第26話 ドラゴンさん白の災厄と相対す
ネクターを抱えて、まずは人型で街の上空まで飛び、それから胸元の竜珠を意識した。
一瞬の高揚感の後、私は黒い鱗に赤い皮膜の翼をしたドラゴンへ戻っていた。
ばさりと、羽ばたけば、杖でいったん避難していたネクターが、すぐに私の背に降りてきた。
「ネクター、覚悟は良い?」
「ええ、あなたとならどこへでも」
ネクターが私の鱗をなでて、しがみついたのをかすかに感じた私は、一気に周辺魔力を掌握した。
すごく扱いづらいのは、魔物達がレイラインに干渉しているだけじゃないと思う。
あの白い霧が現れたせいだ。
ぞわりぞわりといやな感じが続く。
一刻も早くここからあれを取り除きたい焦りが頭をもたげる。
落ち着け、こんなところで魔法を暴発させたら、私は大丈夫でも背中のネクターは無事じゃすまない。
それに、眼下の街も壊してしまう。
ああもう早くもカイル達の言うとおりになってるなあ!
内心で苦笑しつつ、眼下で魔力のはじける気配がして視線をやれば、リグリラと仙次郎が、おびただしい数の魔物を相手にしていた。
リグリラは人型のままだったけど、すでに髪はほどけていた。
魔物に魔術は効くから、触手に変化した髪それぞれで、複数の術式を展開し、がんがん魔術を使っている。
一つ一つが即死の魔術が飛ぶ中を仙次郎が走り、数いる中でもひときわ大きい、たぶん一級クラスの魔物を単独で相手取っていた。
槍が魔力の光を帯びているのは東和の魔術だろう。
一振りするだけで光が弧を描き、ほぼ一突きで魔物の核を壊していく。
その連携は信頼しあった関係に見えてすごいなあと思った。
カイルの方はハンターギルドのハンターたちと接触しているみたいだ。
リグリラや仙次郎から離れた場所に誘導してくれている。
あっちは大丈夫だ。きっと。だから私は私の仕事をしよう。
一つ息をついて、世界の事象へ干渉する。
魔法に呪文はいらない。
使いやすいパターンというモノはあるが、引き寄せるべき事象と、起こすべき法を思い描ければいい。
そのイメージを明確にするために、私は声に出した。
『我求メルハ守護ノ盾。我望ムハ不破ノ境界』
紡いだ言葉は、慣れた古代魔術式の呪文に近く、だけどおとずれるのは世界に干渉して生まれた新たな現象だ。
掌握した魔力が渦巻き、あっと言う間に山の周囲に集まると、山全体をつつむ強固な障壁を構築した。
とたん、霧が障壁に当たると、障壁が悲鳴のようなきしみをあげるが、それ以上霧が広がることはなかった。
でも、あんまり持たなさそうだな。
急がねばと、同じような障壁を自分を包むように張った。
イメージしたとおり、ネクターがいるあたりは厚めに設定されている。
「行くよ」
「誘導します」
一つ翼を羽ばたいた私は、障壁へ突っ込んだ。
同質の障壁は私たちを通し、またすぐに閉じる。
中に入った私は白い霧がどんな影響を及ぼしているのか目の当たりにすることになった。
すでに山全体を覆い尽くしかけている白い霧は、目に見えるほとんどの植物を文字通り消滅させていた。
むき出しになった大地も、霧がふれるたびにその質量を減らしている。
それだけじゃない、この一体の世界の理を浸食していたのだ。
レイラインがめちゃくちゃどころじゃない、この白い霧は世界として成り立つ骨格みたいな物をぼろぼろにしているのだ。
レイラインがちぎれ飛び、あふれ出す魔力が白い靄にふれてそれこそ霧のように散っていく。
これは、まずい!
私は今把握しているだけのレイラインを強制的に閉じた。
応急処置だけどないよりはましだ。
同じものを観ているネクターがかすれた声でいう。
「まさか、これほどのものだとは思いませんでした……」
「はやく何とかしなきゃ、ネクターどうだい? わかりそう?」
「だいぶ地形は変わっていますが、あのあたりです」
ネクターの緑風のような魔力が前方へ走ったかと思うと、導のように行く先にともる。
それはちょうど、白の霧が一番濃いところだ。
それを頼りに、私は白い霧の中へ潜航した。
霧へふれた瞬間、私は体がこわばるのを感じた。
包む結界が軋むのにも一瞬ひやりとしたが、結界の魔法は定義された通り、私と白い霧を隔ててくれていた。
何時までもいるわけにはいかないだろうが、今だけは大丈夫だ。
それよりもきついのは、霧のうちに包まれたと同時に、浸食されている大地や植物や世界の悲鳴が頭に響いてくることだった。
動植物はもちろん精霊たちも巻き込まれているらしく、その戸惑いや混乱、断末魔が一気になだれ込んできて意識が引きずられかける。
《ラーワ、大丈夫ですか》
《なん、とか》
ネクターに思念話で呼びかけられて、今に引き戻された。
案じるような声音には、ネクターが死ぬほど心配しているのがよくわかる。
《何が聞こえていましたか》
《白い霧に飲み込まれた植物や、生き物たちの断末魔が意識に流れてきて………ネクターは大丈夫かい?》
《不快な耳鳴りのようなものがずっと。恐らくラーワが要の竜であるからこそ、そのようにはっきりと聞こえるのかもしれません》
《かもしれないけど、でもなんで……っ!?》
言いかけた時、私はぐんっと方向転換を強いられた。
前方から複数飛んできた何かをよける。
交錯したとき、それが何か知った。
《魔物!?》
そいつらは私達がよく駆除する魔物のように見えたけど、その姿は全て白く、体を覆っているはずのよどんだ魔力も、白い霧で構成されていた。
今更気づいたけど、そろそろ山の斜面に当たってもいいはずなのに、大地の気配が微塵もない。
はっと周囲を見れば、霧に紛れて迷宮の一部らしい瓦礫や切り崩された山が浮かんでいた。
物理法則完全無視なこの感じは、覚えがある。
《異空間につながっているのですかっ》
《みたいだ。しかもちょっと世界の枠組みがほどけて混ざってる》
《なっ》
ネクターが驚くのも無理はなかった。というか、私が一番信じられない。
世界は、例えるなら、織物のようなものにくるまれて内側と外側を隔てられることで成り立っている。
その網目の一つだけだが、白い霧は浸食しているのだ。
幸か不幸か異空間にもつながっているおかげで、広がりは最小限に抑えられているが、修復しなければ、ほころびはほどけていくばかりだ。
もちろんそんなに簡単に穴が開くなんてことはないし、ドラゴンでさえ枠組みに干渉するなんてことはめったなことではやらない。
ほんとなんだこの白い霧……って。
《またくるっ!》
言いつつ、私は四方から現れる霧の魔物の攻撃を、軌道を変えることで避けた。
それを皮切りに、見たことがある幻獣だったり、混ざり合った奇妙な物だったり、迷宮に出てくるゴーレムだったものまで現れて攻撃してくる。
ああもううっとうしい!
私は大きく息を吸って、灼熱のブレスをはき散らした。
どうやらブレスは効くようで、浴びた白い魔物はぱっと幻のように散っていく。
ブレスの通り道になった霧も同じように晴れて、一瞬、何かが見えた。
《あれですっ。あの通路には覚えがありますっ》
《私が言うのも何だけど、ずいぶんめちゃくちゃになってるな!》
壊れた建材に囲まれて見えたのは、壁面におびただしい魔法陣が刻まれた空間だった。
ドールハウスでよくあるような、壁や屋根の一部を透明にして俯瞰しているように見えるその部屋は、霧の中にぽつんと存在していた。
どうやら強固な結界に守られているらしい。
だが、その部屋はすぐに霧で見えなくなって、おびただしい数の白い魔物が襲いかかってきた。
本来の魔物たちにあるはずの、殺気や敵意を感じないのが逆にやりにくい。
もう一度ブレスを吐いたけど蹴散らすだけで、決定打にはならなかった。
それ以上の迎撃しようにも、結界を維持しながらだとままならない。
結界は白い霧にふれたそばから浸食されているから、魔法を使い続けなければいけないのだ。
この空間にも魔力はあるがとても希薄だ。
恐ろしいことに、世界の枠組み自体があいまいになっているせいで、この世界そのものに干渉して効力を発揮する魔法でさえひどく使いづらい。
この魔物は白い霧で構成されているから、速度で振り切るか、いっそのこと結界で体当たりするしかないかと思った時、背中からネクターの魔力の高まりを感じた。
『芽吹き至るは 黙する終焉』
ネクターの清冽な魔力が広がった直後、白の魔物たちがまるで枯れ葉のように萎れて消滅した。
精霊樹の精霊としての魔法を使ったネクターはふうと息をついた。
《確かに、魔法なら通用するようですね》
《っ……》
こんな不安定な場所で、魔法なんか使うのはかなりの負担だ。
でもそれは私を助けるためで、魔物を気にしなくて良い分ずいぶん楽になっているのも事実だ。
何より一緒に考えて一緒に解決しようと言ったネクターに、やめてくれというのは違う。
だから、
《ネクター無理はしないでくれよ!》
《大丈夫です、背後は任せてください》
そう言い交わして、私は今は見えないけどあの部屋にたどり着くことだけに集中した。
再び、目の前に現れる白い群れにむけて、私はブレスを放つ。
そうしてできた空間を飛ぶが、背後から白い魔物がおいすがっているのを感じる。
『枯れて果つるが 万象の定め』
でも、すぐさまネクターが再び魔法で薙払った。
だから私はまっすぐ前を見て、見えた魔法陣の部屋へ向かって宙を飛ぶ。
接近する間にかけられている結界の構造を分析し、自身にかけている結界の構造をいじる。
普通、結界同士はぶつかると反発して弱いほうが消滅してしまう。
防御を意図しているんだから当然だ。
でも同質、同強度の結界なら、反発せずに同化させることができる。
だから複数の魔術師で質と強度を合わせて、大きな結界を作り出す技術もあるくらいなんだけど。
つまり、同じ構造の結界をまとえば、対白い霧用の結界でやったみたいに、結界を壊さずに通り抜けることもできるのだ。
でもあれは自分で作った結界だから、質と強度を合わせるのは簡単だった。
今は初見の、しかも他人の張った結界を短時間で把握して合わせなきゃいけない。
しかもチャンスは一回こっきりだ。
間に合うか、いや、間に合わせる!
《ネクター伏せて!》
ネクターがその通りにしたのを感じた直後、私はその結界に飛び込んだ。
若干拒絶の魔力光が散ったけど、結界は私たちをすんなりと通してくれた。
結界をすり抜けると同時に私は人型に変化する。
ドラゴンじゃ部屋ごとつぶしてしまうからね。せっかくうまく入れても部屋を壊してしまったら意味がない。
堅い床を想像していたんだけど、きたのは柔らかな衝撃で、見ればネクターを下敷きにしていた。
私一体どうやってそんなアクロバットしたんだ!?
「うわっごめん! 痛くなかったかい?」
「大丈夫ですよ。あなたが床に打ち付けられなくて良かった」
つまり私が人型になった瞬きの間に体の位置を入れ替えたってことかい!?
くう、いつも嫁っぽいくせに、こんな時には私を女の子扱いしてくるのは反則な気がするぞ。
ネクターがきりっと言うのに、赤らむ顔を隠しつつ、いそいそと上から降りた。
こ、こんなことしている場合じゃないからね。
そうしてネクターと共に、部屋全体に刻まれた魔法陣と術式を眺めた。
「やはり魔法のようですね。これは異空間へつなげるためのものでしょうか」
「そうみたいだ。でも一部が破損している。この混じり合った異空間も、刻まれた魔法式の誤作動で暴走しているせいみたいだね」
「確かに。異空間を維持するための魔法式が劣化して、定義付けがあいまいになっていますね」
ぐるりと見渡して読みとった私が言えば、ネクターもいくつか見える魔法式の磨耗に気づいたようだ。
「やはりこの魔法式は霧を封じるための物でしたか。ですが、何千年前かはわかりませんが、魔法式自体が限界を迎えていたのかもしれません」
「うん、よく今まで誤作動を起こさなかったよ」
魔法式はとても強固なものだけど、こうして現世の物質に刻めばやはり耐用年数は限られる。
部屋一面の魔法式の状態は、いつエラーを起こしてもおかしくない物だった。
たぶん白い霧の浸食度に対抗するためにレイラインから直接魔力を供給して、恒久的に封印を形作っていたのだろうけど、
気の遠くなるような時間の中で少しずつたまっていったダメージが今になって吹き出したのだろう。
むしろ、魔法式とはいえ、よくここまで持ったって感じだ。
それだけこの術式を汲み上げた術者が優秀だったってことなんだけど。
どうして――……いや、これを考えるのは後だ。
私は今にも沈黙してしまいそうな魔法式にふれた。
「ネクター、この魔法式を元に封印を再構成してみるよ。だけど、これだけの量の魔法式を扱うとほかがおろそかになる。そのあいだ、この結界が弱くなると思うんだ」
つまりそれは、結界の向こうで渦巻く白の霧が入り込んでくるということで。
だけどネクターの答えは簡潔だった。
「こちらはお気になさらず。ラーワはラーワの仕事をしてください」
ネクターのまっすぐな薄青の瞳に勇気をもらった私は、一気に魔法式へ自分の魔力を流し込んだ。
魔力の燐光があふれ出した。
とたんになだれ込んでくる魔法式の情報量に頭痛のような圧迫感を感じつつ、誤作動や磨耗している術式を再び書きなぞり、あるいは手を加えて書き込んでいく。
もうこの術式はぼろぼろだ、力加減を間違えたらすぐに停止するだろう。
なるべく速やかに、それでも緻密に正確に。
空間が震えるのを感じて、結界がゆるみ明滅する。
後ろでネクターが魔法をふるうのを感じて振り返りたくなったが、寸前でこらえて、一刻も早く魔法陣を復旧させることだけに力を注ぐ。
間延びした時間の中、頭と魔力を振り絞って。
精査し、再構成した魔法式が立ち上がった。
「できたよ、ネクター!」
虚空に浮かぶ結界の空間いっぱいの球形魔法式に、ふりかえったネクターがぱっと目を輝かせた。
「おお、素敵です! 術式ごと白い霧を異空間へ閉じこめるのですね」
「その通り! 発動するよ、傍にいてっ」
現世にあった術式を時間の停滞する異空間に置くことで、ほぼ恒久的に白い霧を閉じ込められるようにしてみたのだ。
だが、ぶっつけ本番一回こっきりだ。
頼むからうまくいってくれよ!
「そおりゃああ!」
私は気合いの掛け声を上げながら、両手に掲げた球形魔法式を霧の中へ投げ込んだ。