5 マルティンがいた頃
これでおしまい。
イゾルテに精神感応で呼ばれた。
(珍しいな)
日頃、魔力も魔法もあまり使わない彼女が──マルティンはそう思いながら、指定された部屋へ出向いた。
急ぎの用事らしいが、緊急で危機がある訳じゃないらしい。
今日は華燭の典に着る最後の衣装合わせの日。
元々出向くつもりだったけど、出向くにはまだ早い。そんな時間。
「入るよ、開けても良い?」
気安さで普段は断りも入れずに入っていたが、この前イゾルテに「スケベ」扱いされてから、そこは断りを入れて。
「入って」
浮かれた調子のイゾルテの言葉が返ってきた。
開けると、針子と膝を付いているイゾルテが見えた。
その前にいる幼子の姿も。
上気して自分を見上げるイゾルテに対して、こちらはとんと表情が無い。
竜の鱗のように黒光りする黒い髪。
紅い瞳。
幼子はどこか、エキゾチックな風貌で端整な顔立ちだ。
「……」
マルティンは言葉無く、暫く幼子を見つめた。
「ドレイク……?」
幼子はこくりと頷いた。
「模倣でも成りすましでもないでしょ? 凄いわ、この子」
興奮冷めない様子でイゾルテは
「ドレイクの式のお洋服作らなきゃ。間に合うかしら」
と針子とキャイキャイ騒ぎながら、デザインを決めている。
式が近付くにつれ、どこか沈んだ様子だったイゾルテが復活してくれたのは喜ばしいが──と、マルティンはドレイクを横目で見る。
ドレイクもマルティンを見つめていた。じっと──穴が空くかと思うほどに。
「何だよ、裸族」
思わずドレイクに悪態をつく。
「魔法、これで教えてくれるにゃ?」
「約束だからな……。言っとくが厳しいぞ。言葉遣いも直してもらうからな」
「うん」
「『うん』じゃない。『はい』だ、阿呆」
「はい」
よし!──と、満足そうに頷くと、マルティンはドレイクを抱き上げた。
「取り合えず、良くできた! 偉いぞ、ドレイク! 」
マルティンが破顔し、自分を上に抱き上げる。
ドレイクも彼につられ、顔を綻ばせていた。
**
式の祝いは七日続くらしい。
その間、ドレイクは放置。
──と言うわけにいかないので、イゾルテはお世話をしてくれる人を頼んでいた。
「エレノイアと言うの。よろしくね、ドレイク」
緑がかった金髪が、穏やかな波のようにうねる。
翠の澄んだ瞳は、深い翠色と光を受けた萌葉色のどちらにも変わる。
光から抜けて出てきた精霊みたいだ──ドレイクはイゾルテに負けず劣らずの人目のつく、エレノイアの姿を食い入るように見つめた。
──本当に精霊かもしれない──
そう思ったのだ。
エレノイアは、そんなドレイクに
「あら、分かった? 私の正体」
とコロコロと笑った。
合わせたイゾルテがドレイクに
「エレノイアも竜なのよ」
と告げ、ドレイクはますます見つめる。
式の間、よろしくお願いします──イゾルテはエレノイアに頭を下げると、お付きの者達に急かされながら部屋を出ていった。
式は昼からだが、支度に時間が掛かるからだ。
「私達は、もう少し後でも充分だから、何か食べる? 夕方まで何も食べれないと思うから」
ドレイクに尋ねるも、瞬きも少なく、じっと自分を見ている幼子にエレノイアはまたコロコロと笑った。
「竜? 竜にゃの? 本当?」
全然分からない、そうキョドるドレイクの目線の高さに、エレノイアはしゃがむ。
「人前で言っては駄目よ? 分かるわね? ここでの話は秘密」
人指し指を立て、ウィンクするエレノイアにドレイクは頷いて見せた。
「エレにょイアは何竜にゃの?」
「緑竜よ。──ふふふ、まだ、上手に発音出来ないのね。人型になってまだ日が浅いのかしら?」
「三日目」
「成り立てホヤホヤなのね。通りで竜の気が漏れてるわけだわ」
「漏れてる? わかんにゃい」
自分の身体の匂いを嗅ぐように、鼻をならすドレイクに
「人のつくりとか仕組みとかを勉強していけば、大丈夫。それに、式に出る人達は分かっても酷いことしないから」
と、励ました。
ご飯食べようか?──ドレイクと手を繋ぎ、テーブルに移動する。
「君は黒竜なのね。将来はイゾルテ様の騎士になるの?」
「わかんにゃい」
そう答えた。
今の段階でドレイクは、誰の騎士になるつもりはない。
成竜になったら主人を定めなければ命は流れていく──それは血が教えてくれた。
でも、只人を見返す力がついて報復する目標がある限り、主の命に逆らってはいけない生き方は邪魔な気がするのだ。
こんな窮屈な世の中、長生きしたくない。
強くなって殺せるだけ殺して、竜の恐ろしさを知らしめて死ぬのも良いかなとも思う。
「じゃあ、大きくなったら私の騎士にならない?」
「考えとく」
おませな言い方に、エレノイアはまたコロコロと笑った。
**
マルティンとイゾルテが壇上に設置された椅子に座り、来訪者達に言葉をかけている。
これから七日間、こうして祝いに駆けつけてくれた来訪者と顔を会わせ、飲み、食べ、躍り、歌う。
ドレイクは、仕立てられた服に締め付けられているような窮屈さを感じながら、壇上の二人を見上げた。
青銀の髪と白い肌に、まるで溶けるように仕立てられた婚姻衣装は、開け放たれた窓から差し込む光で輝きを増していた。
マルティンもいつもは流してある髪を上げ、真ん中に大きな青い玉の填まった飾りを額に付けている。
襟高のローブには石が模様を成して嵌め込まれており、それが光を受けて反射しているのだ。
イゾルテは腰まである長い髪を高く結い上げ、様々な飾りを付けている。
ローブとドレスが一つになった銀色の衣装は、マルティンと同じく嵌め込まれた石が模様を作り上げている。
二人とも眩しい──ドレイクは目を細め、その姿を見ていた。
「綺麗ね」
エレノイアが同意を求めるように呟いた。
ドレイクには『綺麗』と言う表現を人に使ったことが無い。
月に輝く湖畔とか、朝の滴を身に受けている草花とか。多彩な色使いの蝶とか。
「人が綺麗というにょは、眩しいってことにゃにょ?」
「そう言う使い方をする人もいるけど、『綺麗』って様々なのよ」
「難しい……」
「これから経験していけば良いのよ」
エレノイアは唸るドレイクの頭を撫でながら言った。
「人の形を取っている竜達も来てるから、ご挨拶が済んだら行きましょうね」
エレノイアの言葉に、ドレイクの紅い瞳が瞬いた。
「何処?」
エレノイアが指差す方向に、背が高い集団がいる。
皆、人目を引く容姿だった。
美しいとか綺麗とか、そう言う自立語を使う容姿ではないが、とにかく何処か周囲と卓越しているのだ。
向こうもこちらに気付いた竜がいて、懐かしむように手を振ってきた。
手を振って返すエレノイアは
「今、手を振っているのは白竜よ」
とドレイクに告げた。
あんなにも沢山いるんだ──ドレイクは驚いて、目を見開いたままだった。
「私は人の形を取ることをマルティン様に勧められた口だけど、こうして暮らしてみて良かったと思ってるの」
「どうして良かったにょ?」
口から素直に出た疑問だった。
「竜だけじゃなくて人の事も分かるからよ。人も色々。気持ちも性格も生き方も。竜より気持ちは複雑かも知れないわね」
「それが良かったこと?」
いまいち納得出来ない様子のドレイクにエレノイアは、優しい眼差しで微笑む。
「後で他の竜達にも聞いてみたら? 沢山のお話が聞けるわ」
「うん──あ、はい」
「可愛いわね、ドレイクは」
コロコロと笑うエレノイアの声は嫌いじゃない。むしろ好きだとドレイクは感じていた。
「さあ、マルティン様とイゾルテ様にご挨拶の順番が近いわ」
差し出された白い手をドレイクは握る。
「マルティン様は心身削って、本当に色々な種族の事に奔走されてるの。──彼の事はどの種族も信頼してる。イゾルテ様も内助の功としてこれからご活躍されるでしょう。二人がいる限り、大きな役災はきっと回避されてよ」
「予見?」
緑竜は『予見』『先見』の能力が高いと、ドレイクは知っていた。
「確信よ」
エレノイアは言った。
「でも、つまらないわね。自分の先は分からないのよ」
「ふーん」
先が見えると面白いのかどうかは、ドレイクには分からない。
──だけど
先が見えるなら、竜が本来の姿で自由に飛び回れる世界が見えたら良いなと思った。
**
「ドレイク様、今よろしいですか?」
自室の扉を叩く音にドレイクは目を覚ました。
声からフレンだと分かっていたので、下を隠す肌着で問題は無い。
「どうしました?」
扉を開け、フレンを出迎える。
「『水』の称号をお持ちのコンラート様が今、魔導術統率協会にお着きなのですけど……問題が……その、イゾルテ様がドレイク様も呼んでくるようにと……」
非常に歯切りの悪いフレンの言い方に、ドレイクは首をかしげた。
「直ぐに出向きますと伝えて下さい」
一度扉を閉めて、急いで魔防コーティングされたアンダーウェアを着て、衿付きのシャツにややピッタリしたズボンを履いた。
幼い頃に違和感があって、すぐに脱いでしまった服も今ではもう慣れた。
『お前は竜族じゃなくて裸族だな』
とマルティンにからかわれたのを思い出す。
言葉遣いも叩かれ、随分修正された結果、誰にでも慇懃な言葉を使うようになった。
辛辣な内容な事が多いが。
昔のことを思い出すのは、マルティンに会った最初の頃の夢を見たからだろうか?
──それとも?
長い時を生きてきて、実に色んな事があった。
世界に出来た亀裂。
魔導術統率協会の設立。
マルティンの死。
自分が騎士竜としてイゾルテを主として決めた事。
巨大魔方陣による魔力の増幅と収集。
そして
──幾度と繰り返される、マルティンの形代への──
いつ
いつ終わるのか
世界の亀裂は修復されるのか
この長く続く業に、いつしか自分の生きる目的は掻き混ざり、変化を遂げた。
生きていくうちに変わっていくものだとドレイクは気付き、また、変化をするのだろうと思っていた。
好転するか
暗転するか
世界の動きで自分も、新しい目的に生きるのか。
後退して、原初の目的を果たすために生きるのか。
それはドレイクにも分からなかった。
それを握っているのは──。
謁見の間に着いたドレイクの目に映ったのは
コンラートからイゾルテの腕の中に移る
銀青の柔らかそうな髪
色白の肌につぶらな瞳は──ブルーグレイ。
人見知りしない男の赤子は──
(マルティ……ン……様?)
それを握っているのは──
貴方の中の
眠る意識の──
↑
15 魔導術統率協会からの派遣者(4)の後半のエマとルーカスの回想内容に続く。
ここまでお付き合い下さりありがとうございました。
ここで一旦切って、続きはイルマギア2として掲載しています。
そちらもお付き合いくだされば幸いです。