第二十話「一杯の向こう側」
「さて、製茶からやり直しだ。始めるか」
「茶神様」
「ん?」
「卵をお忘れです」
「あ」
エルフの足元には、いつもの大きな卵が置かれていた。
「……またか」
「またです」
「いや、今回は忘れたわけじゃない。ちょっと意識から外れていただけだ」
「それを忘れたと言うのでは?」
主人公は卵を抱え上げた。
「お前も大変だな。生まれる前からこんな扱いで」
………
「さて、始めるか」
「今日は二回目の製茶だ。前回よりはうまくできると思う」
当然、返事はない。
「まあ、お前は飲めないもんな」
卵を見つめる。
「……いや、孵ったら飲めるのか?」
もちろん答えはない。
「楽しみにしておこう」
主人公は籠を手に取った。
まずは茶葉を摘む。
前回と同じように、新しく伸びた柔らかい芽を選んでいく。
ただし、今回は少し違った。
一枚ずつ葉の状態を確かめ、形や硬さ、香りを見ながら摘んでいく。
「同じ茶の木でも、葉の状態は一枚ずつ違うんだな」
若い葉と、少し育った葉。
見た目は似ていても、含まれる水分や成分は違うはずだ。
ならば、加工したときの変化も同じではないだろう。
「全部まとめて同じように扱っていいのかな……」
主人公は摘んだ葉を二つの籠に分けた。
一方には若い葉を、もう一方には少し育った葉を入れる。
「今回は比べてみよう」
卵は黙っている。
「お前もそう思うよな」
沈黙。
「よし、意見は一致した」
まずは若い葉から蒸す。
鍋の湯が沸き、蒸気が立ち上る。
主人公は網に葉を広げ、鍋の上に置いた。
葉の色が変わり、青い香りが立つ。
前回よりも、葉の変化をよく観察する。
蒸し時間を少し変えれば、仕上がりも変わるだろう。
短ければ酵素の働きが十分に止まらないかもしれない。
長ければ葉に余計な熱が入る。
どちらが正解なのかは、実際に比べてみなければ分からない。
「……ただ蒸せばいいってわけじゃないんだな」
葉を取り出し、手で揉んでいく。
力を入れすぎないように、葉の状態を確かめながら。
細胞が壊れ、内部の成分が外に出やすくなる。
香りが変わっていく。
「前回は、とにかく形を整えることばかり考えていたな」
今度は、葉の変化を確かめながら手を動かした。
次に、少し育った葉も同じように蒸して揉む。
こちらは若い葉よりも硬く、手触りが違う。
同じ時間、同じ力で揉んでも、同じ状態にはならない。
「やっぱり違うか」
主人公は二つの葉を並べた。
「素材が違えば、扱い方も変わる……」
当たり前のことだ。
けれど、自分の手で確かめると、その意味が少し違って見えた。
最後に乾燥させる。
葉を網に広げ、火からの距離を調整する。
水分が抜けていくにつれ、葉は軽くなり、香りも落ち着いていった。
主人公は何度も葉に触れ、乾き具合を確かめた。
「よし。これくらいかな」
二種類の葉をそれぞれ別の袋に収める。
これで製茶は終わりだ。
前回よりも、工程ごとの意味を考えながら作ることができた。
しかし、主人公の頭には別のことが浮かんでいた。
「……なあ」
卵に話しかける。
「お茶って、誰のために作るんだろうな」
返事はない。
「いや、飲む人のためだよな。そんなの当たり前か」
主人公は袋に収めた茶葉を見た。
いい茶葉を作る。
それ自体は大切だ。
けれど、いい茶葉とは何だろう。
香りが強いものか。味が濃いものか。それとも、雑味の少ないものか。
何を基準に良し悪しを決めるのか。
ふと、前世で聞いた言葉を思い出した。
「……茶は服のよきように点て、だったかな」
千利休の言葉として知られる、茶の湯の心得。
茶は、飲む人にとってちょうどよいように点てる。
本で読んだか、何かの記事で見たのか。
詳しいことは覚えていない。
ただ、その言葉だけは頭に残っていた。
「服のよきように、か……」
主人公は、二つの袋を見比べた。
自分は今まで、茶葉のことばかり考えていた。
どうすれば香りがよくなるか。
どうすれば味がよくなるか。
どうすれば、もっと上手に作れるか。
もちろん、それも必要だ。
だが、それだけでは足りないのかもしれない。
古竜に淹れた一杯。
魔獣に差し出した一杯。
どちらも、同じ茶葉を使ったわけではない。
飲んだ相手も、置かれていた状況も違う。
それでも、どちらも一杯のお茶だった。
「茶葉のことを知るだけじゃ、駄目なのか」
主人公は呟いた。
茶葉を知る。
水を知る。
湯を知る。
そして、飲む相手を知る。
誰が飲むのか。
どんな状態なのか。
どんな一杯を求めているのか。
茶葉を最高の状態に加工することと、相手にとって最高の一杯を淹れることは、必ずしも同じではない。
「……そっか」
主人公は小さく頷いた。
お茶は、茶葉だけで完結するものではない。
淹れる者がいて、飲む者がいる。
その間に、一杯のお茶がある。
「作ることばかり考えていたな」
主人公は袋を手に取った。
「今度は、飲む相手のことも考えてみよう」
卵を見た。
「お前は、どっちがいい?」
沈黙。
「……まだ飲めないか」
主人公は袋をしまった。
「まあ、いつか一緒に飲もうな」
卵は、いつもと変わらずそこにあった。




