第27話 ドラゴンさんは唯一を選ぶ
球形魔法式は私の手を放れたとたん、虚無の異空間につながり、強烈な勢いで周辺の霧を吸い込み始めた。
それを確認する間もなくドラゴンに戻った私は、ネクターが背に乗ったとたん飛び立った。
球形の魔法陣は、ブラックホールのように、浮かんでいた迷宮の残骸も一緒くたにして白い霧を飲み込んでいく。
いや、これ以上広げちゃいけないと思って、強めに設定しといたんだけど、い、引力強いな!?
自分で冷や冷やしつつも、引力に負けないように強く翼を羽ばたき上昇を続ける。
だけど、上昇していく私をとすれ違うように、白い霧がどんどん下方へ集まっていくのに少しほっとして。
《ラーワ、前!》
ネクターの焦った思念に首を戻した瞬間、私は大量のがれきに強打された。
魔法は“すべてを”と指定すれば、魔力次第で空気はおろか、物理法則、果ては時の流れまで断絶させてしまう。
だから、魔術よりも厳密に、綿密に、起こす事象を選び作り出さなきゃいけない。
そう思って、私は白い霧だけを排除対象に選んだが、それが裏目に出た。
「……っ!」
高速飛行の上で、魔法式の引力に引っ張られて勢いがついた岩や鉄のような建材を大量に食らうのは、さすがの私でも全身に衝撃が走った。
かろうじて対白い霧用の魔法式は乱さなかったが、ただでさえ不安定だった飛行体勢が崩れる。
背中に乗っていた軽い、でも何よりも大事な物が落ちるのを感じた。
反射的に首を巡らせれば、虚空にネクターの体が投げ出されていた。
ネクターは杖に魔力を込めて浮こうとするけど、すで魔法式の引力に捕らわれて、あっという間に私との距離が広がる。
結界の外は未だに白い霧の海だ。
しかも、この結界は、物質を通してしまう。
強引に急停止して反転して、めいっぱいネクターに首を伸ばしたが届かない。
魔法式を編み直そうにも間に合わない。
こんなところでネクターを失う?
「いや、いやだ、ネクター!!」
「だめですラーワっ!!」
瞬きの間。
私を起点としている魔法結界を、すべてネクターへ移動させた。
更に動かせるだけ、ありったけの魔力を結界の維持につぎ込む。
何とか自力で飛行を始めたネクターの姿が見えてどっと安堵の息が漏れるけど、視界が白い濃霧で埋め尽くされた。
結界をネクターへ移動させた私は、代わりに白い濃霧のまっただ中にいた。
やってから、結界をわければ良かったんじゃと気づいたけど、そんな器用な事は今の私にできないからどっちみち一緒だ。
濃霧は、思ったよりも粘着性の、ぬめっとはりつくような感じだった。
ひたすら気持ち悪い感触に、嫌悪で勝手に体が震える。
絶対に体内に入れたくなくて、呼吸は止めていた。
しばらく息をしなくてもドラゴンは結構平気だが、それもいつまでもつかわからない。
何とかしなきゃと思うけど、もう一回結界を編もうにも、魔法式の構築でごっそり魔力を取られていた上、さっきネクターに移した結界へ全部つぎ込んでしまっていた。
霧は物質も魔力も関係なく浸食して風化させていた。
精霊はほとんど魔力の固まりだ。
ネクターだったらきっとひとたまりもない。それなら、私のほうがまだ耐えられる可能性がある。
……ちょっと嘘だ。
だって、ネクターを目の前で失うなんて考えられなかったのだ。
白い霧が襲いかかってくる感触は、ざりざりと全身にヤスリをかけられているみたいだった。
意思は感じられず、ただ無機質に暴力的に私を飲み込もうとする。
苦しい、ドラゴンの身体はどれくらい持つだろうか。
「ラーワッ!!」
結界に守られたネクターが何かを叫びながら、必死な表情で杖を駆るのが見える。
うまく聞こえないけど、たぶん、私の名前を。
ごめん、ネクター。こんな方法しか思いつかなくて。
アールのこと、お願………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あれ?
「あきらめないでくださいっ!」
ネクターが全力で魔法を繰り出したことで、私の周囲の霧が晴れた。
息苦しさが薄れた私は、翼を広げてネクターに追いつき背に拾う。
とたんに結界がドラゴンの身体を包み、完全に霧から遮断された。
ほう息をつく間もなく翼を羽ばたせて上昇する中でも、ネクターに話しかけた。
《ネクター! 大丈夫だったかい!?》
《あなたこそ、霧にふれて大丈夫だったのですか!?》
《すごく気持ち悪くて鱗がざりざり削られているみたいだったけど、大丈夫だったみたいだ。最強種族は伊達じゃなかったね》
少しカッコつけてみれば、背中にわずかな衝撃を感じた。
はじめ何かわからなくて戸惑ったけど、すぐにネクターが拳で私の鱗を叩いているのだと思い至った。
《なんで! あんなことしたのですかっ!! 私はっ、あなたがいなければっ》
思念が千々に乱れたすぐ後、ぼたぼたと涙が落ちるのを感じて、どっと後悔が押し寄せてきた。
《ごめん。でも、私だって君を失うのはいやだったんだ》
今になって、体に震えが走る。ネクターが投げ出されたとき生きた心地がしなかった。
百年と少し前、ネクターがいなくなったときでさえ絶望した。
あのときは戻ってきてくれて、しかも人だったときよりもずっと死にづらくなった。
でも、だからこそ、私は欲張りになっている。
いつかは終わりが来ると、わかっていても。
ネクターが死ぬのは、思うだけでももういやだったのだ。
《っ……》
私の想いが、思念で伝わったのだろう。
ネクターは言葉を呑んだように沈黙して、私は白い霧の中をひたすら上昇を続けたのだった。
上昇を続ければ、やがて周囲の霧はどんどん薄まっていき、異空間が通常の世界に戻っていく。
そうして霧が完全に晴れた時には、そこはもう元の世界の空だった。
暁闇の一番暗い時間のようで、あたりは星もない暗闇に包まれている。
振り返れば、球形魔法陣が虚空に浮かんでいて、白い霧のほとんど吸い尽くされていた。
このままにしておくと、周囲の大地も巻き込まれてしまうので、白い霧の最後の一筋が魔法陣の向こうへ消えたのを見計らい、私は一つ吼える。
それを始動キーに魔法陣が反転するように異空間の向こうへ吸い込まれ、淡い魔力光を残してなくなった。
あとにあるのは、ただまどろむような暗闇だ。
これで、白い霧を押しとどめられたのだろうか。
私とネクターは上空を旋回しながら、固唾をのんで魔法陣の消えた場所を見つめる。
けど、一拍、二拍とたっても、あの白い霧は出てこない。
やがて、夜明け前のさえた空気の中、東から徐々に朝日が昇ってきて、センドレ山脈の全容が見えた。
いや、ちがう。
あれだけの威容を誇っていたセンドレ山脈はそこになかった。
生えていたはずの木々も、動物も、魔物も、土も岩も、レイラインの流れですら、白い靄の噴出地点を中心にみんな消えている。
えぐれてしまった大地には、ただ白い霧に飲み込まれなかったセンドレ迷宮の残骸が、痛々しく転がっているだけだった。
その惨状に私たちは息をのむけれど、それでも白い霧はない。
「終わった、のですか」
「うん。なんとかとは言い難いけれど、なった、みたいだ」
ネクターの密やかなつぶやきにそう答えて、そこでようやく緊張が抜けた。
首をしならせてネクターを見れば、同じように私を見上げていて。
薄青の瞳と目があったら同じ気持ちなのが分かって、そうしたらたまらなくなった。
私は空中で人型になると、ネクターに思いっきり抱きついた。
一足先に杖に座って待ちかまえていたネクターは、私を受け止めると、力を込めて抱きしめ返してくれる。
だが、その腕が震えていた。
「あなたが霧に包まれたときはもう、失ってしまうのかと思いました」
「ごめん」
「私たちにはアールがいます。忘れないでください」
あの時も、アールのことを忘れたわけじゃなかった。
でもネクターが伝えたいのはそういう事じゃないくらいわかるから、何度でも謝るしかない。
「うん、ごめん。――でも、ネクターも霧に飲まれたかと」
「私もあの霧に一瞬だけふれたようですが、這い回る怖気のような感触だけですみました」
その時の感触を思い出したのか、気味悪そうに顔をしかめるネクターは、本当に何でもなさそうでほっとする。
あの霧は、魔力の強いものならちょっとは耐えられるのかな。
ネクターの体温を感じながらそう考えていると、ネクターがふと思い出したように、首から下げている紐をたぐった。
すぐに引き出されたのは私の鱗を使ったペンダントで、だけど黒光りしていたはずの表面には細かいひびが入っていて、見ている間にぱんっと砕け散る。
この鱗には瀕死のダメージを一度だけ、肩代わりする術式が組み込んであった。
ネクターが精霊になったときには、万が一の消滅を防ぐために、さらに魔法を追加していて。
それが粉々に砕け散ったということは、あそこで私の結界が間に合わなかったらネクターは……。
自分でもわかるくらい血の気が引く私に、顔をこわばらせていたネクターは腕を回してくれた。
「私は、ここにいます」
「……うん」
リュートという精霊はなにを知っているのか、あの「蝕」と呼ばれる白い霧はなにか、私はどうして無事だったか、とか。
考えなきゃいけないことはたくさんある。
でも、今は。
「無事でよかった」
まだネクターとアールと三人でいられる。
そのことをかみしめたかった。
そうして、ほんの少しだけ体を離して、薄青の瞳と見つめ合い、自然とお互いの唇を寄せ合って。
《ラーワ! 終わりましたの!? 白い霧はどうなりまして!?》
「っ!?」
どかんとリグリラの思念が響いてきて、私は思わず飛び跳ねるようにネクターから離れた。
ネクターにも響いていたらしく、杖での飛行が乱れる。
わ、つい浸ってしまっていたけど、リグリラたちに連絡しなきゃならなかった!
悔しそうにするネクターからちょっぴり顔を逸らして、火照った顔を冷やしつつ、リグリラに返事をする。
「し、白い霧は全部異空間へ追い出したよ。そっちは大丈夫だったかい?」
《ええ、魔物はわたくしと仙次郎ですべてつぶしましたわ。風雷のはレイラインの応急処置に飛んでましてよ》
「そっか、良かった」
上空から街を見下ろしても、魔物の気配はなく、騒ぎも少し収まっているように見えたとはいえ、実際に聞くと改めて安堵がわいてくる。
それに中のレイラインは止めていても、外部のレイラインまでは手が回らなかったから、カイルにフォローしてもらえていたのは心底助かった。
強制的に閉じたレイラインも、なるべく早く復旧させなきゃいけない。
ちょっと気まずいながらも、なにより元気そうなリグリラにほっとしていたのだけど。
《無事にすんだのでしたらいちゃついてないでとっとと降りてきなさいまし!!》
リグリラの不機嫌そうな思念にダメージを食らった。
み、見られていたのかー!!
私がこみ上げてくる羞恥心にあわあわしつつ、ネクターの膝から降りて翼を引き出して自力で飛び始めると、ネクターは心底がっかりした顔になった。
「このまま乗っていてくださっても……」
「見られてるってわかっているのに乗るのは恥ずかしいよ」
「まったく、いっこうに、私はかまいません」
「私はかまうんだよ!」
「……もうちょっとでしたのに」
うう、そういうこと何で平気で言えるかな!?
と、思いつつもしょんぼりするネクターと離れるのはちょっぴり寂しい。
「ネクター」
悩んだ私は、ネクターが振り向いたタイミングに合わせて近づいて、唇をかすめ取った。
私もちょっと惜しかったなあって思うから、これくらいはいいだろう。
「っ!」
若干顔を赤らめて目を丸くするネクターに、私は照れ笑いを浮かべつつ言った。
「アールに会いたいね」
「……ええ、帰りましょう」
ちょっと悔し気ながらも微笑んでくれたネクターとともに、私たちは朝日に照らされる空から、リグリラたちの待つ地上へと進路を取ったのだった。





