後編
やつが池袋に行くと言うので、ルートを詳しく説明してから俺は地元の友人に会いに行った。
中学からの付き合いで、未だに連絡を取る友人の1人だ。
友人と昔話に花を咲かせながら、そろそろ池袋に着いただろうやつにメール。
やつからは
【やまのててん】
と返って来た。
まだ着いてないのか、と思い携帯を閉じて友人との会話を再開。
それから1時間後、池袋で迷うなよとメールを送れば
【やまのて線、2しゅうめ】
と返って来た。
線が漢字になってる!少し感動したが、それよりも2周目が気になる。
乗り過ごしたか、今どこにいるか詳しく聞こうと思ったが、妹に過保護と言われた俺は思い留まった。
ロンドン留学している俺は、自力でやるほうが言語習得の上達は早いと知っている。
しかし数時間後の返信が
【やまのて線、3しゅうめ】
だった時はもう我慢出来なかった。
何やってんだ!山手線はメリーゴーランドじゃないぞ。
そわそわする俺から事情を聞いた友人は、行ってやれば?と言い出した。
どうやら、友人はやつに興味があるようだ。
幸い俺たちがいる場所も山手線沿線だったので、すぐに待ち合わせることが出来た。
「おー君が噂の…よろしく。俺は照井って言います」
「よろしく。ペリー」
来航か!ぷっと吹いた俺を、友人がばしっと叩いた。
何を間違ったのか分からずに、きょとっとしているやつから、荷物を取る。
重い。山手線で一体何を買ったんだ…?
夜は友人たちと居酒屋で飲み。
居酒屋に興味津々のやつも連れて行くことにした。
一応幹事の許可は取ったけど、友人の友人が混じるような飲み会なので、問題はないだろう。
「久しぶり」
「久しぶり…」
飲み会には俺の元彼女も来ていた。
彼女は俺が留学中に、別の男と付き合いだしていて、メールで別れを告げられた。
ロンドンに馴染むので手一杯だった俺は、彼女への連絡も疎かだったし、まぁ仕方がないかと思った。
あっさりとした別れだった。
社交辞令的な挨拶をして、彼女(元が付くが)は席を移っていった。
隣にいたやつがぽんぽんっと俺の肩を叩いた。会話は分かってないくせに、微妙な空気は察したらしい。
ちなみに元彼女が今付き合ってる相手も、飲み会に参加している。
その相手は、俺が元彼だというのを知っているようで、見せ付けるような言動をする。
あからさまなそれにうんざりして、来るんじゃなかったと思ったけど、沢山の居酒屋メニューを試せてやつがはしゃいでいるので、良しとしよう。
俺が悔しそうな顔を見せないのが気に障るのか、何だか挑発的な態度だ。
俺はみんなが楽しんでいる空気を壊したくなくて、さり気無く交わしていた。
しかしそれに我慢できなかったのはやつだった。
何を考えたが、ビールを飲む俺の頬にキスしてきた。
元彼女とその彼氏が見せ付けるようにいちゃつくのに対抗したのだろうが……俺はうろたえてビール零した。
俺の方にダメージが来たんだけど…。
お気に入りのジーンズびっちょり。
ロンドンじゃ、親愛の意味でハグや頬へのキスは挨拶代わり。俺も慣れたはずだが、やつから受けるのは初めて。
「ごめん…こいつ酔ってるから帰る」
じとーっと集まる視線に居た堪れなくて、その場から退散。
むすっとしているそいつに
「何で怒ってんの?」
と聞けば
「………べつに」
と返ってきた。
どこで覚えたんだ?その微妙な日本語。
やつの日本滞在は1ヶ月とちょっと。残りも1週間となった。やつの日本語も本のすこーし上達した。
「学校には怖い話があってね。放課後4階の女子トイレに入るとどこからか、赤いちゃんちゃんこと青いちゃんちゃんこどっちが良い?って声が聞こえるんだって。赤いちゃんちゃんこを選ぶと血まみれになって殺され、青いちゃんちゃんこを選ぶと血を抜かれて殺されるの」
おどろおどろしく語る妹に
「しってる!それ、かんれき!」
やつが得意満面に答えた。
うーん、ちゃんちゃんこだけしか聞き取れてねぇな。巣鴨行ってきたばかりだから。
でも上達はしている。
それもそのはず、やつは来年度日本への留学を考えているらしい。
今回の来日で、益々その気になったと言うので、俺は全面協力。
やつへの苦手意識はもうない。
日本にいる時も多少の口喧嘩はあった。
辞書を引きつつ
「げきどした!」
と叫んだやつに、お前はメロスかっ!と突っ込みながら吹いた。
間違ったのか…とちょっとしゅんとしながら、辞書をぱらっとするやつに俺が白旗。
やつがしゅんとなるのに俺は弱い。
お互いの意見が衝突しているのに、いつもあっさり引いて要求を飲む俺に
「自分の意見をきちんと主張しないと損するだけ」
と英語で色々きつく言った後
「やるたくないのは、やない?」
日本語に切り替え。
語尾が右上がりで疑問系。
意に沿わないことは、やるなって言いたいんだろうな。
「…………………」
元彼女のことを気にして電話してきた照井に
「俺さー…世の男がツンデレに萌える気持ち……すげぇ分かるわ」
しみじみと言って
「お前……大丈夫か?」
ちょっと引かれた。
元彼女は振られた俺があまりにも気にしてないので、不機嫌だったらしい。
そのせいで、今の彼氏が嫉妬と言う名の対抗意識を燃やしたらしいが…。
「何でだよ。振られたの、俺じゃん」
「だから振られたお前が、全く未練ない感じで。イギリスの可愛い女の子の世話をせっせと焼いてるからむかついたんだろ」
何だそれ。
新しい男がいんのに、元彼に未練ある素振りを見せられるほうがまずいだろ。
「女心が分かってないね。お前」
照井に呆れられた。
やつは馴染みない日本食にも果敢に挑戦する。
幸いほぼ口に合うようで良かった。
しかし中にはやはり不得手のものもある。やつは、残すと言うのを良しとしないで、頑張る。
夕飯に出たなめこの味噌汁を、ちまちま食べていたので
「苦手か?食べてやろうか?」
手を伸ばすと、やつはお椀をガードし
「No!たべかけ、たべかけ…ちう!」
と睨んできた。
悪かったよ…、分かったよ、好きだからゆっくり食べてたんだな。
「動詞の進行形~ingは日本じゃ、なうを付けるのよ」
妹が嘘を教える。
嘘だと思っていないやつは
「Now?really?」
と確認を取っている。
「こら!またこいつに…」
「ううん。発音が良すぎて駄目。食べかけ、なう。リピートアフタミー」
「たべかけ、にゃう」
「……………………」
制止しかけた口を閉じる。
「あれ?変な言葉教えんなって怒んないの?」
妹は首を捻った。
俺はそれに答えず、ごちそうさまと席を立ってそそくさと去った。
自室に戻り、ちょっと自己嫌悪。
「俺さ…世の男が…猫に萌える気持ち…分かったよ…」
照井に電話して、心の内を漏らせば
「お前…本当に大丈夫か!?」
思いっきり引かれた。
やつは日本語を覚えるため良くテレビを見る。
相撲の実況中継を
「はっきょーい、おこった、おこった」
と言って真似をしていた。
それを聞いた俺は、ぐはっとなって転がった。
…もう駄目だ…。
男はギャップに弱い。
転がった俺を、やつは怪訝そうに突っついてきた。
肩に触れてきたやつの手を掴んで
「I love you, please be my steady.」
いきなり迫り出した俺に、やつはきょとんとしていた。
「I think fell in love with you.」
スイッチが入ったように、日本語では言えない告白を続ける俺に
「お母さんっ大変!お兄ちゃんが、アイラブユーとか言ってる!欧米かって突っ込んで!」
妹がお袋にちくる声が聞こえた。
最悪…ここはリビングだった。
妹の語学力じゃ、I love youしか聞き取れなかったのは不幸中の幸いだ。
ちぇと頭を掻いた俺は、やつが無言のまま顔を真っ赤にしているのに気付いた。
あれ…?もしかして…脈あり?
ロンドン留学中に身に付けた、引けない時はひたすら押せと言う精神を発揮し
「I’ve never met anyone like you.」
「I think very tenderly of you.」
やつの手を握りつつ、捲くし立てた。
「何、困らせてんのっ!」
結局、お袋にバシンと叩かれて終わった。
お玉で殴られた…いてぇし。
俺よりも数日先にロンドンへ戻ったそいつを成田まで見送り、俺も戻る準備。
重量オーバーでやつが持って帰れなかった漫画を詰め、大好物の菓子を大量に買ってやつへの貢物に追加。
ロンドンに戻ったその日にやつを電話で呼び出して、押せ押せで迫った。
シャイな日本人の名を返上し、押しまくってOKの返事を貰った。
やったーと思いながら、次なるミッションはやつの留学試験。
俺は来年、日本に帰る予定なので、やつの日本への留学は俺にとっても死活問題。
やつのたどたどしい日本語に、ぐはっ!となりながら勉強に励む毎日を送ることになった。