第六話 ヒモ
永戸順平はヒモを自認していた。もちろん物理的な紐ではなく、働かずに女性に寄生して養ってもらっている男のことである。ヒモの語源は諸説あるが、女性に紐でぶら下がっているという説が一番しっくりくると順平は思っている。なんせ順平は時間があるので気になったことはなんでも調べるようになった。
そんな順平は現在恋人と二人で暮らしていた。
「じゃあ、そろそろ行ってくるね」
恋人の明日香が朝早く家を出ようと玄関にいる。
「弁当持った?」
「大丈夫よ」
明日香は弁当箱の入った鞄を軽く上げて見せる。
「今日は帰るの何時ごろになりそう?」
「そうねえ、八時頃には家に着くと思う」
「了解、それくらいにご飯作っとくね」
「楽しみ~、じゃ行ってきます」
明日香は再度順平に声をかけ、足早に出て行った。今日の空は晴れており三月らしく薄い雲が広がっていた。
「さて、まずは食事の後片付けしてから、洗濯しますか」。
順平は手際よく食器を片付け洗っていく。順平は料理を作るのは得意だが洗い物は少し苦手で度々明日香に洗い残しを指摘される。そのため順平は洗い終わった食器をいつも電球の光にあて、洗い残しがないか確認する。
次は洗濯だ。この家では靴下は裏返して洗うことになっている。その方が内側の汚れとか匂いを取ることが出来るからだ。基本的には洗濯ものかごに入れる際二人とも裏返して入れるが、一応裏返しになっていることを確認し、洗濯機に入れる。洗濯機はドラム式なので、乾燥まで一気に出来るのが便利である。
その他、細かい家事を済ませ、順平は昼食と買い物のため街に出かけた。
順平も最初から働いていなかった訳ではない。大学を卒業し大企業とまではいかないまでも年商百億円のIT企業に勤めていた。主に金融系のオンラインシステム開発を行う会社であったが、仕事は一年目から忙しく残業はもちろん週末の夜中でも呼び出されるような状況であったが、残業や休日出勤、夜間呼び出しについてちゃんと手当が付いた。
それにより入社一年目の新人にも関わらずそれなりの収入があったことは確かだ。しかし、耐え難かったのは顧客からのカスハラである。そのころはまだカスハラという言葉は一般的ではなかったが、順平の会社を下請け扱いしてやりたい放題の顧客が多かった。
それでも暫くは頑張っていたが、遂に自律神経を害し、会社に出社できなくなってしまったのが入社二年目のことである。それ以来、人と接するのが怖くなり、今も無職状態だ。今にして思えばもっと早く辞めていれば傷は浅かったのにと順平は悔んでいる。
そんな順平にも好きな場所があった。今向かっている喫茶店がその一つである。
からんからん♪ と入口のベルが鳴る。
「こんにちは~」
順平がのっそりと店内に入ってくる。身長は高いが猫背なのでは圧迫感はない。
「あら、順平君こんにちは。今から買い物?」
あかりがおしぼりをもって近づきながら声をかける。
「ええ、腹こしらえしてから商店街の方に」
「相変わらずマメねえ」
そこに三太が会話に入ってくる。
「順平、今日は何を作るにゃ?」
「まだ決めてないんですよ。最近中華が続いたからちょっと油少なめな感じにしたいんですけど」
「ああ、そういえば一昨日は油淋鶏で昨日は酢豚って言ってたにゃ。順平も明日香ちゃんも若いとはいえ、脂質の取り過ぎには注意しないとにゃ」
「そうなんですよ。そうでなくても僕は母の遺伝でコレステロールが高いものですから。食べ物だけじゃなくて、もっと運動もするよう明日香にも言われてるんですけど」
頭を掻きながら話す順平にあかりが追い打ちをかける。
「さすが明日香ちゃんはしっかりしてるわね。運動は勿論だけど、自分でメニュー決められるからって、自分の好きなものばっかり作ってちゃだめよ」
順平の恋人である明日香はあかりと同じ高校で部活の後輩である。特に気の合う後輩だったので、あかりは二人のことが気になってしょうがない。
「そうですね。これでも栄養バランスも良く考えて作ってるし、明日香のリクエストも聞いているつもりなんですが、どうしても割合的には僕の好みが強くなっちゃいますね」
「もう早く結婚してもらったらいいのに」
「えっ? いやいや、僕こんなだし、とてもそんな状況じゃないんで」
ズバリいうあかりに、しどろもどろになりながら答える。
「こんなって就職してないってことかにゃ?」
「ええ、まあ」
ばつの悪そうにうつむく順平。
「でも明日香ちゃんはそのことに関してなんも言ってないし。順平君は家事を全部やってるんでしょ? いいじゃない別に。そうゆうの今はアリなんじゃないの?」
「いや、でも自分が情けなくて、明日香のご両親にもなんて言ったらいいか」
「あーもう、煮え切らないわね。明日は明日香ちゃんも仕事休みでしょ? 明日ランチタイムの終わりごろ二人でお茶しに来なさい! 私が会いたがってるって言って連れてくればいいから」
もごもご喋る順平にイラついたようにあかりが言った。
「で、今日もネコロンチーノでいいわね!」
勢いがついてしまったのか、なぜか注文もイラついたようにとって奥に下がって行った。とまどう順平の肩を三太がポンポンとたたく。
その後、相変わらずぷんぷんしているあかりの視線に気を使いながら、お昼を済ませた順平は店を出て商店街を歩いていた。
あかりに強く言われてちょっと戸惑ったが、明日香もミケには行きたがっていたから、帰ったら話してみようと思いながら、目的の魚屋を目指す。
ミケから徒歩五分ほどのところにある魚屋についた順平は店先に並べられた魚を物色する。ネコロンチーノの鰹節の香りをかぎながら何となく今日は魚にしようと決めていた。せっかくだから春らしい魚、が良いなと思っていたところに形の良いサワラが目に入った。関西では春告魚としても有名だ。
「よし、今日は焼き魚だ。すみません、このサワラ半身下さい」
基本的に肉には旬の季節はないが、魚は季節を感じるにはもってこいの食材である。仕事で疲れて帰ってくる明日香にはなるべく美味しいものを食べさせてあげたいので、よい食材が手に入るとわくわくする。
午後八時、明日香が予告通り会社から帰ってくる。明日香とは大学時代からの付き合いで、働くと同時に一緒に住むようになっていた。順平が仕事を辞めた後も変わらず、一緒に居てくれている。
「あ~おなかすいた。今日のご飯は何?」
「サワラの塩焼き、それとほうれん草とキノコのおひたし」
「やった! 帰宅中どこかの家で魚を焼く香りがして、口が焼き魚になってたんだよね、しかもサワラって春の魚だよね。サイコ~!」
明日香は鞄を下ろし、化粧も落として部屋着に着替える。僕はその間にサワラを焼き上げ食卓に運ぶ。
「んじゃ食べようか、焼き魚といえばビールだよね」
順平が冷蔵庫から缶を二つ取り出す。正確にビールではなく発泡酒だが、この家ではそれもビールと呼ぶ。
ぷしゅっ! 順平は缶の蓋を開け、冷凍庫で冷やしたコップにビールを継ぐ。
「今日もお疲れ、乾杯‼」
明日香の音頭で乾杯し、二人は旬の魚に舌鼓を打つ。サワラの身に橋を入れるとふんわりと湯気がたった。身はふっくらして程よい脂がのっている。サワラであれば西京漬けでも美味しいが、旬の新鮮な魚は塩焼きに限る。
「あーやっぱ順平の料理は最高だわ」
明日香の喜ぶ顔を見られるのは順平にとって最大のご褒美だ。
「そうそう、今日のお昼はミケに行ってきたんだけど、あかりさんが明日香に久し振りに会いたいから、明日のお昼一緒に来てって」
「え~行きたい。そういえばしばらく行ってないわ。いいわね、順平はいつでも行けて」
「まあ、暇だからね」
順平が自嘲気味に言うと、
「ちょっと冗談よ。いちいち真に受けないで」
明日香は笑いながら言うが、順平は素直に笑えなかった。
そして翌日。
「あかりさん来ましたよ~」
午後二時前ごろ、順平と明日香はミケにやって来た。
「明日香ちゃん久し振り。時間まで指定してごめんね。その方がゆっくり話せると思って」
「いいえ、久々にお話しできるの楽しみでした」
挨拶を交わす明日香に続いて順平ものっそり入ってくる。
「よしよし、二人そろったわね」
あかりは二人がカウンター席に座るのを見てから準備を始める。
「今、コーヒーとケーキ持ってくるわね。今日は私のおごりだから」
「えー~いいんですか? 誕生日でもないのに」
「かわいい妹分が久し振りに来てくれたんだから、それくらいなんてことないわよ。あ、明日香ちゃんは紅茶の方が良かったかしら?」
「いえ、最近はコーヒーの美味しさに目覚めて、家で豆を粉にしてドリップコーヒー飲んでるんです。その方が実は安いですし」
「そりゃ、強力なライバルだにゃ」
三太が出てきて声をかける。
「いや~まだまだにわかなんで。ここでも豆売ってましたよね。帰りにおすすめ買って帰っていいですか?」
「もちろんですにゃ。今日はエチオピアの豆がおすすめですにゃ」
「じゃそれを、また後で」
しばらくして、二人の前にコーヒーとチョコレートのケーキが並ぶ。
「本当におごってもらっていいんですか?」
明日香が上目づかいで言う。
「そんなに、気を使うようだったらお金払ってもらってもいいけ……」
「ごちになりまーす」
食い気味に、明日香が言って、ケーキにフォークを刺す。
「言ってみただけじゃん」
あかりの言葉に、明日香は「へへへ」と返す。
しばらくケーキを食べながら、近況などを話していたが、ケーキが皿の上から消え、コーヒーのおかわりが運ばれてきたころ、あかりが切り出した。
「ねえ順平君、今日はほとんどしゃべってないけど何かいう事あるんじゃないの?」
「ええ? 僕ですか?」
「何のことですか?」
慌てる順平に、明日香が顔を覗き込む。
「ほら、思ってること言いなよ」
あかりが順平の目を見る。厨房にいた三太も顔を出して順平を見ている。
順平はカウンターの椅子を横に向け、明日香の方をに正対する。
「その、僕は明日香とずっと一緒にいたいと思ってるんだけど、僕は無職だし、どうしたらいいかと思って」
「こんなって、就職してないこと? そんなこと私気にしてないじゃない」
「いやでも僕、無職だし、明日香に養ってもらってるから……」
そんな僕に彼女はあきれたように言う。
「順平は昨日何時起きて何してた?」
「えーと、六時に起きて、明日香のハンカチにアイロンを当ててから、お弁当を作って、ゴミ出しした後、朝食を作って明日香と一緒に食べた」
「それから?」
「明日香を見送ってから洗い物と部屋の掃除と洗濯をして、音が気になっていたトイレのドアの修理をしてから、ミケでお昼を食べて、夕飯の買い物をした」
その後の言葉は明日香がつないだ。
「で、晩御飯を作って、洗い物して、お風呂も入れて、今日も午前中家事してたでしょ?」
「まあ……そうだね」
「それをヒモって言ったら、世の専業主婦もヒモになっちゃうよ? 私は順平のことをヒモだなんて思ったことない。強いて言うなら出来る主夫だね。倹約もしっかりしてるし、大体家事と仕事を男がやるか女がやるかなんて些細なことじゃないの」
明日香は順平の目を真っすぐ見て言った。
「だってさ、どうする?」
あかりが合いの手を入れる。
「でも明日香のご両親は今、僕が働いてないこと知らないんでしょ?」
「順平は誰と結婚したいの? 明日香なの? それともご両親?」
まだ、もごもご言う順平にあかりが、鋭く詰める。
「明日香です!」
ようやくはっきりした口調で順平が答える。
「よし! よろしい。じゃ、後はかえって二人で話すといいわ」
その後、手をつないで帰って行く二人を見送ったあかりは満足そうな笑みを浮かべた。
「今回僕は出番無かったにゃ」
三太が不服そうに言うと、
「恋愛ごとの相談だからね。三太では役不足だわ」
あかりは鼻息を荒くして言った瞬間、三太はここだ! と思い、
「いいか、あかり、役不足と言う言葉はにゃ、本来はね……」
白沢先生から聞いた情報を言いかける三太にあかりはぴしゃりと言う。
「それくらい知ってるわよ。私大学国文科出てるからね。でも、世間一般から認知されているのがこっちだからそう使った方が円滑に会話できるでしょ!」
正論を言われ、ぐうの音も出ない三太は天を仰ぐ。
「白沢先生、また新しいの教えてにゃ……」
続く




