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Staff Hero ― 支える勇者 ―  作者: 和泉發仙


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呪われた姫と、砂漠王の願い



【前書き】


前回、ジージーたちが滞在する砂漠王国アフナの都で、

ミナが夜の路地で見つけた瀕死のネズミ獣人。


彼が残した言葉は――


「ひ、姫を……助け……て……」


今回はその続き。

正体不明の“悪霊に憑かれた姫”ファーティマ、

そして砂漠王の口から語られる“黒き魔女”と“ピラミッドの鏡”の伝承。


砂の都に、ジージーたちの“次の目的地”が示される回です。


では本編へ。



◆1 ネズミ獣人の少年


 薄暗い客間に、油ランプの光が揺れていた。


「……はぁ、はぁ……」


 粗末な寝台の上で、ネズミ獣人の少年が荒い息を吐く。

 灰色の毛並みは汗で濡れ、肩から腹にかけて包帯がぐるぐる巻かれている。


「さっきより熱は引いてきてる。」


 ジージーは、濡れ布巾で少年の額を拭きながら言った。


 セルグレンが壁にもたれ、腕を組む。


「出血は止まった。傷も《小回復》が効いた。あとは体力次第だな。」


「それにしても――」


 リゲロが、窓の外の闇を見やる。


「“悪霊の爪跡”なんて聞いたの、久しぶりだぜ。あれ、完全に魔物の攻撃じゃねえ。」


 少年の身体には、刃物でも獣の牙でもない、

 何かに“掴まれてえぐられた”ような、黒ずんだ傷跡が残っていた。


(ミナがいなかったら、間に合わなかったな……)


 そう思っていると、そのミナがふわりと少年の傍らに浮かんだ。


「……起きるよ。」


「え?」


「魂の“揺れ”が戻ってきてる。もうすぐ目を覚ます。」


 ミナが言った瞬間――


 少年の指が、びくりと震えた。


「……う、うう……」


「無理に起こさなくていい。意識が戻ったら、まず水だ。」


 セルグレンが短く指示する。


 やがて、ぼんやりした瞳がゆっくりと開いて――

 眼前のジージーと目が合った。


「……ここは……?」


「宿屋の二階。あんた、路地で倒れてたんだよ。」


 リゲロが椅子をこちらへ引き寄せ、腰を下ろす。


「お前さん、名前は?」


 少年はしばらく考えてから、かすれた声で答えた。


「……ラシード。アフナ王宮の、……従者……です。」


 サハルが、入口の柱にもたれて腕を組んでいた。

 砂色のターバンを巻いた、いつもの胡散臭い笑顔の商人だ。


「あっしの客人に手を出すたぁ、とんでもねえ連中でさぁ。

 なぁ、坊主。さっきの“姫を助けて”ってのは……」


 ラシードの瞳が、揺れた。


 そして震える唇から、言葉がこぼれる。


「ファーティマ様が……

 “悪霊”に、取り憑かれてしまったんです……!」



◆2 ファーティマ姫の異変


 湯気の立つ薄いスープをすこし口にしてから、

 ラシードは断片的に、しかし必死に語った。


「最初は……お優しかった頃のままでした。

 でもある夜、謁見の場に、黒衣の女が現れて――」


「黒衣?」


 リゲロが眉をひそめる。


「顔は、ヴェールで隠していました。

 ただ、声だけは……耳に刺さるような、冷たい声で。」


 ラシードは自分の腕を抱きしめる。


『あなたの国も、やがて “北” と “魔” に呑まれる。

 その時、誰が盾になるか――よく知っておきなさい、陛下。』


「そう言って……姫様の肩に、黒い指輪を押し当てたんです。

 陛下が護衛を呼ぶより早く、女は煙みたいに消えて……」


 そこから数日の変化は、悪夢のようだったという。


 ◆ ファーティマの瞳が時折、真っ黒に染まる。

 ◆ 夜中に立ち上がり、知らない言葉で何かを呟きながら歩く。

 ◆ 突然、側にいた侍女の首を絞めかけた。

 ◆ 祈祷師が祓おうとすると、その男の胸を“言葉ひとつ”で止めた。


「姫様の中に、知らない“何か”がいるんです……!」


 ミナが、膝の上で指を組んで聞いていた。

 彼女の霊体が、一瞬だけ震えた。


「……私も、さっき感じた。

 あの路地でラシードを襲った“悪意”と、同じ匂い。」


「姫さんから漏れてきた“影”が、城下にまで伸びてるってことか。」


 リゲロが低く言う。


「陛下は……姫様を傷つけたくない。

 でも、このままだと城中の人が……だから、

 高い塔の一番上の部屋に閉じ込めて……鎖と呪符で封じて……」


 ラシードは、悔しそうに歯を噛んだ。


「姫様は、泣いておられました。

 “私のせいで、皆が傷つく”って……

 だから、僕は……」


「助けを求めに?」


 ジージーが、そっと続きを促す。


「はい。

 街の祈祷師でも、砂漠の賢者でもなく……

 “外の世界から来た、腕の立つ冒険者”なら――

 何か違うことが、できるかもしれないって……!」


 その言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなる。


(外から来た冒険者――か)


 まさに、自分たちのことだ。


 セルグレンが、静かに口を開いた。


「陛下は、お前がここへ来ていることを?」


「……知りません。

 勝手に抜け出しました。

 このままだと、姫様は……

 “呪いの武器”に、されてしまうから。」


「武器?」


「はい。

 “黒い魔女”が最後に言ったんです。

 『いざという時、この姫を“引き金”としてお使いなさい――』って。」


 ジージーの背筋に、冷たいものが走った。


(人を、よろいでも剣でもなく、“引き金”って呼ぶのかよ)


 ミナが、ジージーの肩のあたりで小さく震える。


「……イヤな感じ。

 あの“黒い女”の背後に、もっと大きな闇がいた気がする。」


「魔王軍か、“北”か、その両方か。」


 リゲロの声が低くなる。



◆3 夜の城へ


「行こう。」


 ジージーは、はっきりと言った。


「え?」


「姫さんに会う。

 “中にいるもの”を、ちゃんと見ないと何もできない。」


「……おいおい、簡単に言うなよ。」


 リゲロが頭を掻く。


「宮殿だぞ? 衛兵も魔術師も山ほどいる。

 下手打ちゃ、牢屋行きだ。」


 サハルが、そこで手を挙げた。


「そいつぁ、あっしに任せちゃくれませんかい。」


「サハル?」


「あっし、こう見えてアフナの台所事情にはちと詳しくてですね。

 物資搬入口、夜の見回りの抜け、厨房の裏口……

 それに、王宮の中にも何人か“顔なじみ”の下働きがおりまして。」


 ニヤリ、と意味ありげに笑う。


「あっしの商売は、“物”だけじゃござんせん。

 “道”も扱ってるんでさ。」


「悪い意味で聞こえるけど、今は頼りになる。」


 セルグレンが短く言った。


「ただし――」


 セルグレンは、ジージーをまっすぐ見た。


「姫御前に近づく時、お前が“最前線”に立つことになる。

 相手は人だが、中身は人じゃないかもしれん。

 それでも――やるか?」


 ジージーは一瞬だけ目を伏せ、そして顔を上げた。


「……倒さない。

 止めるだけなら、やれるよ。」


 その言葉に、ミナが小さく頷いた。


「私は、ジージーの“止める力”を見てきた。

 信じてる。」


「決まりだな。」


 リゲロが腰の短剣を確かめる。


「んじゃ、さっさと行こうぜ。“呪いの塔”見物だ。」



 深夜、砂漠の都アフナ。


 月が、白いドーム屋根と尖塔を銀色に染めている。

 城壁の中、ひときわ高い塔の上だけが、

 どす黒い煙のような気配を纏っていた。


「……あそこ。」


 ミナが呟く。


「あの塔の最上階。

 “怒り”と“悲しみ”が、ぐるぐる絡まってる。」


 サハルが小声で指さした。


「あっしらが通れるのは、こっからですぜ。

 夜間は物資の搬入口は閉まってますが……

 警備の目が一番薄くなる“水路”の上に、

 ちょうど古い配膳用の抜け道がありやして。」


「やっぱり悪い意味で道商人だわ。」


 リゲロがぼそっと言いながらも、その後ろに続く。


 石畳の影を縫い、衛兵の松明の灯りをやり過ごし、

 一行は、ひっそりと宮殿の内側へ忍び込んだ。



◆4 呪われた姫


 塔の最上階へ続く階段は、異様なまでに静かだった。


 途中までは衛兵がいたが、ある段を境に、誰の姿も消える。


「ここから上は、“閉ざされた階”ってことね。」


 ミナが囁く。


 階段を登りきると、

 一枚だけ、重く分厚い扉が廊下の突き当たりを塞いでいた。


 表面には無数の護符と鎖。

 その隙間から、冷たい風のようなものが漏れ出している。


「ラシード。」


 セルグレンが、小さな声で少年を見る。


「中の様子は?」


「……いつも、呻き声が聞こえます。

 でも、今は静かすぎる。」


 ジージーは、短杖を握り直した。


「ミナ、中を覗ける?」


「うん。少しだけ。」


 ミナは半透明の身体をふわりと扉に近づける。

 じわり、と黒い靄が表面から滲み出て、彼女の額を撫でた。


「っ……!」


「ミナ!」


「だいじょうぶ……。

 ――中にいる。

 ベッドの上で、縛られてる。

 でも、目は……起きてる。」


 彼女は顔をしかめた。


「“あれ”は、人の目じゃない。

 でも、その奥底に、ちゃんと女の子がいる。」


「了解。」


 ジージーは、深く息を吸った。


「セルグレンさん、鎖って外せる?」


「扉のを一部だけだ。全部解くのはまずい。

 だが、“俺たちが通れる隙間だけ”なら……」


 セルグレンは慎重に護符を外し、

 鎖を解きすぎないよう注意しながら、扉を少しだけ押し開けた。


 きしり、と重い音。


 中は、想像以上に暗かった。


 部屋の中央、天蓋付きの寝台。

 そこに――


「……ぁ……」


 細い身体が縛られている。


 褐色の肌。

 砂漠の王族らしい金の飾り紐が、荒々しく外されて散らばっている。

 黒髪は乱れ、頬は痩せていた。


 ただ――その瞳だけが。


 闇そのものを流し込んだかのような、真っ黒。


「あ……」


 ジージーは、息を呑んだ。


(まだ、同い年くらい……?)


 ファーティマ姫は、最初はじっと天井を見つめていた。


 だが、ジージーが一歩、足を踏み入れた瞬間――

 ぎぎぎ、と不自然な角度で首がこちらを向く。


「――みィィィィつけた。」


 喉から出た声は、少女のものではなかった。


 低く、濁った、多重の声。


「外の……匂いだ……

 ここの連中と違う、“異邦”の味がする……」


 ジージーの背中に、冷たい汗が伝う。


 セルグレンが、一歩前に出ようとした、その時。


 ファーティマの身体が、

 縛られた手足ごとベッドから跳ね起きた。


「っ!!」


 バチン! と鎖が鳴る。

 布団が宙に舞い、黒い霧が部屋中に弾け飛んだ。


「来る!」


 ミナが叫ぶ。


 次の瞬間――

 黒い“腕”のような影が、二本、三本、床から伸び上がり、

 セルグレンとリゲロを同時に薙ぎ払った。


「ぐっ……!」


「うおっ!」


 二人が床を転がる。


 ラシードが悲鳴を上げかけたのを、サハルが背後から抑え込んだ。


「坊主、声を出すな!」


 黒い霧の中で、ファーティマ姫の身体は操り人形のように反り返っている。


「オマエ……

 “止める”ことしか知らない、愚かな手……」


 その暗い瞳が、ジージーを射抜いた。


「折レろ。

 ネジ切れろ。

 ぜんぶ、“殺し方”を教えてやる……!」


 黒い霧が、槍のようにジージーへ向かって伸びる。


「ジージー!!」


 ミナの叫びと同時に、

 ジージーは一歩、前へ踏み込んだ。


 逃げるのではなく。


 間合いの中へ、潜り込むように。



◆5 柔術の締め落とし


(――怖い。

 でも、“この子の身体”は敵じゃない。)


 オーストラリアで習った柔術の先生の声が、

 遠い記憶の底から蘇る。


『怖かったら、一歩近づけ。

 遠くに置くから、余計に怖くなるんだ。』


「……ごめん。」


 ジージーは小さく呟き、

 伸びてくる影槍を、すれすれで横に受け流した。


 黒い霧が、頬を掠めてヒリつく。

 その痛みごと飲み込んで――


「っはっ!」


 低く、床すれすれに身体を沈める。

 短杖を片手に、ファーティマの懐へ滑り込む。


 少女の腕が、あり得ない角度で伸び、爪が弾丸のように飛んでくる。

 ジージーはそれを、杖で“叩き落とす”ように弾いた。


(ここだ!)


 体重を前足から後ろ足へ、

 呼吸を一拍――


 ファーティマ姫の腰へ、肩を差し入れるように回り込む。


「――せいっ!」


 柔術式の崩し。

 相手の重心を一瞬だけ宙に浮かせ、

 床に背中から叩きつけるような投げ。


 ドンッ!


 床が震え、姫の身体が仰向けになる。

 そのままジージーは、彼女の背後へ回り込み――


 腕を首に回した。


 裸締め。

 ただし、殺すためではない。

 意識だけを、落とすための締め。


「苦しくしない。

 ちゃんと、“途中で止める”から。」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 黒い霧が、ジージーの腕にまとわりつく。

 脳裏に、知らない怒号と悲鳴と炎の映像が流れ込んでくる。


「――ッ!」


「ジージー!!」


 ミナが近づこうとして、霧に阻まれる。


 ジージーは歯を食いしばり、呼吸を整えた。


(一拍、二拍、三拍……

 ここで落ちる。ここを越えたら、危ない。)


「……ねんねの時間だよ。」


 ぐい、と最後の一息を込める。


 ファーティマ姫の身体が、びくりと跳ね――

 黒い瞳から、すっと光が抜けた。


 同時に、黒い霧が一瞬だけ、姫の身体から離れて部屋の天井付近へと逃れかける。


「今!」


 ミナが、霧と姫の間に飛び込むように位置取りし、両手を広げた。


「――離しなさい!!」


 幽霊と悪霊がぶつかり合う、見えない衝撃。

 黒い霧は、ギギギ、と音を立てて、再び姫の身体へ押し戻された。


「ったく、しつこい。」


 ミナが、額の汗を拭うような仕草をする。


 ファーティマ姫は、ぐったりとジージーの腕の中で気を失っていた。


「……!」


 その時、部屋の外から、複数の足音が一斉に駆け上がってくる音が聞こえた。


「封印が揺れたぞ!」「塔の上だ!」


「やば。」


 リゲロが短く呟く。


「ジージー、離れろ。説明の暇がねぇ。」


「わかってる……!」


 ジージーはそっと締めを緩め、

 ファーティマ姫の頭を枕へ戻した。


 扉が、荒々しく開かれる。



◆6 砂漠王の願い


 黄金の縁取りのマントを羽織った男が、

 護衛の騎士たちを従えて飛び込んできた。


 髭を蓄えた精悍な顔。

 その瞳に、深い疲れと焦燥が刻まれている。


「ファーティマ――!」


 彼の背後から、老いた宰相と白服の神官が続く。


 衛兵たちが一斉に剣を構え、

 ジージーたちへ鋭い視線を向けた。


「何者だ貴様ら! 姫に何を――」


「待て。」


 王が手を挙げた。


 部屋の空気が、一瞬で静まる。


 王は、寝台に横たわるファーティマ姫へ歩み寄り、

 彼女の頬にそっと触れた。


「……寝息が、穏やかだ。」


 神官が慌てて姫の額に手をかざし、

 祈りの言葉を呟く。


「邪悪の波が……薄くなっております。

 これは……いったい……」


「説明する。」


 セルグレンが一歩前に出ようとして――

 宰相に睨まれた。


「無礼者! まずは陛下に跪き――」


「構わぬ。」


 王――砂漠王国アフナの王、サイードは、

 ジージーたち三人を順に見た。


「お前たちが、封印を揺るがせた者たちか?」


「封印を壊しに来たんじゃありません。」


 ジージーが、まっすぐ言った。


「姫さんを、“止めに”来ました。」


 王の眉が、僅かに動く。


 セルグレンが、簡潔に状況を説明した。

 ラシードが倒れていたこと。

 “姫を助けて”という言葉。

 そして、部屋に入ってからの一連の攻防。


「……わざと姫の息を奪おうとしたのではない。

 悪霊の暴走を抑えるために、一時的に意識を落としただけです。」


「“殺さぬ締め”だ。」


 リゲロが言葉を足す。


「俺たちの国でいう、“柔術”ってやつの応用。

 こいつ(ジージー)は、人を殺す訓練じゃなくて、

 人を止める訓練を、してきた。」


 サイード王はしばし沈黙し、

 やがて、ふっと肩の力を抜いた。


「……ラシード。」


 扉の隙間から不安げに覗いていたネズミ獣人の少年が、びくっとする。


「は、はい、陛下……!」


「お前が連れてきた者たちか?」


「……はい。

 勝手に……城を抜け出してしまい……申し訳ありません……!」


「構わぬ。」


 王はゆっくりと首を振った。


「お前の判断は、正しい方向に転がったようだ。」


 宰相が驚いて口を開く。


「陛下……!」


「見ろ。ファーティマの顔を。」


 王の言葉に、皆が姫を見つめる。


 さっきまで引き攣っていた表情が、

 今は、穏やかな子どもの寝顔に戻っていた。


「こんな顔で眠ったのは、いつ以来だろうな。」


 サイードは、かすかに笑った。


「外の冒険者たちよ。

 我が娘に、ひとときの安息をくれたこと、感謝する。」


 王が、ジージーたちに向き直る。


「だが……」


 その声には、深い苦悩が滲んでいた。


「これは一時しのぎに過ぎぬ。

 “黒き魔女”の呪いは、姫の魂に食い込んでおる。

 このままでは、いずれ完全に乗っ取られ、

 城も、国も、血で染める“引き金”になるだろう。」


 ミナが、そっと口を開いた。


「“黒き魔女”……やっぱり、あの女。」


「知っているのか?」


「顔は見てない。でも、気配だけは。

 姫の中にいる“影”は、どこか遠くの、

 もっと大きな闇に“糸”でつながれてる。」


 王の目が細くなる。


「その闇はどこだ?」


「……まだ、そこまでは。」


 ミナがかぶりを振ったその時――

 部屋の隅で黙っていたサハルが、遠慮がちに手を挙げた。



◆7 砂海のピラミッドと“鏡”の噂


「お言葉ですが、陛下。」


 サハルは、いつもの軽口を、少しだけ慎んだ声音に変えた。


「あっしはただの商人でしてね。

 学者でも宗教家でも、ましてや英雄でもござんせんが――

 砂漠を渡る連中の“噂話”なら、いくつか耳にしておりまして。」


「申してみよ。」


「へい。」


 サハルはターバンを少し直し、

 窓の外に広がる砂漠の闇へ目をやった。


「アフナの西――砂海を越えた先に、

 “骨の山”に抱かれたピラミッドがあるって話で。」


「骨の山……?」


 リゲロが、小さく呟く。


「正式な名は、たしか――

 雲梯渓うんていけいの奥、

 “葬王の段々きざはし”とか呼ばれてましたかねぇ。


 そのピラミッドには、

 生前は大魔導士、死してなお“王”を名乗るリッチが棲んでいて、

 包帯ぐるぐる巻きの三十体のミイラを従えている、と。」


 ミナが、ぴくっと反応した。


「……三十の、死んだ兵隊。」


「おおかた、脚色された怪談でしょうがね。」

 サハルは肩をすくめる。


「ただ、その奥の“宝物庫”には――

 悪霊を“切り離す鏡”が眠っている。

 そんな話を、昔、隊商護衛の連中から聞いたことがありやして。」


「悪霊を……切り離す?」


 ジージーが、思わず身を乗り出す。


「ええ。

 鏡の前に人を立たせると、

 “その身体から、影だけを引き剥がす”って代物だとかなんとか。

 真偽のほどは、砂の数ほど怪しいですけど。」


 王の瞳が、揺れた。


「……もし、それが本当なら。」


「姫さんの中にいる“それ”だけ、

 鏡に映して追い出せるかもしれない。」


 リゲロが言葉を継ぐ。


「リッチとかミイラ三十体とか、

 ろくでもないおまけ付きだけどな。」


「おまけってレベルじゃねぇ。」


 セルグレンが小さくため息をついた。


「陛下。」


 ジージーは、一歩前へ進んだ。


「それ、試してみたいです。」


 サイード王は、じっとジージーを見つめる。


「外の冒険者よ。

 この国の者でもない、お前たちが――

 なぜ、そこまで?」


「……ラシードが、泣きそうな顔で頼んだから。」


 ジージーは、正直に答えた。


「“姫様が、大切だから”って。

 あたしも、大切な人が“武器”にされるのは、耐えられないから。」


 ミナが、そっと微笑む。


「私は……似てるから、かな。

 “ここにいるのに、ここにいない”感覚。」


 サイード王の肩から、わずかに力が抜けた。


「宰相。」


「はっ。」


「そのピラミッドの位置、古文書に何か残っておったな?」


「確か……砂海地帯の古地図に、痕跡が……」


「調べよ。」


「かしこまりました。」


 宰相が慌ただしく部屋を出て行く。


 王は、再びファーティマ姫の寝顔を見下ろした。


「私は、王である前に、この子の父だ。

 だからこそ……娘を“兵器”にするような真似は、決してしたくない。」


 それから、ジージーたちへ向き直り、深く頭を垂れた。


「どうか――

 砂漠の葬王の墓より、その“鏡”を持ち帰ってほしい。

 報酬は望むだけ与えよう。

 だが、私は金ではなく、ただ娘の笑顔が見たい。」


「頭を上げてください、陛下。」


 ジージーは慌てて言った。


「報酬の相談は、リゲロさんがあとでガッツリすると思うので。」


「おい。」


「冗談です。」


 そう言いつつも、リゲロは「まぁ否定はしねぇが」と小声で言った。


 セルグレンが、真面目な口調で頷く。


「依頼、承りました。

 姫御前を必ず救えるとは約束できませんが――

 やれることはすべてやる。」


「ありがとう。」


 サイード王の声は、かすかに掠れていた。



◆8 小さな手と、小さな決意


 部屋を出る間際、

 ジージーは、もう一度だけファーティマ姫の側に寄った。


(……締め落として、ごめん。)


 心の中で呟いた、その時。


 寝ているはずの姫の指が、

 ふるり、と動いて、ジージーの袖を掴んだ。


「……た、す……け……て……」


 かすかな声。

 それは、さっきの濁った声ではなく、

 年相応の少女の、震える声だった。


「……うん。」


 ジージーは、袖の上からその手に触れた。


「絶対、助ける。」


 ミナが、横で静かに目を閉じる。


「証人いるからね。」


「やば。約束破れないやつだ。」


 ジージーたちは、塔を後にした。



 宮殿を出ると、砂漠の夜風が頬を撫でた。


 空には、星があり得ないくらいの数で瞬いている。


「……行き先、決まっちゃったね。」


 リゲロが、頭の後ろで手を組む。


「葬王のピラミッド、リッチ、ミイラ三十体、悪霊を切る鏡。

 なんか、盛りすぎじゃね?」


「盛り合わせ定食って感じだな。」


 セルグレンが、少しだけ口元を緩める。


「だが、目的は一つだ。

 姫を救うこと。

 それ以外は、全部おまけだと考えろ。」


「おまけに殺されないようにしなきゃ。」


 ジージーは、短杖を握り直した。


 ミナが、星空を見上げながらぽつりと言う。


「……あのピラミッドの中にいるリッチ、

 きっと“黒い魔女”の部下なんだろうね。」


「だろうな。」


 セルグレンが頷く。


「つまり、あの魔女の“手”の一つを、

 ここで折れるかもしれん。」


「折るのは、あっちの“手”だけだよ。」


 ジージーは笑った。


「人は、なるべく折らない。

 ……それがあたしの“わがまま”だから。」


 星の海の下、砂漠の都アフナに、

 新しい依頼の風が吹き始めていた。


 葬王のピラミッド。

 リッチと三十のミイラ。

 そして“悪霊を切る鏡”。


 そこへ向かう道が、今、はっきりと見えたのだ。


ファーティマ姫初登場&締め落とし回でした。

•ジージーの「非致死だけどガチの柔術」

•ミナ vs 悪霊の短い押し合い

•砂漠王サイードの“父としての顔”

•サハルの口から出る「ピラミッド/リッチ/ミイラ三十体/悪霊を切る鏡」の伝承


で、次への道筋が固まりました。


次回からはいよいよ――

砂海越え → 雲梯渓 → 葬王のピラミッド突入編、ですね。

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