつて採掘を試み、諦められた跡らしい。
入口から冷たい風が流れ出る。
リゲロが先行しながら言う。
「気を引き締めろ。狭い場所は影が集まる」
ミナの加護が淡く光る。
影が厚くなった瞬間、
前へ一歩出て、仲間の身を守るように。
ジージーは、
その背中を信じて歩く。
◆影の巣
洞窟の奥、
おびただしい黒い糸が絡まり合った場所に
一人の小さな影。
「……いた!」
ジージーが駆け寄ろうとした瞬間、
影糸がざらりと広がる。
子どもが糸に絡め取られ、
拘束されていた。
「離れろ!」
セルグレンが盾を構え、
影の津波を防ぐ。
「ミナ!」
呼ばれて、
ミナは迷わず飛ぶ。
「ジージー、合図して!」
「いけるよ……
ミナ、信じて!」
「信じてる」
ミナは子どものすぐそばへ行き、
影糸を指差す。
「そこ、切れる」
リゲロが影刃で一点突破した。
ズッ――!
影糸が広がり、
子どもが倒れるようにミナの胸元へ。
「よし、受け止めた!」
だが、糸はまだ消えない。
天井のさらに奥へと続いている。
セルグレンが叫ぶ。
「操り手はまだ先だ!」
ジージーは杖を握り、走り出す。
「根っこを断とう!」
洞窟の出口とは逆方向、
さらに奥へ突き進む。
◆洞窟の主
そこには――
鎧を着た巨躯の魔物が
影糸を背から伸ばし、
犬たちを操っていた。
獣の顔、
鍛鉄のような腕。
村の資材の鎖や金具を盗み、
自分の身に取り込んだのだろう。
ミナは息を呑む。
「……あれが“影導きの剛獣”」
ジージーは迷わず前へ。
「子どもを狙った理由は?」
ミナが小さく答えた。
「孤独で、怖いから。
仲間がほしいだけ。
でも選び方が間違ってる」
「それ……」
ジージーの胸が痛む。
「わたしだって、怖いときは誰かがほしいよ。
でも奪っちゃダメだ」
「伝えて。
その杖で」
ジージーは深く息を吸い込んだ。
「影導きの剛獣!
村を襲うのをやめなさい!
子どもは返すの!」
巨獣は唸り声を上げ、
影糸を一斉に伸ばしてきた。
空間全体を覆うような一撃。
セルグレンが前へ。
盾がひび割れる。
「くっ……!」
リゲロは影へ飛び込み、糸を斬る。
ミナはジージーを引き寄せ、
加護の光で位置を一歩ずらす。
ジージーは叫ぶ。
「みんなの命を、奪わせない!」
杖に宿る光が反応する。
「【黎明】!」
洞窟を満たす闇が
一瞬だけ薄明へ変わる。
巨獣の動きが止まり、
影糸が力を失って崩れ落ちた。
◆魔物の心
巨獣は膝をつき、
声にならない咆哮を漏らす。
ミナはそっと近づき、
その瞳を見た。
「……怖かったんだよね」
巨獣の黒い眼が揺れた。
「一人ぼっちで、
怖いまま動いたから
間違えちゃっただけなんだよね」
ジージーは
自分の胸を押さえる。
「怖くて、
誰かがほしい気持ちは
わかるよ……」
巨獣の影が
震えながら収まっていった。
◆救出
子どもは無事。
村へ戻すと、
母親が泣き崩れて喜んだ。
ジージーは笑った。
「大丈夫。
間に合ってよかった」
村長は深く頭を下げた。
「旅の勇者よ……
本当にありがとう」
◆星鏡と夜の気配
しかし――
ジージーたちが村から見た夜の空。
星の数が
ほんの少し減っていた。
リゲロが静かに言う。
「魔女の森の影は、
ここまで伸びている」
ミナの胸元の加護が
わずかに疼いた。
セルグレンは夜空を睨み、
「今夜越えるなら……
いよいよだな」
ジージーは
拳を握りしめる。
村の安心を取り戻せた。
でも、完全ではない。
影はまだ、生きている。
「進もう。
わたしたちがやらなきゃ
止まらない」
星鏡が
わずかに青い光で返事をしていた。
⸻、
◆次回予告
北の山脈を越え、霧の谷を抜けた先に広がるのは――
音楽が“街そのもの”になった都、ワーダン。
石畳を叩く靴音も、
港で揺れる帆の軋みも、
噴水で跳ねる水滴すらも、
すべてが楽器となり、旋律を紡ぐ。
・路上演奏が市民権
・劇場は24時間稼働
・市場では音階で値段交渉
・夜は歌が星を揺らす
しかし――
楽都の中心《大劇場アルモニア》では、
異変が囁かれていた。
「最近、歌い手が声を失うんですよ……」
聴こえるはずの音が、
ひとつ、またひとつ――静かに消えていく。
ジージーたちは気づく。
ここにも、“呪いの折り目”が潜んでいると。
次回
『楽都ワーダン① ー 静けさに沈む歌』
音に満ちた街ほど、沈黙は深い。




