第五話 三太の休日
「なぜ地球存亡の危機はいつも回避されるのであろうか。愛しい人が死んだり、自分が残して死んでしまうことは耐え難い不幸だが、地球上の生き物がほぼ同時に絶滅するのであれば誰も困らないではないか?」
「白沢先生は相変わらず面倒くさいにゃ。地球に隕石が落ちてくる映画でも見ましたかにゃ?」
今日は日曜日。喫茶ミケの定休日である。休みの日は三太はいつも一日中猫の姿で過ごしている。先週までほとんど家の中で丸くなっていたが、立春を過ぎ最近は昼間暖かい日も増え春の兆しが見えていた。そんな日、三太は猫の姿のまま近所を散歩するのが日課となっている。
一応近所の人には街猫と認識されるよう、耳には切れ目が入っているように見える細工をしてある。まあ、いざとなったら人間に化けてやり過ごすことも出来るのであくまでも保険だ。
ここは三丁目のとある家の庭先で三太の視線の先にいるのは縁側にちょこんと座った茶色のチワワである。しかし奇妙なことにこのチワワは流暢に人間の言葉で三太と会話している。三太はその家の塀の上からチワワを見下ろしているが体をかがめて低姿勢を保っている。どうやら三太なりに敬っている姿勢のようだ。
「昨日ここの息子の武志がサブスクで見てた洋画だよ。ひざに乗せられて強制視聴させられた。まったく子供だましの映画だったよ。巷でいう懲役二時間とはこのことだ」
チワワが前足をなめながらおっくうそうに答える。
「武志は小学生の子供だからいいんじゃないのかにゃ?」
「騙されてるんだから良くないよ」
白沢先生と呼ばれた茶色いチワワはやや気分を害したように眉間にしわを寄せて三太の方をにらむ。
この茶色いチワワの正体は実は白沢という中国に起源をもつ霊獣の生まれ変わりである。万物の理を知り尽くしており、本来の見た目は白い獅子とも目が九つもある山羊の妖怪のような姿とも言われているが、生まれ変わった今の姿は体長三十センチほどの小動物だ。。
白沢は猫叉のような妖怪ではなく霊獣であるため、実体は霊的なもので構成されており、物理的なものではない。なので犬に生まれ変わってもかつての賢者ぶりや霊力は有したままである。三太も猫叉になりかけのときに人間の言葉の使い方を教えてもらったり、店を開くときに相談に乗ってもらったりしたものだ。
「しかし、白沢先生はなんで店を開くときの手続きとか青色申告の書き方とか現代的なことまで知ってるんにゃ?」
「人生は常に勉強だからね。前世、つまり白沢の体だった時には平安時代から平成まで生きているが、昔の知識だけではいつかさび付いてしまう。だから、常に新しい知識を身に着けるのさ。幸いこの家のお父さんは国立大学の准教授だからね、読む本には事欠かないさ」
「よくその手、いや前足で本読めますね」
「言ってなかったかな? 私は体毛を自由に操れるので、尻尾の毛を使って本を取ったり読んだりしている。昼間はお母さんも留守にすることが多いから家にある全ての本は読み終わってるんだ」
白沢先生は尻尾の毛をすうっと一メートルほど天に伸ばしてひらひらと動かして見せる。
「へ~体毛を操れるんですね。付き合い長いですが初めて見たにゃ」
三太は目を丸くして言う。
「それくらいできないこの体じゃなんにも出来ないだろう? 私は君みたいに人間の姿には化けられないからね。まあもちろん普段人前では使わないから、君が見たことないのも無理はないかもね」
「なるほど。しかし話は変わりますがいい家ですね、今どき縁側があるなんて、風流でいい家ですにゃ」
「かなりの旧家で歴史のある家系みたいだからね。こういう家の飼い犬に生まれ変わったのもなにか因縁というか理由があるのかもね」
白沢先生は尻尾の毛で耳を器用に搔きながら答える。
「ところで今日はなにか相談があったんじゃないのか?」
「相談って言うほどのことでもにゃいけど、お店でお客さんに話す雑学のネタが切れてきたからなにか面白い雑学を教えてもらおうと思いましてにゃ」
「それ喫茶店の経営に必要?」
白沢先生は首をかしげる。
「知識は人生のスパイスですにゃ」
「まあいいさ。やっぱり食べ物関係がいいの?」
「いえ、いろんなお客さんが来ますから、アカデミックな雑学なら何でもいいですにゃ」
白沢先生は数秒目をつむって考えたのち話し出した。
「お前にも色々と日本語の使い方を教えてきたが、言葉の意味は時代とともに変わってしまうことがある。例えば『役不足』という言葉だが、今はこれを人が役職や役割に追いついていないという意味で使われる。例えば『あの人は社長になるには役不足だ』とかね」
「そうですね、そんなふうに使いますにゃ」
三太はうなづきながら答える。
「でも本来の意味は、人の方が優秀過ぎてその役では釣り合っていない。つまり役の方が不足しているという意味だ。さっきの例でいうと、「あの人が部長だなんて役不足だ。本来であれば社長になるべきだ」と言うのが正しい使い方なんだ。とはいえ、本来の意味で使う人の方が圧倒的に少ないわけで一般的には最初に説明した方の意味が市民権を得ているというわけだ」
「へ~日本語って難しいですね。あ、お店に来る若い子が『美味しい』って言う代わりに『ヤバい』とか言うのもそういう感じかにゃ?」
「まあ、それは若者言葉だから、これからその子たちが年をとっても使い続けるかどうかによるだろうな。昔流行った『ナウい』なんて言葉今は誰も使ってないからな」
「わ! 懐かしい。ほんとですにゃ~。そういえば『チョベリグ』も聞きませんね」
そんな話をしていると奥の部屋の方から上品な女性の声が聞こえる。
「ちくわちゃ~ん、どこ?」
白沢先生が「ワン」答えると畳をすり足で歩く足音が徐々に近づいてくる、縁側の後ろの障子がすっと開くと長髪の女性が顔を出した。この家のお母さんである。
「ちくわちゃん、こんなところにいたの? また障子を自分で開けて縁側で日向ぼっこして。本当ちくわちゃんは天才犬ねえ」
こんな小さなチワワが自分で障子を開け閉めしてるんだからもっと不審に思ってもよさそうなものだが、この家のお母さんは少し天然でおおらかな性格なので細かいことは気にしないようだ。だからお母さんの前では白沢先生も結構大胆に行動している。
「まあ、いつも来てくれる友達の猫ちゃんね。しばらく姿を見なかったけど、元気だったかしら?」
お母さんは塀の上の三太を見上げ、親しげに声をかける。ちなみにこのお母さんは喫茶ミケの常連でもある。喫茶ミケはカートに乗せれば店内でも犬OKなので、白沢先生とも来ることがあるのだが、当然のことながら今の三太は猫の姿なので、店の店主とは気づかない。
三太はすました顔で「ミャーオ」と返事をする。
「あらあら行儀がいいこと。ご丁寧にありがとうね。でも不思議ね。あなたを見ると商店街にある喫茶店のマスターの顔を思い出すわ」
三太はそりゃまそうだろうな。と思いながら、白沢先生にさようならの目配せしてから塀の外に飛び降りた。
白沢先生は飼い主に甘えている姿を三太に見られることを嫌がるからだ。塀から着地したときには塀の向こうから「クーン」というかわいい声が耳に届き、三太は思わず笑みをこぼした。
「さて、雑学も仕入れたことだし帰ってもうひと眠りするかにゃ。でも、この雑学誰にどのタイミングで使えばいいにゃ?」
三太はそう呟きながらまだ日高い住宅街を歩いていく。体がぽかぽかして気持ちがよい。お店のある商店街までは塀使ってショートカットすれば十分ほどで着くが、ゆっくり歩いて帰ろうと三太は思った。
続く
白沢先生がチワワに見えないという苦情は受け付けませんのであしからずご了承くださいm(。。)m




