第3話:世界を動かす呪文
それは、バスが日光の山道へと差し掛かったときだった。
ガタ、とそれまで体験したことのない不自然な振動がバスを襲い、滑らかだったはずの車体が路肩に静かに停車した。
運転席のハンドルがカタカタと怪しく左右に揺れ、ダッシュボードの赤い警告ランプが点滅を始める。
「え、なに? 事故?」
車内が急にザワついた。知也が不安そうにキョロキョロし、鈴奈が「ねえ、動かないよ」と高橋先生を見た。
「みんな、落ち着いて席に座っていなさい!」
高橋先生が慌てて立ち上がり、運転席のシステムパネルを確認しようとする。けれど、表示されているのは複雑なエラーコードだけで、先生にはどうすることもできないようだった。無理もない。先生は教員であって、自動運転のエンジニアではないのだから。
「先生、私が確認します」
静かな、だけど絶対的な安心感のある声で遮ったのは、コンダクターの三雲さんだった。
三雲さんは慌てる様子もなく、スマートフォンのような薄い端末をバスの制御パネルにカチリと接続した。画面を見つめる彼の目が、一瞬で鋭いビジネスマンのそれに変わる。
「山間部の濃霧によるセンサーの一時的な誤認識、およびグローバルマザーAIとの通信遅延ですね。ローカルの安全プログラミングが過剰に作動してロックがかかっています」
三雲さんは呟くと、端末の音声入力をオンにした。
「"Override local safety lock. Re-calibrate proximity sensors based on real-time LiDAR telemetry, and prioritize fog-penetration spectrum. Execute re-routing immediately."」
三雲さんの口から飛び出したのは、驚くほど流暢で、冷徹なまでに無駄のない「英語」だった。
それはぼくたちが学校の授業で習う「Hello」とか「Thank you」といったお喋りの英語ではない。世界基準の超高性能AIの脳みそに、一文字のズレもなく命令を叩き込むための、完璧な『プロンプト』。
その呪文のような英語が響いた直後、ピ、と電子音が鳴り、運転席の警告ランプが青に変わった。
何事もなかったかのように、ハンドルが自ら回りだし、バスが静かに、そして力強く坂道を登り始める。
「すごい……」
誰かが小さく息を漏らした。高橋先生も「助かりました、三雲さん」と深く息を吐き出している。
ぼくは、席に座ったまま、心臓がバクバクと激しく波打つのを止められなかった。
英語って、大人がよく言う「国際人になるため」の道具じゃない。
世界中を支配している巨大な無人システムや、人間より遥かに賢いAIを手下にして、自分の意志通りに「世界を動かすため」のプログラミング言語なんだ。
三雲さんの背中が、まるで魔法使いみたいに大きく見えた。ぼくは、自分の手元にある、さっきまで熱中していたゲーム機が、急にひどく子供っぽいおもちゃに見えて仕方がなかった。




