核都ラドーンへ
港町ハイロックの海風は、しょっぱくて、ちょっと鉄の匂いがした。
昼下がりの桟橋。行き交う船乗りたちの怒鳴り声と、カモメの鳴き声と、荷を運ぶ台車の軋む音が、波音にまぜこぜに溶けていく。
「……で、その“核都ラドーン”ってのは、ほんとに海の底にあるわけ?」
桟橋の手すりに肘をついて、ジージーは目を細めた。
視線の先には、港の外れに停泊した、妙にごついシルエットの船――いや、船にしては低い。舷側の下には丸い窓が並び、甲板には大きな魔導石の輪が二重三重に組まれている。
「海の“底”というより、海底山脈の“稜線”だな」
隣で腕を組んだセルグレンが、真面目な顔で答える。
以前より、ほんの少し雰囲気が変わった。聖盾士への転職を終えた彼は、軽いバックラーと短剣装備にもかかわらず、不思議な“揺るがなさ”を身にまとっている。
鎧は薄く、動きやすそうだ。それでも、彼の周りだけ、見えない壁のように空気が張っている気がした。
「ラドーンは海底山脈の上、石の柱で組んだ大地に築かれています」
その反対側で、ミナがさらりと続ける。
相変わらず黒一色のローブ姿だが、その影から覗く瞳は楽しそうに輝いていた。
彼女の背後には、三体の眷属が控えている。
一体は、黒い霧をまとった【レイス】。
もう二体は、以前よりどこか骨格のしっかりした【スケルトンナイト】たち。
ミナが「名付けたら進化するかも」と言ってから、彼らの動きにも、妙な“自我”が乗り始めていた。
(名付け、かぁ……。ラドーンで、なにか“節目”が来るのかも)
ジージーがそんなことを考えていたそのとき。
「おーい、お待たせしましたよ、お嬢さん方、それに勇者殿」
低めの渋い声が背後から飛んできた。
振り向けば、そこには褐色の肌に銀髪を束ねた中年男――胸元に碇の紋章を縫い付けた上着を羽織り、片目に古傷の走る男が立っていた。
「あなたが、ガイドの……」
「ローデン・バルハ。ラドーン認可の潜航案内人です」
男――ローデンは、胸に手を当てて軽く頭を下げる。
その仕草は、海の男らしい豪快さと、どこか“礼拝者”のような静けさを両方まとっていた。
「勇者一行と、王国兵士十五名。潜航艇でラドーンまでご案内いたしましょう」
背後の桟橋には、鎧姿の兵たちが整列して待っている。
鏡事件のあとから同行している、王都直属の精鋭だ。
彼らの肩当てには、青い紋章――王家の海の紋が刻まれている。
「ローデン殿、一つ聞きたい」
セルグレンが一歩前へ出た。
「ラドーンは、“冥界の気配”には厳しいと聞きました。ミナの眷属は……」
「この子たちは、あたしの大事な子たちよ?」
ミナがさらりと口を挟む。レイスがすぐ横でふわりと揺れ、スケルトンナイトたちが、かち、と小さく槍の石突きを鳴らした。
ローデンは、三体をじろりと一瞥し、わずかに笑った。
「核都ラドーンは、“音”と“静けさ”をきらいますが……働き者の骨と、礼儀を守る霊には寛容ですよ」
「礼儀?」
ジージーが首をかしげると、ローデンは指を三本立てた。
「一つ、勝手に叫ばないこと。
一つ、許可なく共鳴炉に近づかないこと。
そして一つ――核都の“柱”を笑わないこと」
「柱?」
「行けば分かります」
ローデンはそう言って、にやりと笑った。
「ラドーンは、静かに怒る都ですからな」
ジージーは思わず、首の後ろをさすった。
この世界に来てから、いろんな街を見てきたが――“怒る街”なんて表現は初めて聞いた。
(音と静けさ、か。
……格闘技の世界だと、“会場の気配”に近いのかな)
前世、ケージの中に入る前の、あの妙な静けさ。
観客のざわめきが一瞬だけ遠のいて、自分と相手の呼吸だけが大きく聞こえる、あの時間。
あれを“街スケール”でやっているような場所だとしたら――。
「ジージー?」
セルグレンが、少し心配そうに覗き込む。
「うん、大丈夫。……静かなとこ、嫌いじゃないし」
ジージーは笑ってみせた。
怖さはある。でも、“リングイン”前のあの感じは、嫌いじゃなかった。
大事なのは、“一人で立たされてる”って思わないことだ。
(今はあたし一人じゃないしね)
そう思って振り返れば、すぐ後ろにセルグレンが、少し離れてリゲロが、そしてミナがいる。
リゲロは相変わらず軽装のまま、影のような身のこなしで人波を避けて立っていた。
シャドウストライカー《影走り》へと転職してから、彼の影は、まるで別の“生き物”のように地面を滑っている。
「……ジージー」
リゲロが小さく呼びかける。
「怖くなったら、言えよ」
「え?」
「お前……さっきから、ほんの少し肩が上がってる」
指摘されて、自分の肩に触れる。
確かに、ほんのわずかに力が入っていた。
ジージーは息を吸い、ゆっくり吐いた。
肩が下りる。そのタイミングに合わせて、セルグレンがさりげなく背中に手を置く。
「……ありがと」
ジージーは、二人に向かって小さく笑った。
「怖いよ。海の底なんて初めてだし。
でも――一緒にいれば、大丈夫」
その言葉に、セルグレンは一瞬だけ目を丸くして、それから照れたように咳払いした。
リゲロは、ふっと口角を上げる。
「おー、勇者、言うようになったじゃねぇか」
「ふふ、勇者殿も、だいぶそれらしくなってきましたね」
ミナが口元を隠して笑う。
「では、参りましょうか。海の底の“骨”を見に」
ローデンがくるりと踵を返し、潜航艇へ向かって歩き出した。
――移動の時間だ。
ジージーたちは荷を締め直し、兵士たちと一緒に、海底へと続く船へ足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
潜航艇の内部は、思ったよりも広かった。
中央には球形の大きな魔導炉、その周囲をぐるりと通路が囲み、両舷には丸い窓――魔法強化ガラスの観測窓がいくつも並んでいる。
「わぁ……」
ジージーは思わず窓に顔を寄せた。
潜航が始まって間もなく、水面がゆらりと窓をなめていき、外の光が青緑に変わっていく。
港の喧騒はもう聞こえない。
代わりに、船体を叩く水圧の低い振動と、魔導炉の一定のうなりだけが、身体の芯に伝わってきた。
「耳が変な感じしません?」
ミナが、こめかみに指を当てる。
「圧だね」
セルグレンが頷いた。
「潜るほどに、水の重さで音の通り方が変わる。……静かに聞こえるけど、実際には“音で満ちている”状態だ」
「ほう、聖盾士殿はよくご存じだ」
操舵席からローデンの声が飛んでくる。
「ラドーンの周辺には、“音を喰う”連中がうろついていましてね。
そいつらに気付かれないよう、潜航中は極力――静かに、しかし絶えず“同じ拍”で動く必要がある」
「同じ拍?」
「足並みです、勇者殿」
ローデンは振り向きもせずに続ける。
「不規則な音は、海底の獣を呼ぶ。一定の拍で続く音は、“地形の一部”だと勘違いしてくれるんですよ」
「……ステップワークみたいなもんか」
ジージーは無意識に、靴裏で床を二度とんとんと叩き、間を置いて同じリズムでもう二度鳴らした。
前世、ジムで叩き込まれたフットワーク。相手の視線を惑わせるための一定のステップ。
「ジージー?」
「ううん、なんでも。……リズムなら、得意だから」
ジージーは小さく笑い、床の“拍”に自分の呼吸を合わせた。
控えめな足音が、潜航艇の腹の中で規則正しくつながっていく。
兵士たちもそれにならい、鎧の擦れる音を最小限に抑えながら、同じリズムで重心を揺らす。
リゲロの影すら、床に沿って“拍”に合わせて揺れているように見えた。
「……そうそう、そういう感じです」
ローデンが満足そうに頷く。
「この拍を維持できるなら、“奴ら”もそう簡単には寄ってこない」
「“奴ら”って?」
「見れば分かりますよ。――っと、ちょうど」
言い終わるか終わらないかのうちに、外の景色が変わった。
青緑の闇に、なにか白い筋が走る。
最初は海流かと思ったが、それはあまりにも“規則正しすぎる”動きだった。
「なに、あれ……」
ミナが、窓に手を当てる。
白い筋は、無数の細い紐の束のようなものだった。
ひとつひとつが痩せた魚のような形をして、口の代わりに丸い“穴”を開けている。
その穴から、周囲の水を吸い込んでは吐き出し、わずかな振動すら吸い尽くそうと蠢いている。
「サウンド・リーカーだ」
セルグレンが低く呟いた。
「音喰いの群れ」
「ええ、その通り」
ローデンが頷く。
「こいつらは、“静けさに飢えた”海の穴です。
強い音には近寄りますが、こうして一定の拍で“背景”になってしまえば……」
潜航艇の周囲を、音喰いの群れがゆっくりと流れていく。
窓に触れた瞬間、ぴたりと動きを止め――すぐにすべるように離れた。
ジージーは思わず息を止める。
隣で、リゲロがさりげなく彼女の肩を軽く小突いた。
「呼吸、止めるな」
「……うん」
ゆっくりと息を吐けば、胸の中の拍が、また潜航艇の拍と重なっていく。
音喰いの群れが遠ざかると、外の暗闇の中に、別の光が見え始めた。
最初は、海底の火山活動だと思った。
しかし、それは明らかに“人工の光”だった。
水平線――いや、海底の稜線に沿って、アーチ状に灯りが並んでいる。
それは、近づくほどに、規則正しいパターンを持っていると分かった。
「……あれが」
「核都ラドーンですよ」
ローデンが誇らしげに言う。
「海底山脈の背骨に組んだ石柱の上に、何重にも環を重ねて作られた“音の都”。
あの光の下に、鍛冶と祈りと静けさが、ひしめいております」
潜航艇が大きく旋回し、石造りの巨大な円環――ラドーンの外縁部が視界いっぱいに広がった。
高くそびえる石の門。
表面には、波と炎と鎖を模した紋様が彫り込まれ、その隙間から、かすかに光が漏れている。
不思議なことに、その光景には、“海の重さ”をまったく感じない。
まるで、夜のスタジアムの照明を、遠くの丘から見ているかのような――そんな錯覚さえ覚える。
「すご……」
ジージーの口から、自然と声が漏れた。
その声すら、潜航艇の魔法に吸われて、外には届かない。
「入門前に、もう一度だけ確認を」
ローデンが一同に向き直る。
「ラドーンでは、声と音は“祈り”と見なされます。
無駄に叫ぶ者は、祈りを散らす愚か者として嫌われる。
それと、核都の“共鳴炉”には、決して勝手に近づかないこと。あれは街全体の“心臓”だ」
「勇者の杖も、その共鳴炉の近くにあるの?」
ジージーが訊ねる。
「さて、それは――噂の域を出ませんな」
ローデンは肩をすくめた。
「勇者の武具は、ラドーンのどこかに封じられている、という話。
それが共鳴炉の間なのか、柱の基部なのか、あるいはまったく別の場所なのか……。
“選ばれし者”が触れたときにだけ、姿を変えるとか変えないとか」
「ふふ、あやしい伝承ほど、だいたい本物ですよ」
ミナが楽しそうに笑う。
「ねぇ、ジージー。杖が“選ぶ”なんて、本当にあると思う?」
「……あるかもね」
ジージーは自分の右手を見た。
――今は、ただの冒険者用の杖が握られている。
けれど、前世で何度も握ったグローブや、ジムのサンドバッグの感触を、身体は覚えている。
(もし“勇者の杖”ってやつが、本当にあって。
あたしなんかを選ぶことがあるなら――)
その先を考えかけたところで、潜航艇がわずかに揺れた。
「衝撃に備えて」
ローデンが声を張る。
「ラドーン外縁、第一接舷リング。――着底」
魔導炉のうなりが低くなり、船体が何か硬いものに触れる感覚が、足元から伝わってきた。
静寂。
耳がおかしくなったわけではない。
ただ、港町の喧騒も、海のざわめきも、音喰いの微かな蠢きも――何もかもが、急に遠くなった。
潜航艇の外に、“別の静けさ”がある。
「……これが、“静かに怒る都”」
セルグレンが、ぽつりと呟いた。
「ようこそ、核都ラドーンへ」
ローデンが扉のハンドルを握る。
魔法の封印が解ける音が、やけに大きく聞こえた。
扉が開き、冷たい石の空気と、かすかな金属と香の匂いが流れ込んでくる。
「行こう」
ジージーは杖を握り直した。
怖さは、まだそこにある。
けれど、その横に、わくわくが並んでいる。
転職を終えた仲間たちと、名付けを待つ眷属たちと――どこかに眠るという“勇者の杖”。
海底の静かな都、その石の心臓へ。
ジージーたちは、一歩、また一歩と、ラドーンの門をくぐった。
――勇者と、杖と、怒る都の物語が、ここから始まる。




