山背に息を合わせて
――雲梯渓。
山背の骨が空へ露わとなる地。
風は、今日も忙しなく走っていた。
東から西へ。西から南へ。
山を越え、海を越え、雲を越え――
声を運ぶ。
その声を読み、
風を糧とし、
風を“言葉”に編んで生きる民がいた。
「……風が騒いでいる」
峡上の外縁。
張り巡らされた細い橋の途中、
老人が耳飾りを揺らしながら呟いた。
彼らは 風に耳を澄ます民族。
空語と呼ばれる“息と拍”の言語を操る。
その彼の耳に、確かに聞こえたのだ。
“異なる骨の音”が。
「また来るのですか?」
若い女が風鈴を抑えながら、
険しい峠の先を見た。
「この前の鎖の一味かもしれぬ。
白い鎖と、焼けた雷を操る者たちじゃ。
山脈の骨を折りに来た者だ」
老人の声は震えていた。
しかし、それは恐怖ではない。
――期待だ。
「違う音だよ」
風の向こうから、
少年が駆けてきた。額に風車の飾りを揺らしながら。
「もっと柔らかい。折らない音だ。
撓ませて、戻す音」
「……?」
老婆が目を細めた。
「まるで……
昔の “勇者” が使った礼に似ておる」
風鈴が一斉に鳴った。
それは警告にも聞こえ、
歓迎にも聞こえた。
「異国の者らしい」
「ならば、試さねばなるまい。
この風の道を、正しく歩けるかどうかを」
老人が杖を掲げると、
谷底から風が巻き上がり、
吊り橋が低く唸った。
「――来るぞ」
雲の切れ間の向こう。
木と石の鳥居の影が揺れ、
小さな影が、ゆっくりと近づいてくる。
短杖を携えた少年。
盾を抱える男。
二本の刃を帯びた男。
そして、影を引きずらない少女――
「四人。そしてもう一つ…
目には映らぬが、骨を震わせる者がいる」
風は囁いた。
『あの子ら、止めるために来るよ』
老人は目を閉じ、
風が答えを運んでくるのを待ちながら微笑んだ。
「ならば――
誠の風を通す者 かもしれぬな」
――明けた空は薄金色。
岩肌に残る夜露が、ひと粒ずつ光を跳ね返していた。
砂と岩の狭間――
雲梯渓の入口。
「ここからは、道と呼べねぇかもしれんぞ」
案内役のシワジは、布を巻いた頭巾を少し下げた。
崖の縁に沿った細い道は、片側が切り立った岩。
もう片側は、まるで海の底まで落ちていきそうな深い谷。
「落ちるなよ。落ちたら……風が笑うだけだ」
冗談めかすが、その笑みは冗談ではない。
ジージーは唾を一度だけ飲む。
風が、髪を引っ張るように吹き抜けた。
――明けた空は薄金色。
岩肌に残る夜露が、ひと粒ずつ光を跳ね返していた。
砂と岩の狭間――
雲梯渓の入口。
「ここからは、道と呼べねぇかもしれんぞ」
案内役のシワジは、布を巻いた頭巾を少し下げた。
崖の縁に沿った細い道は、片側が切り立った岩。
もう片側は、まるで海の底まで落ちていきそうな深い谷。
「落ちるなよ。落ちたら……風が笑うだけだ」
冗談めかすが、その笑みは冗談ではない。
ジージーは唾を一度だけ飲む。
風が、髪を引っ張るように吹き抜けた。
⸻
「ここには、どんな魔物が出る?」
リゲロが声を潜める。
シワジは上を指差した。
「崖翼種だ。
影のように飛び、岩のように沈む。
風を食らってから襲いかかる」
「……それ、見えなくなる系?」
セルグレンが眉をひそめる。
「陽が斜めに差した時はな」
そのときだった。
――ギ、ギャァ!
乾いた岩を削るような鳴き声。
暗褐色の影が、上から砂を撒き散らして落ちてきた。
「上ッ!」
セルグレンが盾を上げる。
刃のような翼――
岩鷲の肩に“影羽”のような膜。
そして頭には、風を渦巻かせる突起。
混ざっている――
岩・影・風の三種の性質。
(これが、崖翼種……!)
⸻
「無闇に倒すな。こいつらは――」
シワジの警告は、風にちぎられた。
崖翼が一羽、ジージーへ急降下。
背中の翼が砂粒を撒き散らし、視界を奪う。
(風の――下!)
ジージーは短杖を地に差し込むように構える。
「止めるッ!」
突撃を受けずにいなす。
翼が半拍ズレ――岩面を削って滑っていく。
その瞬間、もう一羽が横から襲いかかる。
風の渦が肩をかすめ、皮膚が冷える。
「二連突き――ッ!」
リゲロが短剣を滑らせ、翼膜だけを裂いた。
血は出ない。膜がバサ、と捲れるだけ。
ジージーが息を合わせる。
「セル、右側!」
「任せろ!」
盾の縁――角落とし。
崖翼の進路を“撓ませ”、落とさずに流す。
「ミナ!」
「……もう、呼んでる」
霧のような冷気が集まり――
足元に三体の影が立ち上がる。
骸骨の兵士――
ミナが「仲間を呼ぶLv2」になって以降、
スケルトンも召喚できるようになっていた。
しかしミナは息を漏らす。
「……見られてる。上から」
ジージーたちが上空を見る。
峨々とした岩壁の頂――
風の流れを読むように立つ、灰外套の影。
(誰か――いる?
崖翼種の“飼い主”か?)
一拍、影と目が合った気がした。
影は風を纏い、すっと姿を消す。
まるで風そのものに吸い込まれたようだった。
⸻
崖翼種は、攻撃をやめた。
裂けた翼膜を振りながら、
ジージーたちの周囲を円を描くように旋回する。
「……引く気か」
セルグレンが小声で唸る。
「いや」
ジージーは短杖を握ったまま、
風を肌で感じ取る。
(“試された”)
崖翼たちは、深い谷へと消えた。
⸻
静寂。
風だけが、崖を鳴らす。
「お前ら……なにした?」
シワジは呆れたように笑った。
「この渓を仕切ってる“風の民”に、
お前らは――気に入られたのかもな」
ジージーたちは顔を見合わせる。
「風の……民?」
ミナが小さく囁く。
「ええ。谷底や崖上に住む、
人か、魔か、風か……よく分からん連中だ。
ただ、風に逆らった者は、みんな落ちてる」
シワジが指で崖下を示す。
深い霧。
吸い込まれそうな白い闇。
「覚えておけ。
ここでは“倒す”より――」
シワジはジージーの短杖を見た。
「“撓ませる”方が、風の機嫌がいい」
ジージーは胸の奥がざわついた。
(俺の戦い方そのものじゃないか)
それは、褒め言葉なのか警告なのか。
分からない。
⸻
日が傾き、影が岩を伸ばす頃。
「今日はここで野営だ」
岩陰にテントを張る。
火を焚き、
ミナが索敵の薄幕を展開し、
セルは盾を横に置いて腰を下ろす。
リゲロは指先に残る血の匂いを嗅いだ。
「……血が、ほとんど出なかった」
「岩なのか、獣なのか……」
ジージーが呟いた。
「風の民が、ああやって混ぜたんだろ」
シワジは焚き火越しに肩を竦めた。
「山と風に生かされてる。
どっち付かずの魔物さ」
火が弾け、赤い火の粉が空へ舞う。
谷風がすぐにさらっていく。
夜は深まる。
風は止まらない。
その風が、誰かの声を運んだ。
――撓ませよ。
――折るな。
ジージーは寝袋の中で、息を止めた。
(……今の、風か?)
ミナが、気配なく近づいた。
「ジージー。
あの影の人……まだ見てる」
「敵かも?」
「……分からない。でもね」
ミナは微笑む。
「“倒さなかった”から
まだ話せる余地はある」
ジージーは小さく頷いた。
(倒さない戦いが――
本当に、救いになる日が来るのかな)
胸の奥の不安と、僅かな誇りが
風の中で、ゆっくりと撓んだ。
⸻
次回予告
次:雲梯渓の鎖橋地帯
•崖翼より危険な“落とす罠”
•ジージーの戦術が環境との会話になる回
•ミナ、夜に“風の民”の言葉を聞き取る
•シワジ、過去をほのめかす




