婚約破棄
「ど、どういうことなの?」
少し騒がしさが鳴りを潜めたタイミングだったため、彼女の声は会場によく響いた。周囲は何事かと静まり返り、二人は注目の的になっていた。
「ミリア、声が大きいよ。周りがびっくりしているじゃないか」
「ご、ごめんなさい……。で、でもフェリックが変なこと言うから」
ミリアは自分の聞き間違いだとばかりに、彼に真意を尋ねる。
「別に変なことなんて言ってないよ。言葉そのままの意味だ。君とは婚約者の関係だったけど、それも今日までということだ」
「え……」
聞き間違いであってほしかったのだろうが、彼女にとって残酷な事実が突きつけられた。
「ど、どうして? ……私、何かまずいことでもした? い、言ってくれれば直すから」
「いや、そういうことじゃない」
「じゃあ、どうして?」
彼は婚約者を見つめていたが、その視線は人を見るようなものではなかった。
「……まぁいい。君にもわかるように説明してあげるよ。この度僕は、彼女――エリザ王女と婚約をすることになったんだ」
周りの視線はエリーゼへと向けられる。それに対し、エリーゼは外向きの笑顔で周囲へと愛嬌をばらまく。
周囲の人々は賞賛の声を上げたり、驚いた表情をしていたりと様々だ。その中には、来賓として来ているフェリックの父、グラスター公爵の姿もあった。父親からしても初耳のことなので、驚くのも当然のことだろう。
「わ、私のことを愛しているって言ってくれてたよね。フェリックは私のことを嫌いになったの?」
彼女はすがるような気持ちで聞く。自分への愛はあるはずだ。だからまだ何とかなる、と。
対してフェリックは内心しつこいとでも思っているのだろうが、それを表に出すこともなくなるべく角が立たないよう彼女に答えた。
「君のことは今でも愛しているよ。ただ、エリザさんは王女という身分でもあり、家格としても君の家よりも高い。グラスター家の今後を考えると、彼女と付き合いをした方が利益になるんだ。だから、僕としても心苦しいけどこればかりはしょうがない。貴族間での婚約は利益を考えてのもの。悪いけど、諦めてもらうしかない」
「う、嘘だよね……。フェリックは、私のことを、愛してくれているもの。私を、からかっているだけ……」
彼の愛を確かめようと、彼女はフェリックへと触れようと手を伸ばした。しかし、触れようかというところで彼は一歩引き、その手は空を切る。彼に拒絶されたという事実がのしかかり、彼女はその場に崩れ落ちてしまう。
「うぅっ……」
「お嬢様!」
静かに嗚咽を漏らす彼女のもとへ、今まで遠くで静観していた使用人のクルトが駆けつける。彼は座り込んで涙を流す彼女に近づき、優しく包むように抱きしめた。
それをくだらなそうに見た後、フェリックは続ける。
「さて、今の通りエリザさんと僕は婚約することになりました」
彼はエリザ王女を手に入れるため話を進めていく。
「さしあたっては、彼女の国と連絡を取る必要があり――」
自分の欲望のため、理想のために。
「そのため、父には少し協力を――」
王女を手に入れ、自由自在に操ることを楽しみにしているのだろう。
「まずは――」
だが、それは叶わない。
「この人です!」
フェリックの声を遮るようにして、一人の女生徒が会場に響き渡るような大きな声を出した。声の主の周りには数人の女生徒が集まっていて、「そうです」とか「彼です!」とか口々に言葉を発していた。
「な、何だ君たちは? 僕の言葉を遮って」
いきなり声を上げた女生徒たちへフェリックは視線を向ける。彼女たちと何かあったかと記憶を探っていたようだが、思い至らなかったのか表情に疑問を浮かべていた。
「私たちをお忘れですか?」
「一体何を言っているんだ? 君たちとは今会ったばかりで……」
彼はそう言っていたが、彼女たちの顔をじっくりと見ていると次第に思い出してきたのか、表情をだんだん青ざめさせていった。
「思い出されたようですね」
「な、なんのことだか……」
彼は何とか誤魔化せないかと考えるが、
「私たちは彼の元婚約者です。彼と婚約し将来を誓い合ったものの、不要になったからと婚約を破棄され捨てられた被害者」
彼の所業を周知すべく、大声で周りに詳らかにする。
「彼は私たちと婚約した後は、彼に向ける感情を利用して奴隷のように命令したり、ストレスのはけ口として暴行を加えてきたりしました。それを毎日繰り返し私たちが心身ボロボロになると、すぐに婚約を破棄して別の女性と婚約をしています」
女性から告げられるあまりの事実に、周囲は騒然となる。そして同時に、そのようなことがあれば噂になるはずなのに何故知られていないのか。そんな疑問が浮かび上がってくる。もちろん、彼女たちが黙っているはずもない。
「このことが広まっていないのは、グラスター公爵が脅してきたからです。誰かに話せばお前らの家を潰す……と」
フェリック一人に向けられていた視線が、今度はグラスター公爵の方へと向けられる。彼は悔しそうに歯ぎしりをしていた。
「そ、そもそも、なぜ君たちがここにいるんだ。この学園とは関係ないだろう。……まさか、ミリアが?」
ミリアの方へ振り向くと、使用人に支えられてこの場を去ろうとしていた。それを見て、彼は彼女が実行犯だと思ったのだろう。
「……君が僕を陥れるために彼女たちを呼んだんだな」
言葉は静かだったが、表情に怒りを隠しきれていない。彼女に嵌められたと思った彼は、荒々しく彼女の方へと近づいていく。彼女が無視し続ける様子も相まって、彼の怒りは頂点に達していた。
「よくもこの僕を!」
怒りのまま背後から彼女を殴ろうと手を振りかぶり、勢いよく振り下ろす。加減もされていない男による暴力だ。喰らえばただでは済まない。傷が残ることも覚悟しなければならないだろう。
しかし、それを彼が許すはずもない。
「っ!」
怒りのままフェリックは目を見開く。彼女に届くかと思われた拳は、傍にいた使用人によって受け止められたからだ。
「使用人風情が邪魔をするな!」
再び殴りかかろうとするが、クルトによって受け流される。その勢いに流され、フェリックは地へ這いつくばる形になった。
「私にとって大事なお嬢様なのです。婚約者の時は男女間の問題と言われ手も出しづらかったですが、あなたと関係がなくなったのなら遠慮なく守らせてもらいます」
ミリアを背にして守るように立つクルト。彼女は自分を守ろうとする彼の背を見て、何を思っているのだろうか。
幼い頃から一緒にいて、当たり前のように考えていた彼の存在。自分を大切に思う人が身近にいることを知ってどうするかは彼女次第だろう。
「そもそも、ミリアお嬢様はそんなことしません」
「なに? じゃあ誰が……」
この場に元婚約者たちがいるのは誰かが手引きしたからのはず。なのに、ミリア以外に思い当たる人物もいなくて彼は疑問に思っていた。
「私です」
彼に絶望を叩きつける。
「な……エリザ王女……。なぜあなたが……」
彼は驚愕の表情でこちらを見ていた。これから婚約をしようとしていた相手が、まさか自分を嵌めようとしていたと思わなかったからだろう。
「彼女たちから話をする機会がありまして……。どうやらこの場であなたに言いたいことがあるとのことでしたので、この場へとお連れしました」
そうは言っても彼の疑問は尽きないだろう。王女がわざわざそんな事するメリットなんてないのだから。しかし、理由までは話すつもりはない。そのため、彼は一生疑問に思ったままだろう。
「一体、いつ頃?」
「あなたに王都の案内を頼んだ頃ですね」
「そんな頃から……」
自分の計画通りに進んでいると思っていたら、まさか王女の思惑通りに進んでいた。
「ふ、ふふ……」
騙しているつもりが騙されていた。その事実を突きつけられ、フェリックは笑うしかなかった。
周りが慌ただしくなる。彼の周りに衛兵が集まってきたからだ。
「彼は複数の女性に暴行を加えた可能性があるため、詳しく事情を聞く必要がある。連れていけ」
この場を収めるため、王子であるアレクが取り仕切る。
「それと、グラスター公爵。あなたにも話を聞かせてもらう。あぁ、彼女たちに仕返しとかは考えない方がいい。王家が責任を持って庇護するからな」
王家が関わってくるとなればどうしようもない。悔しそうに顔を歪めているが、何も言わず大人しく従った。
「ははっ……。婚約者に騙され、騙されないようにするためにも相手を騙していたのに、結局また女に騙されるのか……。やはり女は信用できないな……」
彼はこの状況を前にして諦めたのか、そんなことを呟いていた。周りは何のことかわかるわけもない。しかし、エリーゼは何かが引っかかった。
彼は衛兵に連れられて会場を後にする。その際エリーゼの近くを通りかかったため、答えるかわからないが先程のことを尋ねてみた。
「婚約者に騙されたとは誰のことでしょうか?」
「エリザ王女……。あなたですか」
「あなたの話しぶりでは、私のことを言っているようには思えませんでしたので」
フェリックは少し考えていたが、少しして口を開く。
「まぁいいですよ、今更ですし。私に昔婚約者がいて、相手から婚約を解消したいと言われたと話しましたよね」
「えぇ」
「正確には違いまして、婚約の解消を言われたのではなく、勝手に婚約が解消されたのです」
どういうことだろうか。自然と婚約が解消される状況が思いつかず、エリーゼは不思議そうな顔をしていた。
「彼女の両親が捕まったのですよ。我が家から金を盗んだってことでね。しかも実行したのは僕の婚約者である彼女……。彼女は最初からお金を盗むために、僕を騙して婚約したのですよ」
エリーゼは王女としての表情が崩れるのも気づかず、目を大きく見開いた。
「それに気づかず、僕はまんまと騙されて――」
「その女はどこ!?」
先程までの穏やかな表情とは裏腹に、今にも人を殺しそうな剣幕でフェリックに近づいた。
初めて見るエリーゼの姿に、彼は無意識のうちに一歩引いていた。
「し、知らない。お金は彼女がほとんど持っていったから、僕たちも探したけど見つからなかったんだ」
彼は慌てて弁明する。
「…………そう」
子供の頃の話とはいえ、どこか既視感を覚える手口。無関係とは考えられない。恐らく自分を嵌めた奴、あるいはその関係者。足取りを知ることができればと思ったが、残念ながら行方を知ることはできなかった。
何か手がかりを得れると思ったんだけど……。
そもそも自分の国まで来ていたのだ。子供の頃いた場所を知ったところでどうしようもない。少し落ち着いたエリーゼは、冷静になって考えた。
「……相手の名前は? 婚約者だったんだから知っているんでしょう?」
「あ……あぁ。それぐらいなら」
自分だって名前を変えているのだ。聞いたところで無意味だとわかっている。わかっているが、少しでも情報が欲しかった。
「彼女の名は――」
彼との立ち話が終わり、衛兵は彼を連れて行った。グラスター親子を欠いた状態でパーティは続いている。依頼は終わったので、もはやエリーゼがこの場にいる必要はない。
エリーゼは一人、会場の外を歩いていた。頭の中では、先程彼から聞いた名前を反芻している。自分の憎しみを忘れず、留めておくように……。
「その名前は覚えた……。二度と忘れないよ、『メアリ』……」
明日も上げる予定です




